2006年10月09日
2006年10月02日
世論調査:「米軍駐留とイラクの将来についてのイラクの世論」(2)
さっきの続きで、The Iraqi Public on the US Presence and the Future of Iraq(「米軍駐留とイラクの将来についてのイラクの世論」:PDFファイル)というイラクで行なわれた世論調査(@2006年9月)について。
調査を行なった日時や団体などについてはさっきの記事を参照。あ、これはここに書いておくほうが便利なので書きますが、以下において「エスニック・グループ」というのは、「アラブ人でスンニ派」(いわゆる「スンニ派」)、「シーア派」、「クルド人」の3つのグループです。
10の項目のうち、米軍駐留および米国の関与についての4項目についてはさっきの記事に書いたのですが、残り6項目、VIEWS OF THE SITUATION IN IRAQ(イラクの状況についてどう見るか)の部分についてです。
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調査を行なった日時や団体などについてはさっきの記事を参照。あ、これはここに書いておくほうが便利なので書きますが、以下において「エスニック・グループ」というのは、「アラブ人でスンニ派」(いわゆる「スンニ派」)、「シーア派」、「クルド人」の3つのグループです。
10の項目のうち、米軍駐留および米国の関与についての4項目についてはさっきの記事に書いたのですが、残り6項目、VIEWS OF THE SITUATION IN IRAQ(イラクの状況についてどう見るか)の部分についてです。
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世論調査:「米軍駐留とイラクの将来についてのイラクの世論」(1)
Slugger O'Toole(北アイルランド)経由、History News Network経由で、The Iraqi Public on the US Presence and the Future of Iraq(「米軍駐留とイラクの将来についてのイラクの世論」:PDFファイル)という世論調査(今年9月27日付)を知りました。
「イラクは米軍があんまりひどいことをするからアルカーイダへの支持が伸びてしまった」というのが思い込みであることが示されている調査結果です。(同時に、「米軍に対する攻撃の如何は、アルカーイダとは関係がない」ということが示されているわけですが。)
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「イラクは米軍があんまりひどいことをするからアルカーイダへの支持が伸びてしまった」というのが思い込みであることが示されている調査結果です。(同時に、「米軍に対する攻撃の如何は、アルカーイダとは関係がない」ということが示されているわけですが。)
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2006年10月01日
2006年09月25日
2006年09月23日
アメリカ合衆国は「集団的懲罰」を加えている
2006年09月12日
普通のイラク人の一日
「この破滅の犠牲になっているのはひとえに私たち罪のない人たちです。私たちは、サダム・フセインの独裁政権下での暮らしのほうが、今よりもよかったと、私たちは思い始めています」。普通のイラク人の生活と発言。
投稿者:益岡
普通のイラク人の一日
IRIN
2006年9月11日
Electronic Iraq原文
バグダード発。48歳の店員、ムスタファ・クバイシにとって厳しい日々である。米軍の主導でイラクが侵略され、サダム・フセイン元大統領が追放されてからの3年間、彼は困難な生活を送ってきた。
「残念なことに、私たちの国は酷い状況にあります。必需品がなくて値段は上がるし、安全状況は悪化しているし。この破滅の犠牲になっているのはひとえに私たち罪のない人たちです。私たちは、サダム・フセインの独裁政権下での暮らしのほうが、今よりもよかったと、私たちは思い始めています」とクバイシは語った。
彼は朝5時に起き、体を洗って夜明けの祈りをあげる。このごろは、地元のスンニ派モスクに行くよりも、家で祈りをあげることを選んでいる。彼の住む地域は、大多数がシーア派である。基本的に、彼は人が集まる場所や群衆を避ける習慣を身につけた。自分のモスクがいつかシーア派の民兵の標的になるのではないかと恐れている。
朝食を採りながら、クバイシは、テレビとラジオでバグダードで起きた最近の暴力について情報を仕入れる。また、年老いた両親と病気の叔母に電話して昨夜は何ともなかったかと聞く。政府が非常事態を延長し外出禁止令を敷いたため、地元の人々は、夜、医者の治療を受けるのが困難になっていることもある。
朝食後、クバイシはふたりの娘ラナとハラを、古いポンコツの車に乗せてバグダード大学まで送る。本来なら10分しかかからないこの行路に1時間もかかる。バグダードの朝の交通渋滞が、道路封鎖でさらに悪化しているためである。ラナはフランス語を専攻しており、ハラは歯医者になるための勉強をしている。
近頃のバグダードでは、自動車爆弾とロケット攻撃と誘拐が日常的に起きているので、クバイシはいつも注意深くしており、自分とふたりの娘を守るためのボディガードとしてもふるまっている。
