2009年05月07日

ファルージャの戦闘作戦

急速に悪化するイラクの状況について。
ファルージャの戦闘作戦
ダール・ジャマイル
DarhJamailIraq.com原文
2009年5月4日

急速に悪化の一途をたどるイラクの状況を示唆するかのように、5月1日、米軍は、米国海軍下士官の死を報じた。この下士官は、「イラクのファルージャで戦闘作戦を行っていた4月30日」に殺されたという。米国国防総省の報告は続けて、この水兵は「東海岸に拠点を置く米海軍特殊部隊とともに派遣されていた」と説明している。同じ日、米軍は海兵隊員二人の死を報じた。二人は「4月30日、ここで敵軍に対する戦闘作戦を行っていた際に殺された」という。この報道発表の日付欄には「イラク、アル=アンバル県」とあった。どうやら、ファルージャとアル=アンバル県の状況はすべて良好、というわけではないらしい。米軍は、これまでのイラク占領を通してずっと、これらの地域で最も激しいレジスタンスにあってきた。その地域で再び、戦闘作戦を行っているのである。

米軍が基本的にサフワを処罰し、10万人を要するこのスンニ派民兵にマリキ政権の矛先を向けてサフワのメンバーを暗殺と拘留の標的とさせていたことにより、サフワが爆発を抑えていた火山の抑えがなくなった。アルカーイダ・イン・イラクを阻止していたのは米軍でもイラク軍でもなく、サフワだったことを思い起こしておこう。サフワのメンバーは、給与が支払われず、またマリキ政府の標的となっているために治安ポストを放棄し、サフワに参加する以前の元々の活動場所であったレジスタンス運動に再び戻っている。

もう一点、そもそもサフワが米軍と同盟関係に入ったのは、マリキ首相率いるシーア派主導のセクト政府の攻撃から自らの身を守るためだったことを思い出しておこう。

数日前、私はバグダードの親友に、バグダードのアダミヤ地区のサフワ指導者にインタビューを依頼した。その指導者は、アブ・アフメドと名乗った。40歳で結婚しており、4人の子供がいる彼は、次のように語った。「言いたいのですが、イラク政府、とりわけマリキ氏は、依然として私たちを標的としています。当初から彼らは私たちを標的としており、サフワへの攻撃をやめていません。私たちがスンニ派だから、そしてイラク政府がセクト主義政府だからです」。

アブ・アフメドは、自分もサフワの同僚たちも、占領軍の即時撤退を支持しており、「そうすれば、私たち自身の手で政府を変え、現在のセクト主義政府ではなく民族主義政府を樹立することができるでしょう」と語る。

さらに彼は続けて、簡単に、「私たちの目標は、占領を終結し、アルカーイダをなくし、安全な新しいイラクを作ることにあります」と述べた。

彼の主張を裏付けるかのように、まさにその翌日から、運命はバグダードの路上を血の海に変えた。首都バグダードのシーア派居住地区で複数の爆弾が爆発し、51人以上が殺された。爆発のあと、地域の住民たちは、現場に姿を現わしたイラク軍兵士に靴や石を投げつけ、自分たちを守れなかったと兵士を非難した。爆発のあと、イラク軍兵士が罪のない人々に発砲を続ける中、ある住民は、記者に怒りを表わし、「爆発のさらにその上に、奴らは人々に向けて発砲している。これが私たちにふわさしいことだというのか? 負傷者を運び出す手伝いをするかわりに、兵士たちは私たち住民に向けて発砲している。これがマリキ政府だ。発砲音が聞こえるか? イラク軍兵士たちは人々に向かって撃っているんだ。人々は車の下に伏せて隠れている」。

その日結局、70人以上のイラク人が死亡し、少なくとも116人が負傷した。政府のセクト的正確を浮き彫りにするかのように、バグダードの治安担当報道官カッシム・アッタ少将は、記者団に対し、2006年12月に処刑された元独裁者の名をあげて、「この一連の爆弾攻撃は、28日、サダム・フセインの誕生日に行われるはずのものだったろう」と述べた。

