2011年03月02日

イラクの子どもたちに食べ物を提供した代償 (1/2)

ラフィル・ダフィル医師をご存知でしょうか? イラク出身の米国人医師。米国の手引きと圧力のもとで国連がイラクに過酷な経済制裁を加え、人道的破局を引き起こしていたときに、米国から人道支援プロジェクトを続けてきた人物。ダフィル医師が米国で投獄されてから、8年が経ちました。市民権活動家キャサリン・ヒューズによる記事の前半。
イラクの子どもたちに食べ物を提供した代償 (1/2)
キャサリン・ヒューズ
ZNet原文
2011年2月22日木曜日

ラフィル・ダフィル医師が投獄されてから、2011年2月26日で、8年となる。彼は、米英の主張で国連がイラクに経済制裁を科していた時期に、イラクの子どもたちに食料を送った代償を払わされているのである。彼が行っていた 慈善事業「ヘルプ・ザ・ニーディ(HTN)」は、イラクへの残虐な経済制裁が加えられていた中で、食料と医薬品をイラクの飢えた子どもたちに公然と送っていた。

私は、14週にわたって続いた彼の裁判のほとんどすべてを公聴したが、それ以前は彼のことを知らなかった。2011年9月11日以降、米国でムスリムが悪魔のように描き出され、米国政府がはっきりした告発も行わずにテロとの関係をほのめかす中で、私は裁判に出席することは義務だと思ったのである。私自身は14歳のときに連合軍がベルゲン=ベルセンに進攻するドキュメンタリーを見て以来市民的自由の擁護に熱意を感じていたし、38年にわたって1930年代のドイツで起きたことに関する証言を読み漁ってきた。私が生きている間にそれに類することが起きたなら、加担することだけはやめたいと思っていた。

ダフィル医師は1948年、イラクで生まれた。医学部を卒業したのち、1972年に米国に移住し、30年以上前に市民権を取得し、米国人として暮らしている。サービスの不十分なコミュニティで活動する癌専門医として、彼は、多くの人々を無料で診察し、自腹を切って高価な化学療法を患者に施してきた。彼はニューヨーク・セントラル地区ムスリム・コミュニティの中心人物で、国内外で知名度の高い人物である。思想犯罪のみで告発されたにもかかわらず、ダフィル博士は保釈を認められないまま裁判前に19カ月にわたり拘束され、弁護の準備が大きく損なわれることになった。

裁判を通して、彼が、同僚友人から大きな敬意を払われている、熱意を持った誠実な人物であることが明らかとなった。彼の有罪判決がムスリム・コミュニティに送ったメッセージは極めて大きい。ダフィルは思想犯罪59件で有罪判決を受け(政府は1件で誤りを犯したため、陪審員はその1件については審議を禁じられた)、現在、22年の刑期を----法廷では有罪となることのなかった罪、すなわちテロ組織を支援するためにマネーロンダリングしているとの罪で---- 特別コミュニケーション・マネジメント・ユニットで過ごしている。このユニットは、ほとんど全員がムスリム及び/またはアラブ人の囚人を収容している。

彼の裁判を聞くまでは、私はずっと自分自身の市民権は常に尊重されるとの確信を抱いて暮らしてきた。しかしながら、もう私はそれを信じてはいない。

経済制裁下のイラクとダフィル博士の人道的対応

1990 年8月1日、サダム・フセインはクウェートを侵略し、8月2日に米国の対イラク制裁が始まった。1991年1月17日、湾岸戦争最初の爆弾がバグダードに投下された。この戦争が始まる前まで、イラクの人々は、西洋諸国の多くに近い生活水準を保っていた。残忍な独裁体制ではあったが、政府は皆保健および大学までの皆教育を全市民に提供していた。識字率はほぼ100パーセントで、教育と保健医療制度は地域随一であった。

ダフィル博士の裁判中、米国政府は、経済制裁下でイラクの人々が置かれた状況については審理の一部として議論の対象とならないようあらゆる策略を尽くした。政府職員たちは、米国財務省外国資産管理室(OFAC)のスーザン・ハンターを含め、経済制裁の影響については何も知らないと証言した。けれども実際には、イラクの状況を扱う政府の法律顧問として、ハンターは最初に経済制裁実施のための法律文書を起草し、それ以後12年間にわたり経済制裁に関与してきたのである。弁護団はハンターに石油食料交換プログラムについて質問しようとしたが、法廷はそれを無関係な質問と裁定した。元々イラク出身の政府側証人の中には、経済制裁が家族に与えている影響について語り始めたとき証人席で泣き出す者もいた。そうしたときはいつも、検察がすぐさま証言を中断させた。

戦争の結果、イラクは完全に壊滅状態となった。6週間の間にイラクに投下された爆弾は、第二次世界大戦全体を通して投下された爆弾よりも多かった。爆弾を全体としてみると、原子爆弾2発の少なくとも6倍の威力があった。使われた爆弾の種類も多く、原子力発電所の老廃物である劣化ウラン(DU)を含むものも用いられた。イラク全土に数百トンというDU弾が広まった。DUの塵は土と水を経由して食物連鎖に入り、その結果、イラクでは、これまでは見られなかった病気が広まった。妊娠6カ月で出産してしまう妊婦も多く、多くの赤ちゃんが体に大きな問題を抱えて生まれてきた。発癌率は激増した。(これらの影響に、さらに現在イラクで起きている戦争の影響が加わっている。)

主要な橋や通信システムも爆破され、国内の通信も対外的な通信も非常に困難になった。浄水設備も爆破され、国連はその修理を決して認めなかった。その結果、15年分の未処理下水が道に堆積し、とりわけ乳幼児や老人の間に多くの病気や死を引き起こした。病院や学校も例外ではなく、爆撃と経済制裁の結果、イラクの保健医療制度と学校制度は地域の最高水準から最低水準のものとなった。

国連自体が出した統計によると、 1990年代を通して、イラクでは、5歳未満の幼児が毎月6000人、食料不足や簡単な薬が手に入らないために死んで行った。イラクに対するこの「ジェノサイド」政策に抗議して、国連の高官3人が辞任した。イラクに対する過酷な経済制裁を主導したのは米国だった。当時の米国国連大使マドレーヌ・オルブライトが、CBSのインタビューで、サダム・フセインを罰するために50万人の子供の死をもたらすというのは必要な犠牲だったのかと問われたとき、「とても難しい選択だったが、この犠牲は、それに値するものだった」と答えたことは有名である。5歳以上の子どもと成人の死者数を加えるならば、経済制裁の直接の結果として死亡した人々の数は、さらに増え、150万人から200万人の民間人が死亡したことになる。

ダフィル博士が慈善事業「ヘルプ・ザ・ニーディー」(HTN)を創設したのはこの人道的破局に直接応じた結果で、それから13年間にわたり、彼は倦むことなくイラクの人々の苦境を人々に知らしめようと活動し、また、イラク人を支援するための募金を行ってきた。米国政府によると、ダフィル博士は自らも数年間で合計140万ドルを寄付したという。癌専門医として、ダフィル博士は劣化ウランがイラクの人々に与える影響についても憂慮していた。イラクでは発癌率が急激に上昇していたのである。

投稿者:益岡
posted by 益岡 at 20:04| Comment(0) | TrackBack(0) | イラク全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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