「毎日、私は違う道を選ばなくてはなりません。暴力の犠牲者になるのを避けるためです」とクバイシはいう。彼は政府の建物から離れた道を選ぶ。政府の建物周辺が、毎日のように爆発が起こる場所だからである。クバイシは、娘たちを一人にしておくことはできないと言う。とりわけ、大学から帰る途中で女性たちが強姦されたというニュースを聞いてからは。
「娘がいるのでとりわけなのですが、今や誰も信じられません。娘たちの名誉を守らなくてはならず、この酷い安全状況では、私たち父親しか娘を守ることができる人はいないのです。6カ月前、ラナは大学の門のところで爆発により怪我をしました。娘たちに生きていて欲しいなら、目を見開いていなくてはいけないのです」と彼は言った。
大学まで疲れる旅をこなしたあと、クバイシは自分の店に行き、家族を養うために、収入を得ようと努める。
「私は服を売っているのですが、この1年近く、大きな問題を抱えています。人々は以前のように新しい服を買うお金がないのです。給与が低くなって貧困が増大しています。妻と娘にまともな生活を送ってもらうために十分なディナールを得るのは日毎に難しくなっています」と彼は語る。
「夜10時に家に戻ってから、どうやって色々な支払いをするか苦心しなくてはなりません。発電器[電力供給は不安定]と車の巨額のガソリン代、野菜は毎日ますます高くなっているし、家の高い家賃も払わなくてはなりません。2003年から、家賃は300パーセントも値上がりしました」とクバイシは言う。
ガソリン代は、首都で、2003年の0・1米ドルから2006年には1・3米ドルへと、13倍も値上がりした。また、調理用ガスの値段は20リットルあたり0・5米ドルから16米ドルへと、32倍も値上がりした。
ガソリン代が値上がりしたにもかかわらず、ガソリンスタンドによっては今や2キロ以上の列ができている。石油生産が世界3位とされている国での状況なのである。イラクの人々が、時によっては通常よりも10倍高い値段で車にガソリンを入れるために激しい暑さの中、何時間も並んでいる光景が見られる。
クバイシはまた、シーア派の隣人たちから、15年間にわたって働いてようやく買った家を立ち去るよう圧力を受けている。
「隣人のほとんどはシーア派で、私たちへの態度はまったく変わりました。ますます強硬に、乱暴になってきており、私たちはスンニだからここにいると危険で、この地域にゲリラを引き込みかねないと言う人もいます」と彼は言う。
米軍主導の侵略が起きる前は、人々はとても親切でしたが、この国に広まるセクト的暴力のために人々は変わり始めています。これまで常に維持してきた善意を忘れつつあるのです」とクバイシは語る。
こうした困難にもかかわらず、クバイシは妻と生活を続け、まもなく娘たちが一人で授業に行けるようになると希望を持ち、妻が買い物に付き添いなしでいけ、彼が必要なものを困難なく手に入れることができる日を期待している。
「人間の中で希望は最後に死に絶える感情です。ですから、今のイラクの状況にいらだちを感じていますが、いつか、停電もなしに綺麗な飲み水とおいしい食事をソファーに座って楽しむことが出きる日を期待してます。それが10年以上あとのことになろうとも」とクバイシは言う。「暴力によって私からその楽しみを奪うことはできません」。
このニュースは国連人道ニュース・情報サービスIRINから届けられるが、必ずしも国連やその機関の見解を反映するものではない。IRINの文書はすべて無料で再ポスト・再プリントできる。使用条件については、IRINのコピーライト・ページを参照のこと。IRINは、国連人道問題調整局のプロジェクトである。
投稿者:益岡
2006年09月03日
「暴力の循環を断ち切らねばならない」(ジョージ・ソロス、8月31日)
8月31日の英ガーディアンに、ジョージ・ソロスが「暴力の循環を断ち切らねばならない」という文章を寄稿していました。
ソロスについては説明不要だと思いますが、ウィキペディアへのリンクをはっておきます。
文章自体は主にイスラエルの行動についてのもので、このブログで扱っている「イラク」とは若干ずれています。(文中に例としてイラクのことが出てはくるのですが。)それでもこれをこのブログに投稿しようと思ったのは、「反ブッシュ」の大物中の大物が何を公言しているか、何をどう考えているかは、このブログに入れておきたいと思ったからです。
また、一応日本語化はしてみたものの、これは非常に粗い訳というか下訳相当のもので、英文として書かれているものを日本語にしただけです。つまり、事実とつき合わせてのファクトチェックをしていません。日本語化の作業で事実関係の把握に失敗した結果の誤訳などがありましたが、コメント欄でご指摘ください。というか、英語を日本語にするだでいっぱいいっぱいで、事実に関する点はみなさまがたのご指摘頼みです。よろしくお願いいたします。
We need to break this cycle of violence
暴力の循環を断ち切らねばならない
August 31, 2006 09:07 AM
原文:http://commentisfree.guardian.co.uk/george_soros/2006/08/
we_need_to_break_this_cycle_of.html
単純なところでひとつ。日本語ではよく「暴力の連鎖」と言いますが、ソロスはcycle of violenceという表現を用いています。ソロスだけでなく、cycle of violenceという表現ではほかのところでもよく見る表現です。