一方、その同じ日、バグダードの二つの地区で、米軍のパトロールを狙った路肩爆弾が爆発した。

アブ・アフメドにインタビューを行った、バグダードに暮らす友人のイラク人記者は、その日起きた一連の爆弾事件後に次のように言っている。「ダール、イラクの状況はとても悪化している。バグダードではとても多くの自動車爆弾が爆発している。今や毎日だ。今日、道路はすべて封鎖された。警察と軍が車を一台一台捜索し、あらゆるものをチェックするためだ。こんな状況では仕事はまったくできない。それにもかかわらず、爆弾攻撃は止まるところなく続いている」。

暦が5月に変わった今、米軍兵士たちにとって4月は昨年9月以来最も死傷者の多い月となった。少なくとも18人が死亡したが、これは3月比で2倍以上である。4月はまた、今年になって最も多くの兵士が戦闘行為の中で死亡した月にもなった。イラク人にとっても、4月は過去1年で最も多い死者を出した月となった。

米国とイラクの関係を強化する一歩として、イラクにおける米軍の日常活動を統括するピーター・バイエル准将は、米軍によるクートでの侵入捜査で男女一人ずつが殺され、イラク全土で人々の怒りを引き起こし、そのためにマリキ首相はそれを行った兵士をイラク当局に引き渡すよう要求することになったと述べ、さらに記者団に、この侵入捜査は「合法的で正当なものだ」と述べ、米軍兵士がイラクの法廷で裁かれる可能性を聞かれたのに対しては「ノー、絶対にそんなことはありえない」と答えた。

イラクの主権とは、結局こんなものである。

5月2日、さらに二人の米軍兵士がイラク北部の都市モスルで殺された。さらに、バスラとファルージャでも路肩爆弾による攻撃を受けた。占領に対するレジスタンス活動が、イラク最北の諸都市から最南の諸都市まで、再び全国に広がっているのは明らかである。英軍がイラク南部の英軍統治地域から撤退している現在、米軍兵士達がその空白を埋めており、そのためにバスラでの攻撃が起きた。クートの侵入攻撃のような出来事を考えるならば、こうした攻撃は急増することが予想される。

一方、イラク政府によるサフワ・メンバーへの攻撃は、収まる兆しもなく、その日、武装集団がユスフィヤでサフワが詰める検問所を攻撃し、サフワの兵士一人を負傷させた。一方、イランはイラク北部を攻撃し、その地域の「クルディスタン自由生活党」(PJAK)の拠点と疑われる場所に砲弾を撃ち込んだ。PJAKは米軍の支援を受けて、この数カ月間、イランで秘密裏に不安定化作戦を実行してきた。トルコと国境を接するイラク北西部地域も、平穏ではない。トルコでクルド人ゲリラの攻撃と思われる襲撃によりトルコ軍兵士10人が殺された数時間後、トルコはイラク北西部に空襲を行った。しかしながら、イラク北部に対するトルコの空爆は今に始まったことではない。この数カ月間、毎週あるいは月に二回といった頻度で、トルコの空爆は続いている。

米軍によるイラク占領という肉挽き器は速度を上げ、再び修羅場を作り出している。イラク人市民への攻撃も米軍兵士への攻撃も、劇的に増えている。本記事を書いている時点で、この4日間に5人の米軍兵士が殺され、罪のないイラク人十数人以上が虐殺され、やはり十数人以上が負傷した。イラク政府によるサフワへの攻撃は続き、アルカーイダは今やほとんど好き勝手に活動しており、米軍に対する攻撃は、イラク北部のクルド人支配地域を含むイラク全域で起きている。

ファルージャでの戦闘作戦。イラクの米軍勾留施設で米軍が続けているイラク人への拷問について最近発表された国連の報告。イラク全土に広がる、米軍を標的とした路肩爆弾。ジョージ・W・ブッシュが第二期米国大統領の任期を8カ月残していた時点から現在までで最も多い、虐殺されたイラク人の数。


posted by 益岡 at 19:03| Comment(0) | TrackBack(0) | ファルージャの状況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。