2008年02月07日

植民地イラク:米帝国の継子

米国によるイラク侵略と不法占領からもうすぐ5年。3歳の子どもは8歳に、小学校6年生の子どもは高校生になっています。
植民地イラク:米帝国の継子
2008年2月2/3日
ロバート・ファンティナ
CounterPunch原文

ニューヨークタイムズ紙に最近掲載された記事は、米国がイラクに突きつけた要求の概要を示している。そこには次の点もあった:「ブッシュ政権は、バグダードの政府に対し、米国にイラクでの戦闘作戦に関する広汎な権限を与えるよう、また、民間人契約要員にイラク法の適用除外規定を設けるよう要求することになる」。これが、ブッシュ氏が構想する民主的イラクというわけだ。

この一文には、米国議会と国連、そしてアラブ世界全体に少なくとも2点において危険な警告となっている概念が含まれているはずであるが、おそらく実際に警告を感じ取って反応するのは後者だけだろう。それぞれの概念、そして影響を受ける可能性のある側の反応を予期すると、かなり恐ろしい状況が浮かび上がる。

ブッシュ氏が語るところでは、米国は「イラクでの戦闘作戦に関する広汎な権限」を持たなくてはならない。2003年、ブッシュ氏はその権限を求め、当時共和党が多数派だった議会の積極的黙従のおかげで、それをやすやすと手にすることができた。それ以来、共和党も民主党も同様に、彼の思うままにいかなる規模の戦闘作戦に対しても「権限」を彼に与え続けてきた。ブッシュ政権の恐怖時代最後の年に、この状況が変わることはなさそうである。

国連はどのように反応するだろうか? 米国は拒否権を発動できるため、ブッシュ氏の帝国主義的なイラク破壊----すでに十分進められている----を阻止するために国連ができることは少ない。けれども、加盟国は米国がイラクに出した新たな要求を、そう簡単には容認しないだろう。それでも米国は、国際法と世論を無視して議会と軍を通しこれをごり押しするだろう。

ある国が、自ら自分には他国の市民を完全に虐待し踏みにじる権利があると認めさえすれば、その国はそうしてよいなどという考えを受け入れることは困難である。過去に、世界はそのようなふるまいにおののいてきた。第二次世界大戦のときにドイツがポーランド、オーストリア、フランスをはじめ周辺各国を侵略したとき、ドイツは、現在の米国とまさに同じように、自らその権利を自国に与えていただけだった。ロシアがアフガニスタンを侵略したときも、現在の米国同様、ほかの主権国家を侵略する権利を勝手に自分自身に与えただけだった。1990年にイラクがクウェートを侵略したときでさえ、イラクが勝手にその権限を自分に与えただけだった。ただし、このときは、国境と石油をめぐる永年の論争が侵略の動機となっていたが。当時、米国は、最近と比べると、そうした侵略という考えに対してもっと慎重だった。

最後に、どれだけナイーブであろうと、イランやサウジアラビア、中東諸国が、米国がイラクで戦闘作戦を展開する権限を自己付与することに喜んでいるなどと考えることは決してできないだろう。ブッシュ氏が、イランが3年前に核兵器開発計画を停止しているという国家情報局が2007年末に出した報告を無視していることを考えると、イランが、イラクに米軍が増派されたり長期にわたって滞在することを歓迎する理由はない。中東全土で、各国は、米国が帝国主義を全面展開している様子をありありと目にしている。米国市民のほとんどとは違い、イラクの近隣諸国に住む市民の多くは、相対的に安全な近隣諸国に逃げてきた数百万人のイラク市民を通して、戦争の「副次的被害」を自ら経験している。難民の数が膨大であるため、受け入れ国の経済とインフラには大きな負担がかかっており、米国が暴力とテロをイラクでさらに強化すれば、難民数はさらに増えることも明らかである。

第二の問題点は、民間人米国契約要員の行動である。「解放された」イラクで、どうしてそうした契約要員に「イラク法の適用除外規定」が必要なのだろうと考え込まざるを得ない。なぜ、外国のビジネスが他国の法律を破ってよいのだろうと疑問を呈するのは妥当なことではないだろうか?