実はcycle of violenceの日本語での定訳が「暴力の連鎖」です(→英辞郎)が、ここではあえて「暴力の循環」という表現を使いました。「暴力の連鎖」というのは、ソロスがここで提示しているものとちょっと違うような気がしたので・・・。
なお、辞書の定義では「連鎖」は「つらなりつづくこと。物がつながり、互いにかかわり合っていること」。cycleはa group of events which happen in a particular order, one following the other, and which are often repeatedです。
投稿者:いけだ
ソロスについては説明不要だと思いますが、ウィキペディアへのリンクをはっておきます。
文章自体は主にイスラエルの行動についてのもので、このブログで扱っている「イラク」とは若干ずれています。(文中に例としてイラクのことが出てはくるのですが。)それでもこれをこのブログに投稿しようと思ったのは、「反ブッシュ」の大物中の大物が何を公言しているか、何をどう考えているかは、このブログに入れておきたいと思ったからです。
また、一応日本語化はしてみたものの、これは非常に粗い訳というか下訳相当のもので、英文として書かれているものを日本語にしただけです。つまり、事実とつき合わせてのファクトチェックをしていません。日本語化の作業で事実関係の把握に失敗した結果の誤訳などがありましたが、コメント欄でご指摘ください。というか、英語を日本語にするだでいっぱいいっぱいで、事実に関する点はみなさまがたのご指摘頼みです。よろしくお願いいたします。
We need to break this cycle of violence
暴力の循環を断ち切らねばならない
August 31, 2006 09:07 AM
原文:http://commentisfree.guardian.co.uk/george_soros/2006/08/
we_need_to_break_this_cycle_of.html
【粗い訳】
イスラエルがヒズボラを鎮圧することができなかったことは、「テロに対する戦争」という考え方の多くの弱点を示している。弱点のひとつが、たとえ標的がテロリストである場合でも犠牲となるのは事態と関係のない一般市民であることが多いということ、そして一般市民の苦しみがテロリストの大義を強化するということだ。
ヒズボラからの攻撃があるという前提で、ヒズボラの殲滅を望むこと、および、国境地帯でのミサイルの脅威に対し自己を防衛することについては、イスラエルは正当化される(十分な理由を有すると考えられる)。しかしながら、イスラエルは付随的被害を最小に押さえるために最大限の配慮をすべきであった。レバノンでの一般市民の犠牲と物質的損害によって、ムスリムも世界の世論もイスラエルに反対して燃え上がり、また侵略者であったヒズボラは抵抗の英雄へと変化した。レバノンを弱体化させたこともまた、ヒズボラを抑制することをますます困難にしている。
「テロに対する戦争」という考え方の弱点の2つ目は、それが軍事行動頼みであり、政治的アプローチをあらかじめ排除しているということだ。イスラエルは、レバノン政府およびパレスチナ自治政府と政治的決着を交渉するよりも、一方的にレバノンから撤退し、その後ガザから撤退した。ヒズボラとハマスの基盤強化はそういった方法の直接的結果である。「テロに対する戦争」の考え方は、「私たち」と「彼ら」をはっきりと分け、私たちの行動(actions)が彼らの行動(behaviour)を形作るかもしれないということを認めない。それゆえ、(一方的な軍事撤退がヒズボラやハマスを強化したという)事実を認める上で、「テロに対する戦争」の考え方が邪魔になっている。
「テロに対する戦争」の考え方の弱点の3つ目は、それは、テロリストの戦術を用いる別々の政治運動をひとまとめにしてしまうということである。この考え方をしている限り、ハマスとヒズボラとアルカーイダの区別はつかないし、イラクにおけるスンニ派の叛乱と(シーア派ムクタダ・サドル配下の)マハディ軍との区別もつかない。これらはすべて別々のテロの出現であり、別々の反応を必要としているというのに。ハマスもヒズボラも、単に「対テロ戦争」の標的として扱うことはできない。というのは、どちらも社会に深い根を有しているからである。さらにまた、両者の間には深い差異がある。
振り返ってみれば、イスラエルの政策が道を誤ったのがどこであるかを見極めることは簡単である。マフムード・アッバスがパレスチナ自治政府の議長に選出されたとき、イスラエルはいつものやり方を変え、アッバスとアッバス周囲の改革派を強化すべきだったのだ。
イスラエルがガザから撤退したとき、ジェイムズ・ウォルフェンソン世界銀行前総裁は、ロシア、米国、EU、国連から成る中東和平のための4者会議(the Quartet for the Middle East)に代わって、6点から成る計画(sixpoint plan)を交渉した。計画には、ガザ地区と西岸地区の間の検問所(crossings)を開き、ガザ地区に空港と港を開き、エジプトとの国境を開き、イスラエル人入植者が出て行ったあとの温室をアラブ人に引き渡すことが含まれていた。これら6点のうち、実行されたものは0件だった。
