2007年12月30日

ファルージャ、情報戦争、米国のプロパガンダ

2004年4月と11月に米軍がファルージャで犯した戦争犯罪と虐殺。それをめぐって、シュールリアルな米軍諜報報告がリークされました。心理学者のスティーブン・ソルツによる報告の分析と解説。
2004年のファルージャ攻撃をめぐる米軍の諜報分析
ファルージャ、情報戦争、米国のプロパガンダ
スティーブン・ソルツ
2007年12月27日
CounterPunch原文

多くの人にとってはすでに遠い過去のこととなってしまったが、イラクの都市ファルージャでの戦闘と、南部でのアル=サドルの蜂起は、イラク占領における決定的な転回点だった。世界のほとんどの人が、この戦闘により、占領が多くのイラク人にとって嫌悪の対象であり、そうしたイラク人が占領政策を手詰まり状態にさせるまで戦う意志と能力を備えていることを知った。戦闘はいずれも、膠着状態になって終わった。米軍はレジスタンスを粉砕するために軍事力を全面的に展開できなかった。第一次ファルージャ戦争に関して米軍----米軍グランド諜報センター----が出した諜報分析により、米軍が何を考えていたかについて新たなことがわかっている。この報告は、『複雑な状況:第一次ファルージャ戦争、2004年4月』という表題で、Wikileaksのウェブサイトにリークされた。

第一次ファルージャ戦争(第二次の戦争は2004年11月に始まり、占領軍がファルージャを占拠した)は、ファルージャの橋で4人の米軍契約要員がリンチされた映像から始まった。

新たな文書は、ファルージャ攻撃が、イラクにおける米軍占領に対する抵抗の象徴を粉砕するために計画されたことがわかる。「2004年3月31日、米ブラックウォーター社の要員4人が殺され、焼き払われ手足を切断された死体の映像が世界のテレビで放映された。米国防長官ラムズフェルド、CENTCOM司令官アビザイド将軍、連合軍暫定統治当局(CPA)のブレマー大使は、速やかな軍事的対応が必要であると決断した。ファルージャは、国際的なニュースの一面を飾るレジスタンスの象徴となったからである」。

メディア戦争

象徴的闘いにふさわしく、分析ははっきりと、情報戦争が何よりも中心であると述べている。米軍海兵隊がファルージャを奪取できなかったのは、諜報報告の執筆者たちによると、レジスタンス(執筆者の用語では「ゲリラ」)部隊が、メッセージを世界に伝えることができたためであるという。

「ゲリラたちは情報作戦(IO)の価値をはっきり認識しているようだった。ゲリラにとって、IOは停戦を促す政治的圧力を高める最も効果的な手段だった。彼らは偽情報[ママ]をテレビ極に流し、ボランティアを集め寄付を募集するプロパガンダをインターネットに流し、路上で噂を広めた」


米軍の諜報報告は、アルジャジーラを始めとするアラブのメディアがレジスタンス側の物語を伝える役割を担ったことに対する米国の指導者たちの憂慮をくり返している。

「軍事作戦を停止させる政治的圧力を強める決定的な役割を担ったのはアラブの衛星ニュース放送である。たとえば、CPAは、4月6日から13日の戦場での出来事について誤報や歪曲を含む報道をアルジャジーラが34回行なったことを記録している。4月14日から20日に、アルジャジーラは「過度の武力行使」という主題を11回取り上げ、連合軍[占領軍]に反対する様々なセクトに、米軍が都市部でクラスター爆弾を使い、イラクの子どもたちを誘拐して拷問しているという主張を放映した。アル=アラビヤが流した否定的な報道6つでも、もっぱら、過度の武力行使に焦点を当てていた。全体として、否定的報道の質的内容は、どんどん甲高い口調になり、両局ともに、まったく根拠のない主張でさえ事実と認める態度になったようである」

「4月の第一週に、ゲリラはアルジャジーラの記者アフメド・マンスールと彼の取材チムをファルージャに招き、病院で死んだ赤ん坊の死体を映像に収めさせた。連合軍の空爆で死んだとされるものだった。パレスチナ人のインティファーダとの比較もなされた。血にまみれた子どもたち、泣き叫び、悲嘆に暮れる母親たちの映像が流された」。


諜報報告はまた、軍の見解では、西側のメディアは米軍のプロパガンダ作戦の一環に位置づけられていることもはっきりと示している。これは、西側の記者を米軍の部隊に軍属させることにより実現される。ファルージャ戦争で米軍が失敗したのは、米軍側の物語を伝える軍属記者がいなかったためであると諜報報告の著者たちは述べる。

