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日本人のくせに武道の「ぶ」の字もわからない私には猫に小判。武道に通じておられる方、ぜひにぜひに。
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■イラク戦争を考える連続講座第21回 私が見たイラク戦争
日本ジャーナリスト会議黒田清JCJ新人賞受賞堤 未果さんをむかえて
格差拡大が支える戦争と私たち市民の知恵
お話:堤 未果さん
日時:2006年10月3日(火)午後7時〜9時
会場:世田谷区烏山区民センター(3階)第4会議室
(京王線千歳烏山駅下車) (定員45名)
参加費:800円
堤未果さんは著書『報道が教えてくれない アメリカ弱者革命』で「ニューヨーク9・11の事件を身近に体験して以来、「弱者」の視点から戦争に傾斜するアメリカ社会を観察し続け、イラク戦線に駆り出される若者の窮状、社会保障の極端な不備などを取材し、軍事国家化と格差社会形成に向かう日本の明日を示唆する好著を出版した」として、2006年日本ジャーナリスト会議黒田清JCJ新人賞を授賞しました。
堤さんの授賞に対して、米で子息がイラクで戦死した母親は「悲しみに国境がない。受賞は希望を与えている。希望にも国境がない」と激励してくれたといいます。堤さんのお話を伺い「格差社会に支えられる戦争」に対して私たち市民が何をしていけるのか共に考えてみませんか。
堤 未果(つつみ・みか)さん プロフィール
著作家 ジャーナリスト。東京生まれ。私立和光小学校、中学を出て、高校卒業後渡米。ニューヨーク州立大学国際関係論学科学士号取得。ニューヨーク市立大学大学院国際関係論学科修士号取得。国連、アムネスティインターナショナルニューヨーク支局局員を経て、米国野村證券に勤務中に9・11に遭遇。現在は帰国してNY東京間を行き来しながら執筆、講演活動を行っている。国際政治環境研究所理事。著書に「空飛ぶチキン〜私のポジティブ留学宣言〜」(創創社出版)「グラウンド・ゼロがくれた希望」(ポプラ社) 「報道が教えてくれないアメリカ弱者革命〜なぜあの国にまだ希望があるのか〜」(海鳴社)
主催:今とこれからを考える一滴の会 0353131525
(留守がちですのでメッセージを残してください)
◆◇◆イラク・レバノン戦争と国連・自衛隊を問う! 9・29集会◆◇◆
◆発 言
イラク・レバノン戦争と国連・アメリカ
武者小路公秀 国際政治学
劣化ウラン弾――イラクとレバノン
山崎久隆 劣化ウラン研究会
イスラエル〜パレスチナ〜国連
岡田剛士 派兵チェック編集委員会
◆日 時
2006年9月29日(金) 午後6時開場
◆場 所
文京区民センター3A
地下鉄「春日」「後楽園」駅すぐそば
小泉首相は6月20日、イラクに派兵されていた陸上自衛隊に、撤収命令を出した。しかし、4万3千人を超えるイラク民間人の死者を生み出した米英中心の侵略と占領への自衛隊の加担は、これで終わるわけではない。イラクで残っている航空自衛隊の活動領域は飛躍的に拡大され、陸自撤退の裏で侵略占領への加担は深まるのである。
一方、アフガニスタンでもタリバンの反撃の拡大がつたえられ、ここでもアメリカ中心の侵略占領支配が泥沼化しつつある。その米軍支援のためにインド洋で行われている海上自衛隊の活動が持続されていることも忘れるわけにはいかない。
そして7月、イスラエルがレバノン再占領へ向けて全面的な攻撃を開始した。レバノン国内は破壊され、多くの住民が虐殺され続けている。国連機関すら攻撃される状況だ。もちろん、イスラエルを支えているのはアメリカである。
アメリカとともに米軍再編(=米軍と自衛隊の一体化)を推進している小泉首相は、こうしたアメリカの一連の動きを支持し続けている。私たちは、アフガニスタン・イラク・レバノン反戦の声を日本政府にたたきつけていかなければならない。