このことが選挙でのハマスの勝利に一役買った。ブッシュ政権は、選挙を開くようイスラエルを押しておきながら、ハマス政権と交渉はしないというイスラエルを支持した。その結果、パレスチナ人の苦難はますますつらいものとなっているのだ。
それにもかかわらず、アッバスは統一政府について、ハマスの武装部門との合意に何とかこぎつけることができた。しかし(シリアの首都)ダマスカスから指令を受けているハマスの武装部門が挑発を行い、その挑発がイスラエルの強硬な反応を引き起こし、イスラエルはお返しにヒズボラを刺激してさらなる挑発へとつなげ、第二の戦線を開いたのは、この合意をだめにするためであった。過激派はこのようにして、政治的進展の機会とあらば何でもつぶすために、互いに虎視眈々と自分たちの利を狙いつつ対抗しあうのである。
イスラエルもこのゲームに参加してきたし、ブッシュ大統領もイスラエルを無批判に支持してこの欠陥だらけの政策に参画している。この政策が暴力の拡大につながっていくことは、実際に起きたことが示すとおりである。そして事態は、イスラエルは疑いようもなく軍事的優位を握ってはいるが、そのことはもはやこの政策の負の結果に打ち勝つほどのものではないという点にまで進んできてしまっている。いまやイスラエルは、オスロ合意の時点と比較しても、ますますその存在において脅かされるようになっている。同様に、米国も、ブッシュ大統領がテロに対する戦争を宣言して以来、ますます安全ではなくなっている。
こんにちの政策は逆効果を招くものであると悟るべき時はもう来ている。パレスチナ問題の政治的決着なくして、ますます拡大する暴力の悪循環に終わりはない。事実、交渉に臨むだろいうという観測は、数ヶ月前よりも現在の方がよくなっているのだ。軍事による抑止はそれ自体では十分なものではない、ということを、イスラエルは悟るべきである。アラブは戦場で名誉を保ったので、妥協策にこれまでより前向きであるかもしれないのだ。
イスラエルは決して、弱い立場から交渉すべきではないという勇ましい声もかまびすしい。だがそれは間違っている。現在のコースに拘泥すればするほど、イスラエルの立場は弱まっていくことを免れない。同様にヒズボラも、勝利の感覚は味わったが勝利の実体は知らず(また、シリアとイランにけしかけられている)、強硬な態度に出るかもしれない。
しかしここで、ハマスとヒズボラの違いが重要になってくる。パレスチナの人々は平和と苦しみからの解放を熱望している。ハマスの、軍事部門とはっきり一線を画した政治部門は、人々の願いに答えねばならない。イスラエルが、よりバランスの取れたアプローチに向かっての第一歩として、アッバスが主導するパレスチナの統一的政府を後押しし、交渉するためには、まだ手遅れではない。ここで欠けているのは、「テロに対する戦争」の考え方に猪突猛進していない米国政府である。
単純なところでひとつ。日本語ではよく「暴力の連鎖」と言いますが、ソロスはcycle of violenceという表現を用いています。ソロスだけでなく、cycle of violenceという表現ではほかのところでもよく見る表現です。
実はcycle of violenceの日本語での定訳が「暴力の連鎖」です(→英辞郎)が、ここではあえて「暴力の循環」という表現を使いました。「暴力の連鎖」というのは、ソロスがここで提示しているものとちょっと違うような気がしたので・・・。
なお、辞書の定義では「連鎖」は「つらなりつづくこと。物がつながり、互いにかかわり合っていること」。cycleはa group of events which happen in a particular order, one following the other, and which are often repeatedです。
投稿者:いけだ
2006年08月26日
私はイラクでプロパガンダ見習い生だった (2)
米国のプロパガンダ企業リンカーン・グループの見習いとしてバグダードで一夏を過ごした青年が、経験を語る。続き。
投稿者:益岡
私はイラクでプロパガンダ見習い生だった
デモクラシー・ナウ! インタビュー
2006年8月22日
Electronic Iraq原文
エイミー・グッドマン:それでは、ウィレム。どうやって記事を選んだか教えて下さい。あなたが話をした将軍たちについて、記事の中身がどのようなものだったかについて。
ウィレム・マークス:はーい。キャンプ・ビクトリーのその部署から、一日約5つの記事を受けとりました。それらは、様々で、たとえばイラクの女性政治家のプロフィールといったものから、工場や病院が開いたこと、テロリストが殺されたことなど、多岐にわたります。私は、できる限り、テロリズムやアブ・ムサブ・アル=ザルカウィに関する記事は扱わないようにしました。それらはとりわけ扇動的で、イラクのゲリラに対する地元の人々の気持ちについて知識が欠如したようなものが多かったのです。
私はできるだけ、再建についての記事を掲載させようとしました。それらをイラク人職員に渡したのです。病院が再建されたことについての記事、それらは冷静な記事でした。書き方が上手いとは言えないものも多かったのですが、それらは、イラクの中でも海外でも主流派メディアが書かないようなことだと思いました。単に、そうした情報を知ることができないからです。そして、そうした記事を使うのは、状況を改善する一助にもなりそうで、嫌な気持ちでなくできたからです。
エイミー・グッドマン:それで・・・・・・
ウィレム・マークス:すみません、何ですか?
