貧困が生存者を襲っている
マキ・アル=ナッザル/ダール・ジャマイル
2008年4月27日
ZNet原文
ダマスカス発4月26日(IPS)。シリアに避難する幸運に恵まれたイラク人は100万人を越す。けれども、相対的に安全なこの避難所でも、貧困をさける手立てはない。
モハマド・サレーンはバグダードでスーパーを経営し成功していた。「国連の経済制裁が13年続いた中でも、家族と快適な生活を送っていました」。ダマスカスでサレーンはIPSにこう語った。「4人の息子もスーパーで働き、暗い経済制裁の時期を乗り越えることができました。大きな困難が始まったのは2003年、占領により道路が閉鎖され、人々の収入が減ったときからです」。
そしてある日、民兵が24時間以内に立ち去るよう通告してきたと彼は言う。「シリアで仕事を再スタートすることはできませんでした。生き延びるために、弟が私の財産を少しずつ売り払いました。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、シリアに150万人のイラク人がいると推定している。けれども、シリア自体の経済が、米国の経済制裁のなかで苦しんでいる。ブラックマーケットで難民が見つける仕事の収入は一月100ドルに満たない。
一方、生活費は値上がりしている。「2005年初めにここに来たとき、家賃に300ドル払いました」とシャキル・アワド博士は語る。「2006年、イラクで派閥間の抗争が激化し、ますます多くのイラク人がシリアに避難してきたために家賃が上がり、同じ値段でもっと小さなアパートに移らざるを得ませんでした。資金が底をつき始めたので、最低限の生活を維持するためにイラクに持つ不動産を売り始めました」。
シリア人のチャリティーで暮らしているイラク人難民の数はとても多い。
「私の場合、シリア人の大屋さんが寛大で家賃を据え置いてくれました」とイクラス・ファディルは言う。35歳の女性で小さな女の子が二人いる。「夫と息子は、ファルージャ近くの高速道路で米軍海兵隊に殺されました。6歳の娘を治療のためにシリアに連れてこなくてはなりませんでした。1年以内に状況はよくなると思っていたので、宝石すべてを5000ドルで売りました。1年でそれを使い果たし、今は 慈善に頼って暮らしています」。
「寡婦や弱い立場にある家族といった『特別な場合』を助けるために金を集めているイラク人の小さな協会やNGOがあります」と、現在はシリアで貿易業者をしているイラク人社会学者ヌマン・ファディルは言う。「問題は、難民生活が長引き、失業が蔓延する中で、イラク人難民の家族のほとんどが弱い立場にあることです」。
日々、状況は悪化しているように見える。「この難民危機には、現在UNHCRが行っているわずかな支援よりはるかに大きな国際的取り組みが必要です。経済制裁と占領により世界中がイラクできちんと生活していた人々を処刑することに決めたことの犠牲となった人々が生き延びるためには」とファディルは言う。
UNHCRの職員はIPSに対し、予算もスタッフも不足していると語った。
マキ・アル=ナッザルはIPSのシリア特派員で、米国在住のIPS記者で4年間にわたりイラクから報道を続けてきたイラクの専門家ダール・ジャマイルと密接な協力関係にある。
彼女の娘の治療については、米国のNGO「ノー・モア・ビクティムズ」が面倒をみている。
シリア政府はシリアにいるイラク人の労働を法的に認めていないため、売春を余儀なくされるイラク人難民の数は増えている。正確な数字はわからないが、難民たちは、イラクに所持品を残してきた家族が生活できなくなって、女性が売春を始める事例を多く証言している。
投稿者:益岡