2008年03月15日

夫と子どもを失ったイラク人の母親が米国への復讐を誓う

占領下で人殺しと人権侵害を続ける米軍、女性の権利を奪う社会。占領から5年、米国では昨年の「米軍増派」作戦で米軍兵士の死者が減ったことがメディアで大宣伝されたため、この不法侵略継続を支持する人々がふたたび増えているそうです。5年。8歳の子どもは、殺されていなければ13歳に、中学生だった子どもは学校を続けていられれば大学生や社会人になります。
夫と子どもを失ったイラク人の母親は米国への復讐を誓う
パトリック・コックバーン
2008年3月14日
バグダード発

主にスンニ派が暮らすバグダード西部のハドラ地区に住む中年の女性ウム・サードは、夫と二人の息子が死んだのは米国人のせいだと述べ、復讐を誓った。

「アメリカ人は、人間の皮をかぶった化け物、悪魔です」と彼女は断言する。「いつか、私は服の下に爆弾ベルトをつけて、アメリカ人の中で自爆します。夫と息子たちのために復讐を果たして、楽園に行けるでしょう」。

ホワイトハウスとペンタゴンが「サージ」(兵士増派)により昨年さらに多くの米軍兵士をイラクに派遣した作戦の成功を吹聴し、通信社がイラクでは「数カ月にわたり比較的平穏な日々」が続いていると主張しているまさにそのとき、ウム・サードは、二人目の息子が家の扉を開けたとたんに撃ち殺された光景を目にしたのだった。

イラクは今も暴力に脅かされており、治安が改善されたというのは、2006年と2007年上旬、内部対立が高まって毎日65人のイラク人が殺されていたときと比較してのことにすぎない。今年2月には、死者は一日平均26人にまで下がったが、3月はこれまでに1日平均39人の死者が出ている。

ウム・サードが被っている悲惨な状況は、数年にわたる戦争の影響が累積したものである。暗い色のゆったりした服を着て、アル=ハドラの粗末な家の質素な居間に腰掛けた49歳のウム・サードは、家族が徐々に破壊されていった様を語った。「私は教育を受けていません。小学校を出ただけなのです」と彼女は言う。「ラティフという空軍のパイロットと結婚し、3人の息子と一人の娘をもうけました」。

1990年から91年の湾岸戦争のとき、ラティフはバグダードの来たにあるバラッドのバクル空軍基地に詰めており、米軍の爆撃で死亡した。「叔父たちや叔母たちは支援してくれなかったので、私たちは夫の年金で暮らし、シボレー・マリブを売りました。この車は、彼が空軍パイロットだったので政府から支給さrたものでした」とウム・サードは言う。

上の息子サードは、父親と同じく軍士官学校に行きたがった。ウム・サードは息子を失いたくないと説得し、サードは警察学校に行った。警部補として学校を卒業したのは、2003年4月、サダム・フセイン政権が転覆されたときである。彼女は息子に警察の職を辞してもらいたかった。「イラクが転覆されたあと、[スンニ派ゲリラの]標的とされたのは、まず米軍兵士、それからイラク警察でした」。

サードは辞職について迷っていた。というのも、父親を殺したのはアメリカ人だったが、家族には彼の収入が必要だったからである。結局、警察を辞めることにしたが、辞任する前の2003年10月25日、彼の務めるハドラの警察署が大規模な自動車爆弾によって爆破された。爆発では負傷しなかったが、友人を助けようとピストルを抜いて走り出した彼を見た米軍兵士たちは、自分たちを攻撃しているのだと考えた。「米軍兵士は息子の頭に銃弾を6発、体にはさらに多くを撃ち込んだのです」と母親は言う。

このとき、アメリカ人を憎み始めたと、ウム・サードは言う。「彼らが同じ人間だとは思いません」。彼女は、残された3人の子どもの命を救うことに専心した。とりわけ心配だったのは、高校の5年生だった17歳のサイフだった。友人の多くがイラク・アルカーイダに参加したからだった。ウム・サードは、サイフがシリアに行けばもっとも安全だろうと考え、2006年の末に、すでにシリアに家族で避難していた従姉妹のマリアムがサイフを好いていて、結婚したがっていると伝えてサイフをシリアに行かせた。シリアがビザと居住条件を変更したため、サイフは昨年10月、バグダードに戻っていた。

ウム・サードは「治安状況がひどかったのでどうにもならないほど心配だった」という。ハドラの米軍がアル=サフワ、すなわちスンニ派で、アルカーイダに対抗する組織である覚醒委員会を作ったのはその頃だった。

「私は大馬鹿でした」とウム・サードは苦々しく回想する。「アメリカ人が父親と兄を殺したので、サイフがアルカーイダに参加することが危険だと考えていたのです」。実際には、彼は秘密でアル=サフワに参加し、一カ月に400ドルを稼ごうと考えていた。2月15日の夜、家族が夕食を食べていたとき、ドアをノックする者がいた。サイフがドアを開けにいって、ウム・サードは銃声を聞いた。「すでに遅かったのです」と彼女は言う。「サイフは死んで玄関に倒れており、胸には『アル=サフワに死を、アルカーイダの敵すべてに死を』と書かれた紙が置かれていました」。

パトリック・コックバーンは「The Occupation: War, Resistance and Daily Life in Iraq」の著者。この本はNational Book Critics' Circle Awardのベストノンフィクション最終選考に残った。近刊は「Muqtada ! Muqtada al-Sadr, the Shia Revival and the Struggle for Iraq」で4月にScribnerから刊行予定。

3月22日(土)13:00〜、ワールドピースナウのパレードがあります。

投稿者:益岡
posted by 益岡 at 10:31| Comment(0) | TrackBack(0) | イラク全般
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