今イラクは、レバノンは、どうなっているのか。そこでは国連はどのような役割を担っているのか・いないのか。自衛隊は何を行ってきたのか・いるのか。どういう反戦行動を持続し、新たにつくりだしていくのか。この点をこそ討論したい。一人でも多くの人の結集を呼びかける。
◆主 催
新しい反安保行動をつくる実行委員会第10期(反安保実X)
東京都千代田区三崎町3118
近江ビル4階 FAX:03−3234−4118
普通のイラク人の一日
IRIN
2006年9月11日
Electronic Iraq原文
バグダード発。48歳の店員、ムスタファ・クバイシにとって厳しい日々である。米軍の主導でイラクが侵略され、サダム・フセイン元大統領が追放されてからの3年間、彼は困難な生活を送ってきた。
「残念なことに、私たちの国は酷い状況にあります。必需品がなくて値段は上がるし、安全状況は悪化しているし。この破滅の犠牲になっているのはひとえに私たち罪のない人たちです。私たちは、サダム・フセインの独裁政権下での暮らしのほうが、今よりもよかったと、私たちは思い始めています」とクバイシは語った。
彼は朝5時に起き、体を洗って夜明けの祈りをあげる。このごろは、地元のスンニ派モスクに行くよりも、家で祈りをあげることを選んでいる。彼の住む地域は、大多数がシーア派である。基本的に、彼は人が集まる場所や群衆を避ける習慣を身につけた。自分のモスクがいつかシーア派の民兵の標的になるのではないかと恐れている。
朝食を採りながら、クバイシは、テレビとラジオでバグダードで起きた最近の暴力について情報を仕入れる。また、年老いた両親と病気の叔母に電話して昨夜は何ともなかったかと聞く。政府が非常事態を延長し外出禁止令を敷いたため、地元の人々は、夜、医者の治療を受けるのが困難になっていることもある。
朝食後、クバイシはふたりの娘ラナとハラを、古いポンコツの車に乗せてバグダード大学まで送る。本来なら10分しかかからないこの行路に1時間もかかる。バグダードの朝の交通渋滞が、道路封鎖でさらに悪化しているためである。ラナはフランス語を専攻しており、ハラは歯医者になるための勉強をしている。
近頃のバグダードでは、自動車爆弾とロケット攻撃と誘拐が日常的に起きているので、クバイシはいつも注意深くしており、自分とふたりの娘を守るためのボディガードとしてもふるまっている。
「毎日、私は違う道を選ばなくてはなりません。暴力の犠牲者になるのを避けるためです」とクバイシはいう。彼は政府の建物から離れた道を選ぶ。政府の建物周辺が、毎日のように爆発が起こる場所だからである。クバイシは、娘たちを一人にしておくことはできないと言う。とりわけ、大学から帰る途中で女性たちが強姦されたというニュースを聞いてからは。
「娘がいるのでとりわけなのですが、今や誰も信じられません。娘たちの名誉を守らなくてはならず、この酷い安全状況では、私たち父親しか娘を守ることができる人はいないのです。6カ月前、ラナは大学の門のところで爆発により怪我をしました。娘たちに生きていて欲しいなら、目を見開いていなくてはいけないのです」と彼は言った。
大学まで疲れる旅をこなしたあと、クバイシは自分の店に行き、家族を養うために、収入を得ようと努める。
「私は服を売っているのですが、この1年近く、大きな問題を抱えています。人々は以前のように新しい服を買うお金がないのです。給与が低くなって貧困が増大しています。妻と娘にまともな生活を送ってもらうために十分なディナールを得るのは日毎に難しくなっています」と彼は語る。
「夜10時に家に戻ってから、どうやって色々な支払いをするか苦心しなくてはなりません。発電器[電力供給は不安定]と車の巨額のガソリン代、野菜は毎日ますます高くなっているし、家の高い家賃も払わなくてはなりません。2003年から、家賃は300パーセントも値上がりしました」とクバイシは言う。
ガソリン代は、首都で、2003年の0・1米ドルから2006年には1・3米ドルへと、13倍も値上がりした。また、調理用ガスの値段は20リットルあたり0・5米ドルから16米ドルへと、32倍も値上がりした。