「ファルージャに西側メディアがいなかったため、ゲリラはファルージャについての情報を相当コントロールすることができた。西側の記者たちは捉えられ処刑される危険があったため、ファルージャに近寄らず、アラブ人のカメラマンが撮影しアルジャジーラが放映したビデオを用いざるを得なかった。それにより、反連合軍プロパガンダがさらに強化された。たとえば、最大600人の民間人が殺され1000人の民間人が負傷したという偽の主張に対し、西洋の記者たちは戦場に入らなかったため、反駁することができなかった。

西洋の記者たちは、ファルージャで戦う海兵隊部隊にも軍属していなかった。軍当局が提出する視覚的証拠がなかったため、アルジャジーラがファルージャに対する世界の理解を作り上げた」。


しかしながら、この説明は嘘である。ファルージャには、少なくとも二人「西洋の記者」がいたし、ほかに西洋の市民もいて、戦争がファルージャ市民に及ぼした影響について詳しい情報を伝えていた。これらの人々は、少しの間レジスタンスに拘束されたが、処刑されることなどなく、速やかに釈放された。軍の諜報報告がこうした記者のことを無視したのは、これらの記者が独立系記者で、米軍に軍属していたわけでもなく、また、米軍の主張と見解に特別の配慮を示すという主流派メディアの暗黙の規則に縛られてもいなかったからである。さらに、これらの西側記者が報告し目撃したことは、米軍が述べることとまったく異なっていた。

民間人犠牲者

ダール・ジャマイル----当時はニュー・スタンダードの記者だったかんじのメディアは今はない----は、包囲されたファルージャに入る責任を感じた一人である。

「ファルージャでは、米軍兵士に狙撃された女性や子どもがひっきりなしに、汚れた診療上に運び込まれてきました。家族が泣きながら、車を猛スピードで運転し、こうした人々を診療所に連れてくるのです。

ある女性と小さな子どもは、首を撃たれていました。押し殺したようなうめき声を上げる中、医者たちが懸命に治療している間中、女性はごぼごぼという音を立てていました。

小さな子どもはぼんやりした目で空中を見つめ、嘔吐し続けていました。医者は彼の命を救おうと懸命でした。

30分後、どうやら二人とも、生き延びることはできないようでした」。


軍の報告ではファルージャ攻撃でクラスター爆弾は使われなかったというが、ジャマイルは、クラスター爆弾による傷ではないかと思われる傷を負ったけが人を目撃している:

「それについての報告もあった。診療上に新たに運び込まれた犠牲者の二人について、地元の人々は、クラスター爆弾にやられたと語った。二人はひどく焼けただれ、体がずたずたに切り刻まれていた」。


もう一人、存在しないはずの「西洋の記者」に、ラフール・マハジャンがいた。彼は、Empire Notesブログのほか、様々な代替ニュース・サイトに記事を執筆している。2004年4月11日、彼もファルージャからの報告を行っている。

マハジャンもジャマイルと同じグループにいたため、彼もまた大規模な民間人犠牲者について報道していることは驚く事ではないのかも知れない。

「私たちがその小さな診療所にいた約4時間のあいだに、恐らく12人ほどのけが人が運び込まれた。その中に、18歳の若い女性がいた。頭を撃たれていた。診療所に運び込まれたとき、彼女は発作状態で口から泡をふいていた。医者たちは、その晩を彼女が持ちこたえることはできないだろうと考えた。もう一人、死を前にした犠牲者がいた。ひどい内出血状態の少年だった。上半身がひどく焼けただれ、腿にクラスター爆弾によるもののような傷を負った男性も目にした。泣き叫ぶ家族、「アッラー・アクバル」(神は偉大なり)という叫び声、そしてアメリカ人に対する怒りが渦巻く混乱状態の診療所で、それを確認するすべはなかった」。


当時ファルージャにいた他の西洋人もマハジャンも、米軍兵士は、民間人の乗る救急車にも発砲してきたと報道して、この空白に対する説明を与えている。

「ファルージャに来る前に、そのことを間接的に耳にしていたが、信じていなかった。ここでは本当のことを知るのは難しい。けれども、これについては私自身がこの目で目撃したのだ。運転席側のフロントガラスに、正確に銃弾であけられた二つの孔。方向は、この二発が運転手の胸を撃ち抜いたことを示していた(狙撃手は屋上におり、胸を狙うよう訓練されていた)。もう一台の救急車にも、銃弾によるきれいな孔が一つあいていた。パニック状態で銃をでたらめに撃った結果ではあり得ない。救急車を運転する人々をねらい澄まして射殺するために発砲した痕だった。

