2009年09月01日

ハガキ・・・ダマスカスより

米国によるイラク不法侵略のあと、激化した暴力を逃れて周辺諸国に避難した人たちの状況。
ハガキ・・・ダマスカスより
トマス・ジェームズ
ZNet原文
2009年8月27日

ダマスカス北部のドゥーマ地区にある国連施設では、倉庫のような建物に男も女も子どももすし詰めに座っている。イラク人難民たちで、国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)の食糧配給を待っているところである。このお陰で彼らは餓えなくてすんでいる。シリアは、しばしば「国際社会」から除け者扱いされるにもかかわらず、踏みにじられた近隣諸国の人々を受け入れる習慣を維持してきた。1948年以降、数十万人のパレスチナ人がシリアに住み着いたし、2006年にイスラエルがレバノンを爆撃したときも、爆撃を逃れてきたレバノン人に一時的な住居を提供した。

現在、シリアは新たな人道的破局の負担を担っている。ドゥーマのイラク人たちは、2006年から2007年、イラクの暴力がピークに達したときに国境を越えてシリアに来た110万人のイラク人たちの、ほんの一握りにすぎない。シリアに来たイラク人の大多数は、イラクの自宅に戻れないか、戻りたくない状況にある。イラク人たちは貧しい生活を余儀なくされ、サダム政権崩壊後の暴力で家族を失った人も多い。1948年のパレスチナ人のエクソダスと同様、シリアは隣人を受け入れたが(必ずしも歓迎したとは言えないかもしれないが)、国際援助は特にやってこなかった。

隣国イラクでは、復興と再起が語られている。けれども、イラク政府は、石油収入に満ちているにもかかわらず、家を追われたイラク人に対して十分な対策をとっていない。帰国するイラク人は少なく、国の再建に必須となる膨大な数のイラク人中流階級がシリアやヨルダンに留まっていて、その多くは欧州や米国への再定住を望んでいる。

しかし、再定住した人々の数もとても少ない。2007年以来、再定住した人々はわずか1万2000人ほどである。資金が底をつく一方、危険過ぎてイラクには帰れない状態の難民たちは、ますます悲惨な状況に陥っている。再定住システムおよび国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)を強く批判する人々もいる。

一方、UNHCRが直面している仕事は厳しい。20万人以上の難民たちが再定住を望んでいる。「(再定住できる)チャンスはあまり多くないが、誰もが切迫した事情を抱えている」とシリアのUNHCRの広報担当官シベラ・ウィルクスは語る。「インタビューをした人々の9割が苦痛な出来事を経験している。人々は膨大なものを失った」。

再定住も帰国もできない中、大多数の人々はシリアに留まって、生存のために苦闘している。難民たちは国連やシリア政府の補助に依存しているが、国連もシリア政府も限界ぎりぎりである。

「ドナー国に対しては、はっきり言っている」とウィルクスは言う。「我々のプログラムをカットするならば、破滅的な結末が訪れるだろう」。

トマス・ジェームズはフリーの記者としてレバノン、シリア、イラクに暮らし仕事をしてきた。Forein Policy in Focusに寄稿している。

投稿者:益岡


posted by 益岡 at 16:22| Comment(0) | TrackBack(0) | イラク全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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