2008年05月24日

ノラを撃ったことについて謝罪がないのはなぜか?

米兵がコーランを狙撃練習の標的に使っていたことについて。
ノラを撃ったことについて謝罪がないのはなぜか?
イラク平和への「神聖な」手段
ロバート・ウェイツェル
2008年5月23日
CounterPunch原文

2006年10月23日、一人の米軍海兵隊兵士がM24狙撃ライフルに装備された眼鏡照準具を通して標的を探し、5歳のイラク人少女ノラに照準を合わせた。愛らしい彼女の顔は、キスできるほど近くに見えた。兵士はキスするかわりに引き金を引き、銃弾を彼女の頭に撃ち込んだ。診断書によると、「銃弾は頭蓋骨を貫通し脳膜を引き裂いたが、この頭への負傷をノラは生き延びた。狙撃兵の銃弾を、ノラは生き延びたのである。

2004年のファルージャ襲撃の際、米軍の狙撃兵たちは、ファルージャでやっていた唯一の病院の入り口を狙える建物の屋上に陣取った。地元の人々はこれを「狙撃兵通り」と呼んだ。治療を受けようと病院にやってきたイラク人老若男女が狙撃された。患者や医薬品を運ぶ救急車も狙撃された。ノラは生き延びたが、多くの人々が狙撃兵の銃弾により命を落とした。

2006年5月30日、ナビハ・ニサイフ・ジャシアムと彼女のいとこサリハ・モハメド・ハッセンが、サマラ総合病院に車で行く途中、米軍狙撃兵に後ろから撃たれた。ナビハは出産するところだった。二人とも、狙撃兵の銃弾で殺された。

これらの不法かつ非道な狙撃について、アメリカ合衆国大統領も軍の将軍も、士官も、謝罪はおろかそんなことがあったことさえ認めていない。責任を問われた狙撃手も、いない。

今年の5月19日、バグダードの米軍司令官ジェフリー・ハモンド少将は、ある米軍狙撃兵がコーランのコピーを標的に射撃練習をしていたことについて、バグダードのラドワニヤ地区のコミュニティ代表とイマムに謝罪した。

ハモンド将軍は怒った人々に向かって、「皆さんの許しを乞うために皆さんの前に現れた。謙虚に・・・・・・私と部下の兵士達を許してくれるようお願いする。兵士の振舞いは犯罪的なもの以外の何ものでもなかった」。

シャイフ・ハマディ・アル=キルタニ師は、ラドワニヤ地区のシャイフたちを代表して、この狙撃兵の行為は「全イスラム世界への攻撃だ」と語った。イスラム法学者協会は「神の書に対するこの悪辣な犯罪」を非難し、ハモンド将軍に対して、「神はその書に書かれたことを守る。神は偉大なる復讐者だ」と警告した。

何らかの見通しが必要だ!

ノラ、そして米軍狙撃兵の標的多くのイラク人たちは、生身の肉体を持ち、過去を記憶し未来への希望を持った人々だった。彼ら彼女らは、聖なる誓いへの信頼への生ける証しであり、神の創った「イスラム世界」であった。「悪辣な犯罪」の犠牲となっているのはこれら生ける人々であり、これらの犠牲は神の報復に値するし、そうでないとしても、少なくともハモンド将軍の謝罪は必要とする。

一方、聖なる書物は、ボール紙と紙とインクからなっていた。それらはプロフィ/ェットのために生産されている。これらは天からの贈り物ではない。地上で作られたもので、その物理的な実現形態については、神聖なる点はない。聖なる書の内容に書かれた「神聖なもの」は、ノラのように、狙撃兵の銃弾を生き延びることができる。そうでなければ、それは神の創造物ではなくて人間が作ったものだということになるだろう。

ラドワニヤでの謝罪が真剣なものであることを保証するため、ハモンド将軍は兵士にコーランの新たなコピーに接吻するよう命じ、それをコミュニティに贈った。それから、彼は人々に次のように確証した。「私はこの兵士を罰した。彼はアメリカ合衆国軍に仕え、バグダードでイラクの人々に仕える名誉を失った」。この兵士は家族が待つ米国に送り返された。

ベトナム戦争が10年以上にわたって続き、5万8200人の米軍兵士と200万人以上のベトナム人の命を奪ったことは驚くべきことだろうか? ベトナム戦争のときには、米軍兵士と海兵隊は、米軍とベトナムの人々に仕える「名誉」を失い、家族の待つ米国に送還されるためには、自分を撃たなくてはならなかった。

それを頭において、次のような、実現可能な「神聖なる」イラク和平プランについて考えてみよう。母親は息子に、妻は夫に、子供は父親に手紙を書く。その手紙で、自分で聖なる書物を選びそれに狙撃ライフルで穴をあけ、それを平和の道具に変えるよう求める。それを証明する写真とともに司令官に敬意を払って提出し、また、従軍牧師か地元のイマムに提出する。そうすれば、彼はイラクの人々に「仕える」ことをもはや許されず、一週間のうちに米国に送還されるだろう。クリスマスまでに戦争は終わるに違いない。

イスラムの平和的な預言者も、キリスト教の平和の貴公子も、30万人の人々の命を救い、不道徳な戦争と人々を窒息させる占領を終わらせるためならば、14万部の聖なる書に穴があくことを気にするとは思えない。

平和的な預言者は、「一人の魂を殺した者は・・・・・・人類全員を殺したようなものだ」と言っているし、平和の貴公子は「よく聞きなさい。私の同胞のただ一人に対してもそれを行ったものは、それを私に行ったことになるのだ」と明言している。

預言者も貴公子も、本を「殺す」ことについては何も言っていない。彼らにとって神聖なるものは、「生ける証し」であり、ボール紙と神とプロフィットでできたモノではない。

ロバート・ウェイツェルは「良心的メディア」に寄稿する編集者で、記事はマディソンの「キャピタル・タイムズ」に定期的に掲載される。連絡先はrobertweitzel at mark here mac dot com 。

カルチュラル・スタディーズの関係者には興味深い記事でしょう。

投稿者:益岡


posted by 益岡 at 15:57| Comment(0) | TrackBack(1) | イラク全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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