2011年04月06日

イラク戦争:具合の悪くなる破壊

なんとなくまとまりないですが、1991年以来の20年間、米国がイラクの人々に何をしてきたかを振り返る記事。
イラク戦争:具合の悪くなる破壊
ロン・ジェイコブズ
CounterPunch原文
2011年1月6日

20年前の1月、世界はほとんど確実に訪れる戦争を待ち受けていた。1991年1月16日、米軍主導のイラク攻撃が開始された。それから2カ月と少しして、戦争は終わった。

世界中で何百万人という人々が、戦争突入に反対して路上デモを行った。ワシントンDC、ロンドン、ベルリン、東京、バングラディッシュ、ガザなど、至る所で、1991年1月16日、攻撃が始まるまでの数ヶ月にわたり、抗議行動が続けられた。私自身、戦争が始まる前日に反戦抗議行動に参加したが、それはこれまで私が参加した中でも最も強く感情を動かすものだった。ワシントン州のオリンピアで行われたものだった。人口約10万人の郡で、3000人以上の人々がラリーに参加し、ワシントン州会議事堂に行進した。それから建物を占拠し、数時間にわたりそこにとどまった。以下に、何年も前に私が書いたエッセイから、このときの様子を紹介しよう(私の本『Tipping Through the American Night-Ron』で発表されている)。

「参加者のほとんどが州会議事堂前の駐車場に到着してから、ピーター・ベーマーが話し始めた。彼は20分にわたり雄弁な演説を行って正義を求めまた帝国主義戦争に反対するよう人々を促したのち、全員に向かって、州会議事堂の中に一緒に入ってワシントン州議会にイラク戦争に反対する決議を採択するよう求める請願を提出しようと呼びかけた。人々は扉に向かい始めた。中に入るとき、警察が人々にプラカードを扉のところに置いておくよう求めた。中に入った人々は、再び「戦争反対!」と呼びかけ始めた。人々の大部分は円形広場にとどまったが、参加者のうち500人ほどが議場へのドアを探し、見つけ出した扉から部屋になだれ込んだ。その日、議会はデモのため早く終了しており、部屋には誰もいなかった。けれども間もなく、1000人近い人々が部屋に入り、スローガンを唱えたり、話したり、踊り始めた。組織化の進んだメンバーたちは、より長期的な計画の戦略をたて始めた。彼らは人々の間に多少の秩序を導入し、提案した決議に議会が対応するまで議堂を選挙したいと表明した。その間、警察は部隊を集め、ウォーキートーキーでお互いに連絡を取り始めた。メディアは全国ニュースと CNN経由でテレビに向け、自分たちが作ったバージョンの報道を行っていた。1時間としないうちに、この行動についてのニュースが広がり、デモ参加者が長期的に議堂を選挙しようと落ち着き始めたときさらに多くのメディアがやってきた。暗くなる頃には、ほとんどの人が議堂を立ち去った。家に戻った人もいたが、大多数は国会議事堂で1時間前に始まったビジルと祈りのセッションに合流したのである。

翌日、攻撃が始まった後、世界中で抗議行動が行われた。けれども、この抗議も聞き届けられなかった。ジョージ・ブッシュ(父)と米国議会そしてペンタゴンは、何があれ決定的にベトナムシンドロームに終止符を打とうとしていた。

このときの戦争が終わり、米軍が帰国して空疎な国粋主義を示し、パレードを行ったり背負う具運たちが大リーグの試合で始球式を行ったりしているとき、イラクの人々は国の再建に最善を尽くし、一方米軍兵士たちはそれぞれ自分だけで悪夢と対峙していた。米軍と連合軍の死者は500名を越えなかった。イラク人5万人が死亡した。それからの年月で、米国が(国連安保理の共謀のもとで)イラクに加えた経済制裁により、50万人以上のイラク人が死亡したと推定されている。米英の戦闘機が「遊覧飛行」と称してイラク上空に出撃し、時折、イラクの都市や軍施設を攻撃した。多くの米軍退役兵士が戦争が原因で病気になり、また、死亡した。その原因の一つは、湾岸戦争症候群として知られる新たな病があった。

経済制裁下、米軍機が上空を飛ぶ状況のイラクを平時と呼ぶことはできなかった。現在から振り返るならば、それもまた、米国政府がイラクに対して続けている 20年に及ぶ戦争----それは現在も続いているのだが----の一つに過ぎないものだったことが容易にわかる。私たち皆が知っているように、2003 年、ジョージ・W・ブッシュが父と同じ道をたどって戦争を数段激化させ、さらに血塗られた段階が始まった。それ以来、数十万人のイラク人が命を落とし、 4400人以上の米軍兵士が死亡し、他の国の兵士や労働者も数百人が命を落とした。この戦争による破壊はほとんど徹底的だった。戦争の目的の中には、達成されたものもあれば、うやむやになったり忘れ去られたものもあった。放棄されたものもある。イスラエルの中東における支配的な地位は20年前よりもさらに大きくなった。サダム・フセイン政権は完全に破壊された。米国の石油価格は安くはなく、米国政府が石油を支配できるかどうかははっきりしていない。いっそう重要な点は、イラクの国が流血の場となっており、人々は(とりわけ)自動車爆弾や山賊行為、汚職の横行、インフラの欠如----1991年の戦争で米軍に破壊されたのち、イラク人技師たちが再建したが、2003年に戦争が新段階に突入してまた破壊された----苦しんでいる。

アメリカ合衆国がイラクの人々と国に加えた破壊と死、苦しみは、歴史上最も酷い犯罪の一つに数えられる。それにもかかわらず、誰一人責任を取っていない。この犯罪を犯した中心人物たちの多くが、あたかも礼儀正しい人物、さらには道徳的な人物であるかのようにみなされ、賞を受けたり名誉職に就いたりしている。ジョージ・ブッシュ父は、ビル・クリントンとともに、無辜のイラク人が流した血で染まった手で、ハイチ地震の被災者募金収集を行っている。トニー・ブレアは国連の中東大使に任命された。息子のブッシュとその高官の多くが、著書から印税を得ている----ブッシュの場合、アメリカ合衆国の名のもとにイラクで犯した数多くの戦争犯罪に加担したことを記述した本により。おそらく彼らは、自分たちの著書に、自分たちが殺した人々の血で書名すべきなのだろう。将軍と政治家は、砂漠の嵐、衝撃と畏怖、イラク自由作戦、新たな夜明け作戦など、様々に名付けられた犯罪から利益を得た。結局のところ、バラク・オバマもまた、手に付いた血を拭こうとしてマクベスを繰り返すことになるのだろう。それとも、前任者たちがそう見えるのと同じように、潔白を装うのだろうか。

ロン・ジェイコブズは『The Way the Wind Blew : A History of the Weather Underground』の著者。ビッグ・ビル・ブルーンジーについてのエッセイはCounterPunchの音楽・芸術・セックスアンソロジー『Serpents in the Garden』にフィーチャーされている。処女小説『Short Order Frame Up』はMainstay Press刊。最新の著書『Tripping Through the American Night』は電子ブックとして出版された。近刊小説『The Co-Conspirator's Tale』は2011年春、Fomite(バーモント州バーリントン)から出版予定。連絡先はrjacobs アット charter ドット net。

投稿者:益岡
posted by 益岡 at 08:47| Comment(0) | TrackBack(0) | イラク全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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