救急車は、赤・青・緑のライトを点滅させ、サイレンを鳴らしながら進んでいた。明かりを消した真っ暗闇の都市で、それが救急車以外の何かと間違えられる可能性はゼロだった。肌の色が白いことを利用して負傷者を連れ出すことを狙撃手に認めさせようと私の同国人が乗って出かけた救急車も、そのときやはり狙撃された」。


ファルージャにいた西洋人の一人で英国人のジョー・ワイルディングは、狙撃を受けた救急車の一台に乗っていた。彼女はそのとき、妊娠した女性を、病院に運ぶために迎えに行くところだった。ワイルディングと救急スタッフは、西洋人が乗っていれば、米軍の攻撃から救急車を守ることができると期待したのである。

彼女たちは間違っていた。

「アッザムが運転し、真ん中にアフメドが座ってナビ役をし、私は、外国人であることが外からわかるように窓際に座って、パスポートを見せていた。私の手の回りを何かが飛び散った。救急車に銃弾が当たったのと同時だった。プラスチック製のどこかがはがれ、窓の横を飛んでいった。

救急車を止め、サイレンを止めて、青いライトだけを点滅させ、建物の角にいる、米軍海兵隊の制服を着た男たちのシルエットを見つめて、待った。何発か発砲された。身をできるだけ低くかがめた。小さな赤色光がウィンドウにあたり、私の頭上を走るのが見えた。よくわからないが、何発かは救急車に当たった。私は歌い始めた。自分に向けて誰かが発砲しているとき、他に何ができるだろう? 大きな音をたて、車体をふるわせて、タイヤが破裂した。

怒りで頭に血が上った。包囲された都市で、医療も電気もないまま出産しようとしている女性を私たちは迎えに行こうとしている。救急車であることをはっきり示して。あなた達はそれに向かって発砲している。どうしてそんなことができるの?」


バグダードでも、イラク保健省の記者会見に出席した西洋の記者はマハジャンとジャマイルだけだった。この記者会見でイラク保健省は、米軍がファルージャで(そしてバグダードのサドル・シティで)救急車を狙撃したとはっきり述べたのである。

「質問の時間に、救急車の狙撃について聞かれたアッバスは、米軍が救急車を狙撃していることを確認した。ファルージャやファルージャ近郊だけででなく、サドル・シティでも救急車を狙撃していると。彼は、この行為は犯罪であり、イラク統治評議会(IGC)とブレマー[占領下イラクでの米国総督]に説明を求めたと述べた」。


一方、ファルージャで、ジョー・ワイルディングは、米軍兵士が民間人に発砲しているのを目撃していた。それは、米軍の諜報分析が言及する「連合軍が副次的被害に関して抱く憂慮」を示している。

「白いディスダシャを身につけうつぶせになった男性がいた。背中に赤い小さなしみがあった。彼のもとにかけつけた。ハエのほうが先だった。デーヴが彼の肩もとにいて、私は膝の横に立ち、ストレッチャーに彼を転がして乗せた。デーヴの手が彼の胸を突き抜けた。銃弾が遺体の胸を背中から入って心臓をえぐり出していたためにできた穴だった。

遺体は武器など手にしていなかった。私たちがその場に行ったとき、はじめて、遺体の息子たちが出てきた。泣き叫びながら。彼は武器など持っていなかったと彼らは叫んでいた。丸腰だった。門のところに出ただけで、米軍が彼を撃った。それから、誰一人怖くて外には出られなかった。遺体を取りに来ることもできなかった。恐ろしく、おびえて、遺体をすぐに埋葬しなくてはならないという伝統にも従うことができなかった。私たちがやってくることは知らなかったのだから、あらかじめ武器を隠して遺体だけ残しておいたはずはない。

彼は丸腰だった。55歳で、背中から撃たれていた」。


「副次的被害」に関係するもう一つの問題は、米軍が民間人を潜在的「ゲリラ」----「軍事年齢」と米軍が見なす男性全員----とその他の人々に分けたことにも見られる。「その他の人々」はファルージャあるいは戦闘地域から逃げることを許された(「戦闘を通して、連合軍部隊は戦闘年齢以外の男性と、女性、子どもが警戒線の外に避難することを認めた」)が、戦闘年齢と見なした男性----恐らく約25万人からなる都市の数万人----はファルージャを出ることを認められず、したがって狙撃の標的とされた。ワイルディングが述べた、上記の、ほとんど疑わしいふるまいもしないのに射殺された男性のようにである。

