2010年11月13日

また、バグダードで虐殺

パレスチナ人活動家ラムジー・バルードが最近バグダードで起きた虐殺と、それに対する西洋メディアの報道を分析。
また、バグダードで虐殺
ラムジー・バルード
CounterPunch原文
2010年11月12-14日

10月31日の日曜日、過激派がバグダードの教会を占拠してキリスト教系イラク人数十人を殺し負傷させた事件は、2003年3月に米国が侵略して以来、イラクを覆った想像を絶するほどの恐怖を示すいま一つのエピソードだった。イラクでは、あらゆる層の人々が戦争の結果、恐ろしい打撃を被っているが、その酷さはようやく明らかになりつつあるところに過ぎない。

確かに、イラクの状況は戦争前も困難なものだった。1999年にイラクを訪問したことのある私は、それを直接証言できる。当時、多くのイラク人、とりわけ反体制派の人々が被っていた困難は、ある意味で権威的な独裁体制の国に典型的に見られるものであった。当時のイラクは、どうようの困難のもとで生きることを強いられている他の国々と比べることができた。けれども、米国の侵略以降イラクに起きたことを他の国々と比べるのは難しいし、第二次世界大戦以降の他の戦争と比べることさえ難しいかもしれない。膨大な死者の数を考えないで、国内避難民の数と強制移住させられた人々の数を考えただけでも恐ろしい。それが、数世代にわたって人口学的に安定していたイラクという国で起きているのである。イラクという国をイラクそのものにしていたのは、そこに暮らす人々の安定的な状態であった。

キリスト教系イラク人のコミュニティはムスリムの隣人と数百年にわたって共存してきた。主だったキリスト教グループ2つ----アッシリア人とカルデア人 ----の教会は、それぞれ紀元33年と34年にまで遡るものである。最近あるアラブの新聞に「アラブのキリスト教徒はくつろいだ気分になってよい」という表題の論説が載った。記事は印象的なものだったが、実際のところ、アラブのキリスト教徒がくつろいだ気分になる必要はない----すでに自分の居場所でくつろいでいるのだから。彼らの紀元はイエス・キリストの時代にまで遡り、それ以来、彼らは最も困難な状況の中で、独自のアイデンティティと誇るべき歴史を築いてきたのである。

私は、カルデア人学校のイラク人子どもたちが美しい紺の制服を来て、授業に出る前に朝の歌を歌っているのを思い出す。無垢で、生命に満ちあふれていた。目は未来に対する約束と期待で輝いていた。このときの子どもたちのうち、どれだけ多くが殺され、怪我を負い、あるいは家族とともに家を追われたのだろうか。あらゆる民族的・宗教的背景を持つ数百万人というイラク人が被った運命を思うと恐ろしい。

1987年の国勢調査ではキリスト教系イラク人が 140万人だったことと対比して考えると、現在、イラクのキリスト教徒のうち、イラクにとどまっているのは半数にすぎない。この数は、最近の殺害---- イラク軍が教会を襲撃し、誘拐団と銃撃戦を行ったことから発生した----のため、この数は急激に減っている。キリスト教系イラク人が被る苦境はキリスト教系パレスチナ人の苦境ととてもよく似ている。後者も、1967年にイスラエルがエルサレムと西岸、ガザを占領してから数が激減し、減りつづけているのである。キリスト教系パレスチナ人の国外離散は、1948年にイスラエルがパレスチナを占領し奪取したことにより発生したものである。イスラエル政府はパレスチナのキリスト教徒とイスラム教徒の間に何一つ違いを認めていない。

けれども、西洋のメディアでは、こうしたことは何一つ議論の価値なしと思われている。恐らく、これがイスラエルの占領者たちの繊細な感性を傷つける恐れがあるということなのだろう。イラク発の悩ましいニュースも、今やしかるべき処置を受け、キリスト教徒の苦しみは、イラクの過激派イスラム教徒とキリスト教コミュニティの対立という大きな対立から派生したものとして扱われている。