エイミー・グッドマン:それらの記事を選んでから何をしたのか教えて下さい。それを誰に送るのですか?
ウィレム・マークス:リンカーン・グループが商業地に構えるイラク支局のオフィスのイラク人に送ります。このオフィスの職員は全員が地元のイラク人で、彼が、オフィスにいる翻訳者の一人を選び、記事をアラビア語に翻訳してもらって、それを私に送り返すのです。残念ながら、私はアラビア語をまったくよく読めません。それから私はそれを司令部に送ります。司令部にもイラク人通訳がいて、英語の原文と付き合わせてチェックするのだと思います。司令部はそれに押印し、私はそれをイラクのオフィスに送り返して「これはOKが出た。A紙、B紙とC紙に記事を掲載させるように」と言うわけです。
そこから先のプロセスは、私が管理できる部分ではありません。イラク人職員は、私が記事を掲載させるよう求めた新聞に記事が発表されるよう最善を尽くすわけです。けれども、うまく行かないことも多く、私は、どうして一定の新聞にはそれらの記事をうまく押し込めないのか疑念を持ちはじめました。その疑念から、自分としては、イラクで過ごした中で最もショッキング経験をしました。イラク人職員の何人かに、私が最初に来たときと比べると、私たちが求めたのではない新聞に記事が掲載され、私たちが求めた新聞に記事が掲載されないことがはるかに多いのはどうしてか聞くよう求められたとき、頭にあった疑念は、イラク人職員たちが、会社がそのために用意した金を横領しているのではないかというものでした。
エイミー・グッドマン:それについて、グリーンゾーンの外に出て、この尋問を行ったときのことについて説明してもらえますか?
ウィレム・マークス:それは驚くべき経験でした。会社での私のボスが私に、フローチャートのギャップに注意するよう求めたのです。そのチャートは、どれだけの記事がどこに掲載されたかを監視しているもので、その記録にとても奇妙なことが起きていることに気づきました。それで、私自身がそれを調査することになったのです。そこでグリーンゾーンの友人を連れて行きました。この人物は近くに住むイラク人で、別の米国契約企業のために働く便利屋といった人でした。彼は私の友人として、また通訳として一緒に行くことに同意しました。ほかのイラク人職員は彼を知らず、何か不正があったときに、追求したり疑ったりすることはできませんでした。
彼と私は、たくさんの検問を抜けてダウンタウンのオフィスに車で行きました。午後の盛といったときにオフィスにつきました。アパートの中にあるオフィスは、むろん施錠され、重警備されていました。私はすぐにイラク・オフィスの代表のところに行き、「このギャップについて誰々と話をし、誰々に質問したい」と言いました。そのとき、私は、誰が実際に関与していて、誰が操作をしているかわかりませんでした。というのも、私のアラビア語はまったく幼稚で、目の前で話されていることがわかることはほとんどなかったからです。ですから、誰を信用すべきか知るのは難しかったのです。それから私は職員一人ずつと座って順番に記事を発表することについて何をしているか質問し、地元新聞の編集者と共謀してキックバックを取っているかどうか聞きました。
私が書いたとても驚くべき出来事は、職員の一人、私は彼を信用しなかったのですが、その彼が私が向けた非難についてとても怒って抗議していたときのことでした。私はグリーンゾーンの外に出るときに携行する銃を持っていました。小さなグロック・リボルバーで、それをベルトにはさんでいたのですが、座ってこの人物に話をしているとき、少したって、そのリボルバーが私のベルトで不愉快なところに挟まっていることに気づきました。私は、とても批判的な質問を始めながら、ベルトから銃を取り出して、彼と私の間の机の上に銃を置いたのです。その瞬間、自分がしたことが恐ろしく脅迫的な行動だと気づきました。自分に本当に嫌気が出したのですが、その人物は私の前から立ち去りました。別の人に質問しているときに、彼はオフィスから走り去ってしまいました。
イラク人職員に圧力をかけるために、私の友人である通訳とともに随行してきた二人の男は、ムハバラトの元職員でした。サダム時代の諜報サービスの一部だったのです。その二人は、最もよい方法は、CIAの調査だとして逃げた男を脅すことだと言いました。CIAという三文字は、イラク人すべてにとって、もっとも恐ろしい三文字だというのです。私が話をした男が建物を立ち去ったと聞いたとき、まわりは暗くなりかけていましたし、そろそろそこから立ち去らなくてはならないと決心しました。ジャーナリストになりたいならば、自分の時間を使うべきことは、このようなことではまったくないと悟ったのです。それを機に、私はバグダードから早々に立ち去ることにしました。その週に、私は決心し、すぐにイラクを立ち去ったのです。
エイミー・グッドマン:始点と終点の両方で話していた金額についてお話してもらえますか? 一方で、新聞に支払われることになっている金の一部を着服したかも知れないイラク人職員にあなたは尋問していました。その一方で、リンカーン・グループは何百万ドルもの金を受け取っていたわけですが。
ウィレム・マークス:もちろんです。
エイミー・グッドマン:説明していただけますか?