ワイルディングは、ボランティアのグループが米国の攻撃前に民間人を避難させようとしている中、この戦略が適用されたことについて述べている。

「俺たちは家を掃除するんだ」と上級士官が述べた。

「家を掃除するって?」

「一軒一軒家に入って武器を探すのさ」。彼は時計を確認していた。いつ何が始まるかはもちろん言わなかったが、支援の空爆があることはわかった。「それ[避難]をやるなら、すぐやったほうがいい」。

狙撃の前線の外に安全に連れ出してもらえると期待して、人々が家々から続々と出てきた。子どもたち、女性、男性。みんな避難することができるのか、それとも女性と子どもだけなのか、心配そうに私たちに聞いてきた。米軍のところに訊きにに行った。若い海兵隊員が、戦闘年齢の男性は脱出できないと述べた。戦闘年齢って? 彼はちょっと考えて、45歳以下、下限はなし、と言った」。


米軍諜報報告には、また、様々な解釈の余地があるとはいえ、都市でゲリラのレジスタンスと戦うことの困難、そして恐ろしい行為をなす可能性について、ぞっとする文言が含まれている。

ファルージャの家の構造を述べるにあたって、報告は淡々と、次のように述べている。

「家々はすべて煉瓦で作られ、モルタルが厚く塗られている。ほとんどすべての家で、破片手榴弾を使うことができる。壁を破片が突き抜けることはない。各部屋一つ一つに破片手榴弾を使うことができる」。


報告書が扱っていないこと

戦闘において米軍兵士は「戦争法規」に則り、大規模な「副次的被害」を避けたと強く主張しているにもかかわらず、何十万人もの住民がいる都市の「複雑な環境」の中で「副次的被害」を減らすために取られた戦略について一言もないのは印象的である。もちろん、ジャマイル、マハジャン、ワイルディングの報告から、「副次的被害」を概ね避けることができたという米軍報告は、よくとっても誇張の産物であることがわかる。

ファルージャ戦闘と情報戦の性格について有用な分析であるとはいえ、この諜報報告は、やはり、米軍占領部隊が、諜報分析部門を含め、占領に対する民族主義的な反対感情を理解できないことを示している。報告にはファルージャにおけるレジスタンス組織について興味深い議論----分散しているために破壊しにくい司令体制と調整体制----はあるものの、報告の著者たちは、米軍海兵隊がレジスタンス戦士たちに対して述べた「軍事組織というよりは「邪悪なロータリー・クラブ」」という言葉をくり返す誘惑に抗しきれずにいる。

諜報報告はまた、ファルージャの闘いの政治的文脈に対して米国がまったく無知であることを示している。

報告は、米国子飼いの「イラク統治評議会」の中にも、ファルージャ攻撃に対する反対の声が高まっていることに言及し、「イラク統治評議会は破綻しはじめている。3人が辞任し、5人も辞任すると言い始めている。スンニ派の政治家は「集団的懲罰」作戦を検討し始めている」と述べる。

しかしながら、諜報分析は、ファルージャの戦闘があったとき、多くのイラク人にとって占領そのものが非常に嫌われていたことが、ファルージャ攻撃において米国のふるまいを妨げたことに言及していない。

例えば、USAトゥデイ/CNN/ギャラップが2004年3月末から4月上旬に行なったイラクの世論調査では、

「米軍主導の占領軍がイラクに害よりも善をなしていると考えるイラク人は3分の1にすぎず、圧倒的多数は、軍の即時撤退を支持している。それによってさらなる危険があることを恐れながらである。米軍主導の連合軍は『解放者』か『占領者』かと聞かれると、71%が『占領者』であると答えている。

分離主義で親米の立場を取る北部イラクのクルド人少数派を除けば、この数値は81%にのぼる。

イラクに連合軍がなければ、もっと不安を感じると53%の人が述べているが、それにもかかわらず、57%の人が、外国の部隊は撤退すべきだと言っている。これらの答えは、ファルージャとナジャフで軍兵士とゲリラの戦闘が起きる前のものである」。