事実はまったく異なる。イラク社会は、ずっと以前から、少数はに対する寛容と需要で知られていたのである。シーア派、スンニ派、キリスト教といった言葉を誰も使わない時代があった。イラクそしてイラク人がいただけだった。この状況が完全に変わったのは、一つには米国がイラクを侵略したときの戦略がイラクの民族的・宗教的境界を強調して利用し、その境界に乗り越えられない壁を作り出すものだったためである。イラクの人々の集合的対応を導き方向づけるような中心がないまま、あらゆる問題が噴出した。都合のよい過激な名前を冠した覆面の男たちが、身元は隠したまま、現れてはイラクを破壊し、すぐさま消え去った。これまで最も困難な時期にもイラク社会の骨組みを維持してきたコミュニティの信頼は失わされた。混沌と不審が蔓延し、それ以外は過去のものとなった。

バグダードのカトリック教会で聖職者1人を含むキリスト教系イラク人52人が殺された最近の事件の実行犯たちの残虐さと邪悪さに関して疑問の余地はない。けれどもそれをイスラム教徒とキリスト教徒の対立とか、あるいはUPI通信が誤ったかたちで述べたように「イラクのキリスト教徒はシーア派と少数派のスンニ派の板ばさみにあった」と言うのはまったく不正である。さらにこうした記述は危険でもある。というのも、こうした考えが受け入れられてしまうと、外国勢力が、「板ばさみ」にあった人々を守るという口実でイラク占領を継続しようとすることになるからである。実際、数百年にわたって、中東を支配した植民地勢力は、自分たちの暴力と搾取を正当化する口実に同じ論理を使ってきたのである。

実際、こうした悲劇を自分たちの政治的利益のために使って、イラクで自分たちが行った残虐行為を遡及的に正当化しようとする者は多い。この傲慢なメンタリティがゆえに、米国共和党の戦略担当ジャック・バークマンは5月に放映されたアルジャジーラ英語版の番組の中で中東の人々のことを「砂漠に暮らす野蛮人の集団」とのたまった。

こうした傲慢な態度は、キリスト教系イラク人を標的にした今回の殺害のような事件によりさらに強化される。最近のデモクラシー・ナウで引用されていた言葉によると、イラクに駐留するある米兵はイラクの文化を「暴力の文化」と決め付け、米国はそれを救おうとしているのだと豪語した。

その、「暴力の文化」とやらが生まれたのは何故かを問う自己省察や反省はどこに行ったのだろう? 「野蛮人の集団」が当たり前の人間で、他の人々と同様、生き延びるために奮闘し、家族の面倒を見て、生活に正常さと威厳を維持しようとしている人々であることを理解するために、何が必要なのだろう?

「イラクのキリスト教徒」(Iraq's Christians)については、メディアで広まっている描写には反対せざるを得ない。彼らは「イラクのキリスト教徒」ではなく「キリスト教系イラク人」(Iraqi Christians)である。その起源はメソポタミアの歴史そのものと同じくらい古く、その歴史もチグリス河・ユーフラテス河の肥沃な土地と同じくらい豊かである。キリスト教系イラク人の数がどれだけ減ったとしても、すべての背景のイラク人と同様、あくまで彼ら彼女らはイラク人である。いずれ時が来ればイラクに戻るであろう。

ラムジー・バルードは PalestineChronicle.comの編集者で、記事は世界中の多くの新聞や雑誌に発表されている。最新の著作はThe Second Palestinian Intifada: A Chronicle of People's Struggle (Pluto Press, London)。ほかの著作に、My Father Was a Freedom Fighter: Gaza's Untold Story (Pluto Press, London)がある。

投稿者:益岡
posted by 益岡 at 08:15| Comment(0) | TrackBack(0) | イラク全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/169223684
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。