2009年05月03日

「・・・おぞましい真実」

イラクの現在、イラク人からみた米欧の「おぞましい真実」を、『ファルージャ2004年4月』著者の一人ダール・ジャマイルが報ずる。
「・・・おぞましい真実」
ダール・ジャマイル
DahrJamailIraq.com
2009年4月24日

米国によるイラク占領----今やバラク・オバマ大統領が全面的な責任を負うことになった ----は、ふたたび大量殺人の時期に入った。もちろん、これまで暴力と残忍性、混沌状態がなかったというわけではない。というのも、米国のイラク侵略が始まって以来、イラク人がゆえなく殺されなかった日は一日としてなかったのだから。けれども、今日はイラク人が3人殺されたとか、2ダース殺されたと語る時期は過ぎ、現在、私たちは再び、100人近い人々が殺されたとか100人以上が負傷したといった語りかたをしなくてはならない時期に入っていることが、最近の出来事からわかる。殺されたイラク人は一人残らず米国によるイラク占領の直接の結果として命を落としたもので、4月7日にバグダード空港を訪問してイラクで「たぐいまれな偉業を成し遂げた」と米軍を賞賛したオバマ大統領の手はそうした人々の血でまみれている。

4月23日、二件の自爆攻撃で、73人以上のイラク人が殺された。自爆攻撃者の一人は、バグダード中心で警察官の一群の中で爆弾を爆発させた。そこにいた警官達は、2006年から2007年半ば、米国が促したセクト間暴力の時期に、自宅を逃れたイラク人たちに救援物資を配布していたのだった。警察によると、少なくとも50人が負傷した。死者の中には少なくとも子供5人と女性1人が含まれていた。

同じ日、第二の大きな自爆攻撃が、バグダードの北約50マイルにあるムクダディヤの近くで起きた。自爆攻撃者が標的としたのは、レストランにいたイラン人の巡礼者たちで、少なくとも45人が殺され、60人が負傷した。そこにいたシーア派の巡礼者たちは、イラクにあるシーア派の信仰地を訪問していたところだった。

これらの爆弾攻撃は、アルカーイダ・イン・イラクの匂いがする。アルカーイダ・イン・イラクの活動は、イラク人レジスタンスおよびアル=サフワ(元レジスタンスの戦士たちを中心とするシーア派民兵で米軍が創設したものだが、最近は米軍に見捨てられ、イラク政府の攻撃を受けている)のおかげで行き詰まり状態だった。サフワのメンバーは、自分たちの任務に対してイラク政府が給与を支払わないことおよびイラク政府がサフワ指導者たちを標的としていることに抗議して治安ポストを放棄していた。マリキ首相は、サフワを自分の政府の存続に対する脅威と見なしており、そのため当初からずっとそうだったが、自らことあるごとに、サフワの存在をなきものにしようとしてきた。

最近になって恐ろしい暴力が激発しているのは、米国がサフワを見捨てるとともに、マリキ首相が進めるサフワの地位剥奪政策を米国が止めようとしていないことの直接の帰結である。米軍がアルカーイダを見つけられないでいたとき、サフワはアルカーイダの分子を発見することができた。サフワのメンバーが、イラクのますます多くの場所で治安活動を放棄している現在、当然のことながら、アルカーイダの作戦実行力は増大している。

一方で、バグダードの無能なマリキ政権は悲壮なプロパガンダを展開している。上述の惨事が起きたその同じ日に、イラク国営テレビ局は、アルカーイダに関係しているグループ、「イラク・イスラム国家」の指導者と言われているアブ・オマール・アル=バグダディがバグダード東部で拘束されたと発表した。治安関係の専門家たちは、これまで、アル=バグダディは実在の人物ではなく過激派グループの一部が作り出した架空の人物であると考えており、米軍も、そのような名前のアルカーイダ指導者がいたことなど信じていなかった。

今回と同様の攻撃はこれからも起きるだろう。それらの攻撃は、イラクの都市部から米軍兵士が撤退する期限である6月が近づいていること(ただしモスルおよび米軍が撤退すべきでないと考えた都市は例外となる)と関係があるというよりは、米軍とイラク政府からサフワがのけ者にされ攻撃されていることにより大きく関係している。