占領が不人気であることを認めることができないまま、諜報報告は、反対の声がますます高まる中で占領を維持することの困難に対する米国の無知・無恥をくり返す。その結果、諜報報告では、ファルージャの人々がレジスタンスの戦士をどれだけ支持していたかについて十分な注意を払っていない。けれども、もしかすると、「心を掴む」ことが議論されていないということは、人々の「心を掴む」ことが実現不可能な目標であること、そして占領に対する組織的抵抗の象徴であるファルージャを粉砕するという米軍の欲求にとって無意味であることを暗に認めているのかも知れない。

11月の攻撃準備

報告では、2004年11月下旬に米軍が行なった第二のファルージャ攻撃を準備するために用いられた戦略に関してもいくつか言及がある。この第二次攻撃で、米軍は、建物を数千破壊し、何万人もの難民を生み出し、レジスタンスと民間人に数知れぬ膨大な犠牲者を出して、ファルージャを占領した。

11月の攻撃を準備するにあたり、米軍は総攻撃前の「準備作戦」に多くの時間を割いた。

「準備作戦は、民間人を戦場から取り除くもので、多くの有利な副作用があった。2004年4月のファルージャでは、攻撃作戦の前の環境整備に数日しかなかった。戦地にいた非戦闘員の間にゲリラは隠れることができ、CJTF−7の戦闘能力を制限する結果となった。また、アラブのメディアが報道する心情的な素材を提供してしまった」。


2004年10月31日にガーディアン紙が報じたように、

「ゲリラとの戦闘が長引く中、米軍戦闘機と大砲がファルージャの標的に注ぎ込まれた。近くの米軍基地にいたある海兵隊員は、この攻撃は、この2カ月で最大規模の爆撃であると述べた。この午後、スンニ派ムスリムの都市の南東地区に、少なくとも12発の空爆攻撃が命中したと目撃者は述べた」。


この「準備作戦」は概ね効果をあげ、2004年10月26日にはロイター通信は次のように報じた。

「住民の4分の3は、米軍の空襲を避けるために他の都市に避難しました。とりわけ女性と子どもは」と教師のアブデル・アジズ・イブラヒムは述べた。

銀行員のモハメド・アル=アルワニは「ファルージャを眺めれば、誰でも悲しみしか感じないでしょう。損害は膨大で、郊外地域は地震にでも襲われたかのようです」と述べた。


4月に占領に対するレジスタンスの象徴であるファルージャを破壊できなかった米軍は、11月の攻撃でこの目的を決定的に果たすべく準備した。クリスチャン・サイエンス・モニター誌が攻撃前に解説しているように、「今思い浮かぶ考えは、『どうしてイラクは[二次大戦後の]ドイツや日本のように、打ち負かされたことを知っているように見えないのだろう?」とバージニア州アレクサンドリアにあるGlobalsecurity.orgの軍事アナリスト、ジョン・パイクは言う。「我々が直面している問題の一つは、イラクの人々は自分たちが敗北したことを知らないということだ」と彼は言う。「ファルージャは、決定的に粉砕され、敗北を感じる機会になるだろう」。

あるいは、同じ記事の中で別の西洋人アナリストが述べたように、「ここでの論理は、ファルージャをぺちゃんこにし、ファルージャの首を見せて、『命令に従え、さもなくば次はお前だ』ということにある」。これは、ロンドンの国際戦略問題研究所のイラク・アナリスト、トビー・ドッジの言葉である。

米国はまた、4月の攻撃で情報戦に失敗したという認識からも学習した。諜報報告の見解では、4月には、その結果、勝利の前に攻撃をやめざるを得なかったらしい。11月には、イラク人記者を含め多くの記者を米軍に軍属させ、諜報報告が言うように、記者たちを米軍のプロパガンダ部隊として活用した。

11月には、情報戦の操作により大きな成功を収めはしたが、その代償に、米国は、イラクが全面的な内戦に落ち込んでいることを記者の目と、世界に隠すことが出来なくなった。現在、各所で様々なグループの間で起きている内戦が収まっていることから、米国が情報戦----実際の占領戦争ではなく----さらなる成功を収めることができるかどうかは今後を見なくてはならない。

スティーヴン・ソルツは心理分析家、心理学者、公衆衛生の研究者で、ボストン心理分析大学院のスタッフPsychoanalysts for Peace and Justice ウェブサイトと Psyche, Science, and Societyブログを運営している。

ファルージャ2004年4月を改めてお読みいただけると幸いです。また、それと「セット」の土井敏邦さん「ファルージャ2004年4月」ビデオも、ぜひご覧下さい。

投稿者:益岡
posted by 益岡 at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | ファルージャの状況
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