概念自身を作り出した者たちのねじれた観点以外の観点から眺めるならば、この概念は異様なものである。ブッシュ氏は合衆国憲法を侵害する権限を自らに与え、自らを米国法の適用例外とした。例えば、彼は次のようなふるまいは完全に妥当だと感じている:米国に対して何の脅威ともなっていない主権国家を侵略すること、米国市民のプライベートな会話を盗聴すること、ジュネーブ条約が禁じ、米国以外の世界が拷問として禁じている「尋問技術」を許可すること、気の向くままに法の適性手続きを剥奪すること、「人権を守れ」という「論争の余地ある」スローガンの書かれたTシャツを着た人々を政治的なイベントから強制退去させること、など、例をあげればきりがない。彼が今やイラクにいる米国のビジネス----大規模なビジネスの多くは「入札なしの随意契約」でイラクにいる ----に賃金や安全基準を破ってイラクの人々を奴隷化し、天然資源を盗掘し、粗悪な小独裁者としてふるまい、それを通してビジネス界の指導者たちの富を増やす一方イラク人には枯れ枝一つ残さないでうち捨てるようにすることを認めたがっていることは、別に驚きではない。そして米国議会がブッシュにことあるごとに米国の法律に違反することを認めてきたことを考えると、同じことを続けようとして議会に阻止されるなどとブッシュ氏が考える理由はない。

これが、ブッシュ氏版の「解放」である。これが、世界最強の米国がその人殺しの目を天然資源の豊富な国に向け、ほとんどの米国市民や実際に石油を有するイラク市民の想像を遙かに超えた規模で米国の政治指導者たちおよび汚職にまみれたどん欲な取り巻きたちの富を増やそうとしたときに起こることである。ブッシュ氏にとって「解放」とは、どうやら企業の利益に邪魔になる老若男女の人々を破壊することを意味するらしい。民主主義は資本主義を意味し、米国が欲する資源を持っているという不幸な立場にある人々がそれを望まなければ、「民主主義」を強制する。

米国は現在、大統領選挙の予備選を行っており、現在のところ共和党候補はアリゾナ州選出上院議員ジョン・マッケインかマサチューセッツ州知事ミット・ロムニーになりそうな気配であるが、いずれにしても大統領になったらブッシュ氏の凶悪な政策を続ける決意でいるようである。民主党はといえば、オバマ大統領かクリントン大統領は、変化について語るかも知れないが、レトリックの背後で何か現状を変えるために行動を起こすわけではないことを二人のこれまでの議会における投票歴は示している。

したがって、どうやらブッシュ氏は、イラクの人々に自分たちの国というものをあきらめさせ、かわりに裕福なアメリカ帝国の継子の地位を与えるよう期待し続けることは確かなようである。その継子は、石油と、石油精製に必要な安い労働力としてしか役に立たないものと見なされる。ブッシュ氏はまた、おそらく誤ってはいないのだろうが、彼の後継者もこの観点に同意すると考えているようである。

大統領と、誰になるにせよその後継者たちにとって不幸なことに、ブッシュ氏が戦争を始めてからずっと、イラクの人々は、米国が押しつける二級市民としての地位に甘んじようとはしていないことを示してきた。けれども、ブッシュ氏は事実がどうであれそれに煩わされることは決してない。彼のみだらな帝国主義的目標が実現するのを阻止するためには、イラクの犠牲者たちの、血にまみれた遺体だけなのかも知れない。

ロバート・ファンティナは「Desertion and the American Soldier: 1776-2006」の著者。

投稿者:益岡
posted by 益岡 at 20:55| Comment(0) | TrackBack(0) | イラク全般
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