ガソリン代が値上がりしたにもかかわらず、ガソリンスタンドによっては今や2キロ以上の列ができている。石油生産が世界3位とされている国での状況なのである。イラクの人々が、時によっては通常よりも10倍高い値段で車にガソリンを入れるために激しい暑さの中、何時間も並んでいる光景が見られる。
クバイシはまた、シーア派の隣人たちから、15年間にわたって働いてようやく買った家を立ち去るよう圧力を受けている。
「隣人のほとんどはシーア派で、私たちへの態度はまったく変わりました。ますます強硬に、乱暴になってきており、私たちはスンニだからここにいると危険で、この地域にゲリラを引き込みかねないと言う人もいます」と彼は言う。
米軍主導の侵略が起きる前は、人々はとても親切でしたが、この国に広まるセクト的暴力のために人々は変わり始めています。これまで常に維持してきた善意を忘れつつあるのです」とクバイシは語る。
こうした困難にもかかわらず、クバイシは妻と生活を続け、まもなく娘たちが一人で授業に行けるようになると希望を持ち、妻が買い物に付き添いなしでいけ、彼が必要なものを困難なく手に入れることができる日を期待している。
「人間の中で希望は最後に死に絶える感情です。ですから、今のイラクの状況にいらだちを感じていますが、いつか、停電もなしに綺麗な飲み水とおいしい食事をソファーに座って楽しむことが出きる日を期待してます。それが10年以上あとのことになろうとも」とクバイシは言う。「暴力によって私からその楽しみを奪うことはできません」。
このニュースは国連人道ニュース・情報サービスIRINから届けられるが、必ずしも国連やその機関の見解を反映するものではない。IRINの文書はすべて無料で再ポスト・再プリントできる。使用条件については、IRINのコピーライト・ページを参照のこと。IRINは、国連人道問題調整局のプロジェクトである。
【粗い訳】
イスラエルがヒズボラを鎮圧することができなかったことは、「テロに対する戦争」という考え方の多くの弱点を示している。弱点のひとつが、たとえ標的がテロリストである場合でも犠牲となるのは事態と関係のない一般市民であることが多いということ、そして一般市民の苦しみがテロリストの大義を強化するということだ。
ヒズボラからの攻撃があるという前提で、ヒズボラの殲滅を望むこと、および、国境地帯でのミサイルの脅威に対し自己を防衛することについては、イスラエルは正当化される(十分な理由を有すると考えられる)。しかしながら、イスラエルは付随的被害を最小に押さえるために最大限の配慮をすべきであった。レバノンでの一般市民の犠牲と物質的損害によって、ムスリムも世界の世論もイスラエルに反対して燃え上がり、また侵略者であったヒズボラは抵抗の英雄へと変化した。レバノンを弱体化させたこともまた、ヒズボラを抑制することをますます困難にしている。
「テロに対する戦争」という考え方の弱点の2つ目は、それが軍事行動頼みであり、政治的アプローチをあらかじめ排除しているということだ。イスラエルは、レバノン政府およびパレスチナ自治政府と政治的決着を交渉するよりも、一方的にレバノンから撤退し、その後ガザから撤退した。ヒズボラとハマスの基盤強化はそういった方法の直接的結果である。「テロに対する戦争」の考え方は、「私たち」と「彼ら」をはっきりと分け、私たちの行動(actions)が彼らの行動(behaviour)を形作るかもしれないということを認めない。それゆえ、(一方的な軍事撤退がヒズボラやハマスを強化したという)事実を認める上で、「テロに対する戦争」の考え方が邪魔になっている。