ウィレム・マークス:私にとってとてもショッキングなことだったのは、イラク人職員に質問するためにオフィスに送られたときですが、イラクで最もよい新聞に記事を押し込むのに、一記事あたり、たぶん最大で支払ったのは2000ドル程度だったでしょう。そして、職員たちはその半分を着服していたのではないでしょうか。そうだとすると、イラクでは、おわかりいただけると思いますが、それは大きな金で、職員とその家族にとってとても大きな助けとなったでしょう。
一方、それでも、リンカーン・グループが米軍と結んだ契約に含まれていた事項の一つ、ライン項目と呼ばれるものですが、その一つは、イラクのテレビにCMを入れるもので、30秒の放送用CMを撮影し編集して放送するものです。そのCM一つ一つについて、100万ドル、100万ドル強の支払いを受け取っているのです。そして、実際のところそのためにかかる費用はどのくらいなのか知ろうと思って聞いたとき、実際にはそうしたCMは一つにつき1万2000ドルで放送させることができるというのでした。おわかりのように、相当の利益マージンです。それなのに、私は、たった1000ドルをめぐって、銃を持って人々を尋問するというわけです。
エイミー・グッドマン:それに関与していた米軍の将軍たち、そしてそれらの記事を押し込んだイラクの新聞についてお話いただけますか?
ウィレム・マークス:はいはーい。記事を扱うプロセスでは、私と米軍の担当部門の大尉や少佐たちとのあいだで、やりとりがあったりしました。そして、私と彼らの関係は、会社にとってとても大切だったのです。私はしばしば外交的にふるまい、しばしば批判的にふるまわなくてはなりませんでした。また、ときに、イラクのメディアに押し込まれる記事について、自分の編集権を放棄しなくてはならないこともありました。というのも、彼ら自身も、当時のイラク最高司令官ケーシー将軍のような上から命令を受けていたからです。今も受けていると思いますが。ケーシー将軍は、「残念ながら、それはだめだ。この記事を公表することはとても重要だ。リンカーン・グループがそれを確実に公表するようにしなくてはならない」などと言ったのです。そして、ご覧の通り、そうした記事は新聞に掲載させなくてはなりませんでした。その記事は妥当ではなく、それを読んだ多くのイラク人が苛立ち、あからさまなアメリカ合衆国のプロパガンダと思うだろうと私が感じても、です。
そして、私たちが相手にしている新聞は、そのような場合には、いったい誰がこの記事を出させようとしているのか、記事の出所はどこなのか、フリーランスのイラク人記者が新聞社のオフィスに姿を現して記事を掲載するのに1000ドルとか2000ドル払うと言うのはなぜなのかについて、とても、とても疑い深くなりました。編集者の中には、アメリカ人が関与しているのではないかという大きな疑いがあったに違いありません。
ケーシー将軍がぜひ新聞に載せたがった記事がありました。それは、ご存じと思いますが、シーア派民兵バドル旅団についてのもので、基本的に、バグダードでのシーア派に対する攻撃に報復しなかったことでバドル旅団を褒め称えたものです。ケーシー将軍はそれを強く新聞に掲載させたがっていましたが、新聞社二社がたて続けに掲載を拒否しました。政治的に扇動的過ぎたからです。それはとても面白い経験でした。超上級の米軍将軍がこの煩雑なことにかかずらわってある一つの記事を掲載させたがり、結局、まともな心を持ったイラクの新聞社は、どれだけ金を積まれてもそれを掲載しようとしなかったのです。
エイミー・グッドマン:さて、ウィレム・マークス。今日はご出演して下さってどうもありがとうございました。米国に戻る旅が安全でありますように。ニューヨークでジャーナリズムのコースに戻ったときにお会いできることを楽しみにしています。ウィレム・マークスは、『ハーパーズ』誌最新号に「嘘を伝える見習い生:軍のプロパガンダ担当として過ごしたイラクでの夏」という記事を掲載しています。
投稿者:益岡
私はイラクでプロパガンダ見習い生だった (1)
米国のプロパガンダ企業リンカーン・グループの見習いとしてバグダードで一夏を過ごした青年が、経験を語る。
アメリカ合衆国の諜報機関CIAなどが、プロパガンダ記事を様々な国の「自由なメディア」に押し込むことについては、ウィリアム・ブルム『Killing Home』などでも論ぜられています。
投稿者:益岡
私はイラクでプロパガンダ見習い生だった
デモクラシー・ナウ! インタビュー
2006年8月22日
Electronic Iraq原文
彼は、クルド人治安要員2人に付き添われてバグダードを車で通っているとき、装填された小型軽機関銃を抱えていた。
グリーンゾーンにある彼の寝室には、300万ドルの現金があった。
銃で武装した彼は、イラク人職員に、仕事をしているかどうか尋問した。
彼は、バグダードで一夏を過ごした。米軍が秘密裡に書いた親米的記事をイラクのメディアに発表されるために金を渡す役割だった。