マリキ政府がサフワに対する攻撃を止めないという事実、そして米国政府がマリキ政府によるサフワ攻撃をやめさせようとしていない事実から、私の分析はシニカルにならざるを得ない。

米軍もイラク軍も、アルカーイダ分子を発見することができる能力および攻撃を阻止する力をこれまでに示したことはなかった。実際、AFPフランス通信社は4月22日、米軍は「イラク主導」の作戦を率いていると報じている。同通信社の報告によると:

「[米軍とイラク軍の]兵士達は、オウェサットという農村への作戦任務のためにキャンプ・ファルコンに集合した。米軍とイラク軍は、オウェサットの村がバグダード内および周辺での爆弾攻撃の準備に使われていると考えていたのである。このところイラクで行われるほとんどすべての作戦と同様、米国はイラク軍が作戦の責任を負ってアルカーイダを一とする武装グループとの戦闘を行っており、米軍は支援の役割を担うのみだと主張している。しかしながら、キャンプ・ファルコンの現場からは別の様子が浮かび上がってくる。サダム・フセインを追放したイラク侵略から6年たった現在、単に米軍兵士の数がイラク軍兵士の数よりもはるかに多いというだけでなく、命令を出しているのも決定的に重要な兵站支援を行っているのも、米軍なのである。昨年11月に結ばれた治安協定のもとでは、6月30日に米軍がイラクの都市部から撤退し2011年末までにはイラクから全面撤退することになっており、同時にイラク軍が治安の全面的な責任を担うことになっている。イラク政府も米国政府もまた軍司令官たちも、米軍が撤退したのちイラク警察56万人とイラク軍兵士26万人で治安を維持することは可能であり、治安協定が定めるスケジュールを遵守すると繰り返し述べてきた。しかしながら、今月行われたオウェサットの作戦では、米軍ヘリのバックアップを受けた600人の米軍兵士にイラク軍兵士40人が加わり、21時間にわたる侵入捜査の際、イラク軍兵士たちは繰り返し米軍の行動を見習っていたのである。」

昨年11月にバラク・オバマに投票した多くのアメリカ人は、オバマがイラクで正しい行動を取ると今でも信じている。けれども、現実は、草の根から正しい行動を取るよう強いられない限り、米国の外交政策に、約束された「チェンジ」が実現されることは決してない。米国の外交政策の矛先となっている中東の国々、とりわけイラクは、ほとんどのアメリカ人よりも事実をよく知っている。

2004年4月、米軍による最初の大規模な攻撃がファルージャに対して加えられたとき、私はファルージャにいた。そのとき私は、小さな間に合わせの応急診療所を運営するマッキ・アル=ナザールと話をした。私たちが話をしている間に、何十人もの女性と子どもが診療所に運び込まれたが、そのほとんどは米軍のスナイパーに撃たれた人々だった。

「これまでずっと、私はアメリカの民主主義というものを信じてきました」と彼は疲れ切った声で私に言った。「47年ものあいだ、ヨーロッパとアメリカ合衆国が民主主義と自由の運び手として世界に善をもたらすという幻想を受け入れていたのです。今、おぞましい真実に目覚めるまでに47年もかかりました。米欧がイラクにいるのは、民主主義とか自由といったものをもたらすためではまったくないのです。」

現在はヨルダンのアンマンで難民となっているマッキは続けて次のように言った。「すべてが嘘だったことが今ではわかります。アメリカ人は、民主主義や人権など一顧だにしません。アメリカ人は、サダムと比べてさえ、悪辣なのです。」

5年前のそのとき、私は彼に、実名で彼の言葉を引用してよいかどうか聞いた。「名前を出したことで米軍が私にしようとすることなど、すべて、ここファルージャで米軍は既にやっています。」これが彼の答えだった。


posted by 益岡 at 14:14| Comment(0) | TrackBack(0) | イラク全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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