「テロに対する戦争」の考え方の弱点の3つ目は、それは、テロリストの戦術を用いる別々の政治運動をひとまとめにしてしまうということである。この考え方をしている限り、ハマスとヒズボラとアルカーイダの区別はつかないし、イラクにおけるスンニ派の叛乱と(シーア派ムクタダ・サドル配下の)マハディ軍との区別もつかない。これらはすべて別々のテロの出現であり、別々の反応を必要としているというのに。ハマスもヒズボラも、単に「対テロ戦争」の標的として扱うことはできない。というのは、どちらも社会に深い根を有しているからである。さらにまた、両者の間には深い差異がある。
振り返ってみれば、イスラエルの政策が道を誤ったのがどこであるかを見極めることは簡単である。マフムード・アッバスがパレスチナ自治政府の議長に選出されたとき、イスラエルはいつものやり方を変え、アッバスとアッバス周囲の改革派を強化すべきだったのだ。
イスラエルがガザから撤退したとき、ジェイムズ・ウォルフェンソン世界銀行前総裁は、ロシア、米国、EU、国連から成る中東和平のための4者会議(the Quartet for the Middle East)に代わって、6点から成る計画(sixpoint plan)を交渉した。計画には、ガザ地区と西岸地区の間の検問所(crossings)を開き、ガザ地区に空港と港を開き、エジプトとの国境を開き、イスラエル人入植者が出て行ったあとの温室をアラブ人に引き渡すことが含まれていた。これら6点のうち、実行されたものは0件だった。
このことが選挙でのハマスの勝利に一役買った。ブッシュ政権は、選挙を開くようイスラエルを押しておきながら、ハマス政権と交渉はしないというイスラエルを支持した。その結果、パレスチナ人の苦難はますますつらいものとなっているのだ。
それにもかかわらず、アッバスは統一政府について、ハマスの武装部門との合意に何とかこぎつけることができた。しかし(シリアの首都)ダマスカスから指令を受けているハマスの武装部門が挑発を行い、その挑発がイスラエルの強硬な反応を引き起こし、イスラエルはお返しにヒズボラを刺激してさらなる挑発へとつなげ、第二の戦線を開いたのは、この合意をだめにするためであった。過激派はこのようにして、政治的進展の機会とあらば何でもつぶすために、互いに虎視眈々と自分たちの利を狙いつつ対抗しあうのである。
イスラエルもこのゲームに参加してきたし、ブッシュ大統領もイスラエルを無批判に支持してこの欠陥だらけの政策に参画している。この政策が暴力の拡大につながっていくことは、実際に起きたことが示すとおりである。そして事態は、イスラエルは疑いようもなく軍事的優位を握ってはいるが、そのことはもはやこの政策の負の結果に打ち勝つほどのものではないという点にまで進んできてしまっている。いまやイスラエルは、オスロ合意の時点と比較しても、ますますその存在において脅かされるようになっている。同様に、米国も、ブッシュ大統領がテロに対する戦争を宣言して以来、ますます安全ではなくなっている。
こんにちの政策は逆効果を招くものであると悟るべき時はもう来ている。パレスチナ問題の政治的決着なくして、ますます拡大する暴力の悪循環に終わりはない。事実、交渉に臨むだろいうという観測は、数ヶ月前よりも現在の方がよくなっているのだ。軍事による抑止はそれ自体では十分なものではない、ということを、イスラエルは悟るべきである。アラブは戦場で名誉を保ったので、妥協策にこれまでより前向きであるかもしれないのだ。
イスラエルは決して、弱い立場から交渉すべきではないという勇ましい声もかまびすしい。だがそれは間違っている。現在のコースに拘泥すればするほど、イスラエルの立場は弱まっていくことを免れない。同様にヒズボラも、勝利の感覚は味わったが勝利の実体は知らず(また、シリアとイランにけしかけられている)、強硬な態度に出るかもしれない。
しかしここで、ハマスとヒズボラの違いが重要になってくる。パレスチナの人々は平和と苦しみからの解放を熱望している。ハマスの、軍事部門とはっきり一線を画した政治部門は、人々の願いに答えねばならない。イスラエルが、よりバランスの取れたアプローチに向かっての第一歩として、アッバスが主導するパレスチナの統一的政府を後押しし、交渉するためには、まだ手遅れではない。ここで欠けているのは、「テロに対する戦争」の考え方に猪突猛進していない米国政府である。