彼はわずか22歳で、ワシントンに本社を置き米国政府と契約を結んだリンカーン・グループの見習い生だった。この会社は、秘密軍事プロパガンダ・キャンペーンの一環として、イラクのメディアに記事を押し込むためにペンタゴンが金を払っている相手であることを、昨年11月にロサンゼルス・タイムズ紙が報じたことにより悪名を馳せた。それを受けて3月にペンタゴンが行った調査により、リンカーン・グループは何も悪いことはしていないということになった。
本日、我々は、リンカーングループの元見習い生、ウィレム・マークスにインタビューした。マークスはフリーランスの著述家で、ニューヨーク大学でジャーナリズムを専攻する大学院生である。彼が経験を詳しく綴った記事は、『ハーパーズ』誌の最新号に掲載されている。その記事のタイトルは「嘘を伝える見習い生:軍のプロパガンダ担当として過ごしたイラクでの夏」というものだった。彼は、ウズベキスタンから電話でインタビューに答えてくれた。
エイミー・グッドマン:本日、私たちは、リンカーン・グループの元見習い生とお話しします。彼の名はウィレム・マークス。ウズベキスタンから電話での参加です。彼はフリーランスの著述家で、ニューヨーク大学でジャーナリズムを専攻する大学院生でもあります。彼の最新記事は、『ハーパーズ』誌最新号に掲載されており、彼自身の経験を語ったものです。タイトルは「嘘を伝える見習い生:軍のプロパガンダ担当として過ごしたイラクでの夏」というものです。ウィレム・マークス、私たちの番組へようこそ。
ウィレム・マークス:やあ、エイミー。お話できてうれしいです。
エイミー・グッドマン:番組に出てくれてありがとう。まずは、どうしてこの仕事についたかから教えてもらえますか?
ウィレム・マークス:ちょうど一年ちょっと前、オックスフォードで卒業試験の準備をしていたときのことで、ニューヨークに住むいとこの一人が、バグダードで見習い生を募集している会社があると教えてくれたんです。次の9月からニューヨーク大学で勉強することが決まっていたので、イラクで夏を働いて過ごすのは、駆け出しの若い記者としてはとてもよい経験になるだろうと思いました。そこで、履歴書を送ったのです。募集中だったのは、メディア関係の見習いだと考えました。あまり詳しいことは書いてなかったのです。そして、私の年齢でそうした機会を手にすることはとても稀なことに思えました。履歴書を送ったあと、その会社から連絡があり、何度か電話でインタビューをして、まもなくワシントンDCに飛行機で行き、軍の身分証明書を受け取って、数日後にはバグダードにいたのです。
エイミー・グッドマン:ここ米国に来たとき、リンカーン・グループの創設者たちに会いましたか?
ウィレム・マークス:会いました。二人です。一人はクリスチャン・ベイリーで、私と同じ英国人でした。もう一人はページ・クレーグという元海兵隊員で、ワシントンDCの本社でのことです。
エイミー・グッドマン:その人たちについて、それからそのへんについてもっと教えてもらえますか・・・
ウィレム・マークス:もちろんです。DCに来たのは、そこの大学に通っているいとこに会いに来て以来、数年ぶりのことでした。街についてはあまり知りませんでした。彼らは、会社のオフィスのそばにあるホテルに私を入れたので、ついた日はそのホテルに泊まりました。それは、ロビー産業の中枢となっているK通りにありました。そうして私は二人に紹介されました。ページ・クレーグはとても軍人っぽく、あまり人なつっこい感じではなく、ちょっと私にぶつぶつつぶやいただけでした。一方、クリスチャン・ベイリーは私と同じくオックスフォード出だったので、それについてしばらくのあいだ話をしました。
二人とも、イラクで私が何をすることになっているかについて、あまり積極的に教えてくれませんでした。詳しいことについてはかなり曖昧だったのです。でも、二人とも、私のような若者にとってすばらしい機会だと説明しました。彼らの会社は急成長中でした。彼らは私を飛行機に見送り、幸運を祈ると言っていました。
エイミー・グッドマン:ウィレム・マークス、一休みしましょう。それから、イラクで過ごしたときのことについて、グリーンゾーンの中と外での様子についてお聞きしたいと思います・・・・・・。ウィレム・マークスは、リンカーン・グループの元見習い生です。そのままでお待ち下さい。
[休憩]
エイミー・グッドマン:今日のゲストはウィレム・マークスです。ウズベキスタンにいる彼とお話しています。彼はフリーランスの著述家で、大学院生でもあり、昨夏を、リンカーン・グループの見習い生としてイラクで過ごしました。彼が『ハーパーズ』誌最新号に掲載した記事は「嘘を伝える見習い生:軍のプロパガンダ担当として過ごしたイラクでの夏」というタイトルです。ウィレム・マークス、リンカーン・グループを創設した二人は、イラクに行ったことがあるのでしょうか?