イラク人医師シャキルさん来日記念講演&「フレンズ オブ マーシー・ハンズ」結成報告会のご案内
今年の1月に来日し、東京、大阪、京都、兵庫などで、1991年から2003年まで続いた経済制裁、2003年の戦争、そして現在の占領下におけるイラクの深刻な状況を医療の観点から報告してくださったイラク人医師モハメッド・シャキル・ヌーリさんが、7月中旬に再来日しました。今回の来日は短期ではなく、大阪大学医学部にて腫瘍の研究をするためです。
1991年の湾岸戦争以降、イラクでは劣化ウラン弾の影響を受け、白血病や専門医すら聞いたことがないような新種の腫瘍に苦しむ患者の数が激増しました。シャキル医師は、これらの病気の治療に必要とされる高度な医療を学ぶために、7月以降は、研究室で毎日実験に励む生活を送っています。
今回の講演では、経済制裁・戦争下の医療状況だけでなく、占領が長引くにつれ治安が悪化し、「宗派対立の悪化」「内戦」といった言葉で報道されているイラクの現在の状況を、イラク人の医師の立場から語っていただきます。
今回の来日記念講演では、これまでシャキル医師の研究活動を支えてきた「イラク人医師シャキルさん支援グループ」を、シャキル医師が関わってきたイラクの医療NGOである「マーシー・ハンズ」を支援するグループ「フレンズ オブ マーシー・ハンズ」として発展させていくことを報告する会も兼ねています。シャキル医師から、マーシー・ハンズが結成された経緯や具体的な活動、今後の展望などについても報告していただきます。
みなさまのご参加をお待ちしています。
日時:
2006年9月17日(日)18:30(18:15開場)から20:30
場所:
高槻市立総合市民交流センター 視聴覚室
行き方:
JR高槻駅南側中央改札口徒歩1分、阪急高槻駅徒歩10分
(付近地図↓)
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/db/kurasu/images/koryu.gif
資料代:
700円 (事前のお申し込みは不要です)
主催:
イラク人医師シャキルさん支援グループ
問い合わせ先:
メール iraqimd2006[at]yahoo.co.jp
※転記者注:メールアドレスは、[at]を半角の@にしてください。
電話 08054708175
●モハメッド・ヌーリ・シャキル医師のプロフィール
1976年にバグダードに生まれる。経済制裁下のイラクで、高校・大学教育を受け、医師となったあと、2002年12月までバグダードの大学病院で臨床。2002年12月にヨルダンに移ったが、数ヵ月後の2003年3月にイラク攻撃が開始されたため、戦火のなかバグダードに戻り、負傷者の緊急治療に従事。同年7月にイラクで医師を続けると殺害するという死の脅迫を受けたため、ヨルダンに避難。アンマンで医師として働きながら、イラクの医療NGO「マーシー・ハンズ」(Mercy Hands)の活動に関わってきた。2006年初旬に初来日し、日本各地でイラクの医療事情に関する講演を行った。2006年7月に再来日が叶い、現在、大阪大学医学部にて腫瘍の研究をしている。
●イラク人医師シャキルさん支援グループのプロフィール
シャキル医師が2006年初旬に来日した際に、講演会を通して彼と友人となったものたちが、イラクで必要とされている血液や腫瘍に関する知識を日本の医学部で学びたいと考えていたシャキル医師を支援するために結成したグループ。シャキル医師の研究生活に必要な経費をカバーするための賛同者・寄付金集め、発起人による講演会やチャリティー・ライブの開催、受け入れ先の手続き、来日手続きの活動を行ってきた。

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