ウィレム・マークス:はい。元海兵隊員のページ・クレーグは、2003年3月の侵略以来、かなりの時間をイラクで過ごしているようです。私にわかるところでは、彼は、海外投資家のビジネス・チャンスを広げ仲介するためにそこにいき、また、とても回りくどいやり方で、彼らが「戦略的コミュニケーション」という分野で米軍と契約をすることになったようです。
もう一人、英国人のクリスチャン・ベイリーは、私が最初にあったときには、イラクに行ったことがなかったようです。イラクに行こうとする度に、いつも、DCで何か用事ができて、DCに留まる必要があったそうです。私がイラクに発ったあと、8月の末ですが、彼は数日間イラクに行ったようです。けれども、私が知る限りでは、彼がイラクに行ったのはそのときだけです。
エイミー・グッドマン:そうして飛行機に乗り、バグダードに行ったわけですね。イラクでの経験について教えて下さい。
ウィレム・マークス:そうですね。バグダード空港についてから、キャンプ・ビクトリー経由で、グリーンゾーンにある家に連れて行かれました。一週間ほどあまり何もせずに過ごしたあと、我慢できなくなって、DCに電子メールを書き、「私はここで何をしているんでしょう? 何らかの仕事をすると思っていたのですが」と言いました。それから1日か2日たったときに、別の職員が昼食に私を連れだし、そこで、リンカーン・グループが正確に何をしているか、詳しく私に説明してくれたのです。私は彼の立場を引き継ぐことになっていました。というのも、彼は休みをとって休暇に行くことになっていたからです。
そして、彼がやっていることは、バグダードのすぐ南にある大規模な米軍基地であるキャンプ・ビクトリーの中の、ある部隊の兵士たちが書いた英語の記事を受け取ることでした。彼は、それらの記事の中から、イラクの様々な新聞に掲載するものを選んでいたのです。彼はそれらの記事をイラク人職員に送り、イラク人職員たちがアラビア語にそれらを翻訳し、キャンプ・ビクトリーの司令部からOKをもらって、別のイラク人職員たちにイラクの様々な新聞社にその記事を届けさせ、そこで編集者・編集補佐、嘱託編集者に金を払って、イラクの新聞にそれらの記事をニュースとして掲載させていたのです。それが役割でした。1週間か10日あまりそこにいたあと、私はその仕事を引き継いだのです。
そして、最初の2、3週間ほどは、計画通りものごとは進んでいたように見えました。私は自分がしている仕事をあまりうれしく思っていたわけではありませんが、米軍がイラクでどのような活動をし、契約企業がどのような活動をするかについて、とてもとても興味深い洞察を得られる機会だと思っていました。それから、事態は少しスリルのあるものになりました。というのも、会社が、テレビやラジオ、インターネットそしてバグダード中のポスターなどを通して、さらに大規模な、あらゆる種類の、メディアを通した情報発表について契約を提案されたからです。そこで、私は予算計画やこの大きな契約の実行の準備に関わりました。リンカーン・グループにとって、一月で1000万ドルにのぼる契約でした。
エイミー・グッドマン:1000万ドルですか。MSNBCによると「2005年12月、ペンタゴンの文書は、リンカーングループは〔・・・・・・〕米国にとって好ましい記事を作成し、アラビア語に翻訳し、イラクの新聞にそれを植え付け、それがペンタゴン発であることを隠しておくために1億ドルの契約を受注したことが示されている」とありますが。
ウィレム・マークス:MSNBCは少し混乱しているのではないかと思います。リンカーン・グループは、フロリダで計画された心理作戦共同タスクフォース、こう呼ばれていたと思うのですが、そのタスクフォースによる1億ドルにのぼる契約を提案された3つの企業の一つなのです。
そして、1億ドルというのは、企業の計画とアイディアによるもので、それを軍に売るというものでした。この契約は、少なくともリンカーン・グループに関しては、キャンセルされました。たぶん、最近、もしかすると今月のことです。ワシントン・ポスト紙に、それを報じた記事を見たと思います。ですから、その1億ドル会社にはほとんど支払われなかったと思うのですがを、会社は、すばらしい業績として言いふらしたわけです。けれども、2カ月にわたる2000万ドルの契約、イラクのメディアに記事を押し込む1カ月1000万ドルの契約は、イラクで軍と会社が取り結んだ別の契約なのです。
後半に続きます
アメリカ合衆国の諜報機関CIAなどが、プロパガンダ記事を様々な国の「自由なメディア」に押し込むことについては、ウィリアム・ブルム『Killing Home』などでも論ぜられています。
投稿者:益岡





