2006年06月25日

ハディタ虐殺 第二部 われわれが学んだ教訓

ラマディ攻撃が続けられる中、『ファルージャ2004年4月』著者の一人ラフ>ール・マハジャンが、2005年11月に米軍海兵隊が犯したハディタ虐殺をふりかえる。第二部。

ハディタ虐殺
第二部 われわれが学んだ教訓
2006年5月29日
ラフール・マハジャン
EmpireNote原文

この数日、ハディタ虐殺は、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポスト、ロサンジェルス・タイムズやタイム誌で詳しく取り上げられており、ネットワークの報道でも情報がある。けれども、これまで地方の新聞は取り上げていない。

来週予定されていることになっている軍の調査結果が公表されるならば、メディアの報道はさらに増えるだろう。

ジョン・ムルサだけでなく、共和党の上院軍務委員会のジョン・ワーナーさえ、ハディタ虐殺の隠蔽があり、それには海兵隊の上級士官までが関与しているのは明らかだと述べている。ムルサによると、「3月まで、まじめな調査はなされていなかった」。「事件直後に調査がなされたが、それは抑えられた」。イラク人のジャーナリズム専攻学生が遺体のビデオを撮影し、タイム誌が軍当局にそれを渡していなかったら、まったく調査はされていなかっただろう。海兵隊が携帯電話で撮影した、射殺されるまえにひざまずいているイラク人の写真などが映像の証拠としてなければ、最初の調査が出した、この事件は単なる「副次的被害」の例にすぎないという結論が、そのまま維持されていただろう。

米国のメディアは実質上、この出来事を隠蔽する手助けをした。タイム誌、そしてインディペンデント紙をはじめとする外国のメディアはこの事件を数カ月前に報じていたが、5月17日にムルサが記者会見でこれを取り上げるまで、基本的にそれ以外のメディアはどこもこれを報じていなかった。米軍兵士が民間人を虐殺することが報道価値の高いものであることは議論の余地がないにもかかわらず。

この出来事について上層部の一部で驚きの声があったものの、イラク占領は無分別なイラク人との万人の万人に対する野蛮な戦いであり、その中で、米軍兵士は秩序をもたらそうとむなしく戦っているのだと見る偏見を長きにわたって持たされている米国の市民にとって、その米軍兵士たちが犯した虐殺の報道を消化するのは困難であり、占領そのものの残虐性を示す出来事についてはなおさらである。アブグレイブと同じく「一部の腐ったリンゴ」のせいだとする発言が右翼から出ることが予想され、また、兵士たちを攻撃したとジョン・ムルサなどへの非難が起こることも予想できるが、それらは事態を改善させる役にはたたない。また、ムルサや他の者たちが、自分たちは兵士たちを非難しているのではなく支持しているのだと言うことも、海兵隊員たちは大きなストレスを抱えていたために小さな子どもたちを至近距離から撃つに至ったのだと言うことも、役には立たない。

虐殺事件の報道を受容する側の知的・道徳的文化を理解するためには、モーリーン・ダウドの最近のコラムを見るだけでよい。センスのあるヒューマニストでリベラルの彼女が、殺害に心をかき乱されていることは明らかである。それにもかかわらず、彼女のコラムは次のように結論する:「イラク占領は我々を彼らのようにしてしまっている」。我々アメリカ人は、このイラクという「闇の奥」と接することで、自分たちも彼らのような闇になってしまってはいけない。

イラクには、驚くべき冷血な残忍さを特徴とするグループがあるのは確かである。そうだとしても、アメリカが、ある国を侵略し、占領し、その社会構造を破壊し、何十万人もの人々に死をもたらし、数万人を自らの手で殺し、永久的に国を不安定化し、さらに折に触れて意図的に民間人を殺害しながら、そこから我々アメリカが学ぶべき唯一の教訓が、我々はイラク人によって汚染されてはならない、というのである。

ハディタ虐殺が氷山の一角に過ぎないということ以外に、アメリカ人がこの事件を理解するために考えなくてはならないことが二つある。第一に、ムルサが言うような軍の訓練不足がこの残虐さと関係しているというのは本当ではない。まったく逆に、米軍の訓練は、こうした事件を不可避なものにしている。兵士たちが「殺れ!殺れ!殺れ! 血を吸わせれば草は育つ」と歌いながら行進するのは、情け容赦のないサディズムではなく、他の人間を殺すことに対する自然な嫌悪感情の克服を目的として特に作り上げられた型なのである。兵士たちは殺人マシンに仕立て上げられる。一方で兵士たちを人殺しの機械に仕立て上げながら、他方で、際限なく「人道的介入」を叫び、兵士たちは民間人の利益を守るためにあると言うような文化、それは真実を否認する文化である。

第二に、人種差別、そして2001年9月11日以降の、人種差別を組み込んだ好戦的国粋主義と宗教主義がある。英国の士官たちは、繰り返し、米国がイラク人に接するときの特徴に人種差別主義があることを指摘してきた。米軍兵士たちが民間人のいる地域で無差別大規模に発砲を返す傾向があること、こんなことを例えばヨーロッパで彼らがやるとは想像しにくいと、ある英国人士官は言う。「アメリカ人たちは、イラクの人々について、私たちと同じ見方をしていない。アメリカ人はイラクの人々を非=人と見ている」。この要素は、これまであまりに長い間、無視されてきた。

不幸なことに、ソンミ村虐殺さえ、アメリカ人が本当に学ぶべき教訓を失われないかたちで学ばせることができなかった。ハディタからアメリカ人が学ぶべき教訓を学ぶようにするのは、疑いなく、反戦運動にかかっている。

昨日、どうやら米国人らしいと思われる人から、メールをいただきました。「あなたは世界平和のために我々アメリカがベストを尽くそうとしていることをまったくしりませんね Webで情報を読み、そこで知識を得てるだけですね。 日本がもしアメリカに見捨てられたら、間違いなく中国、北朝鮮に潰されますよ。 あなたみたいに現実を知らない人間がいるということが悲しいです」と。

何度かやりとりをしたのですが、いただいた意見の中には、「どこの国でも戦争をすればそれはもちろん人は死にます。 軍部の中にも良い人、心がおかしい人、いろいろな方がいます。 それは旧日本軍、ロシア連邦軍、中国共産党、イラン、イラク、どこにでも言えることです。  アメリカは確かにおかしい面も良い面もあります。 どの国にも言えるでしょう。 しかしアメリカの支援無しで生きていける国は多くはありません」とか、「あなたのような人間は2ちゃんねるにいる人間と変わりません」(私は「2ちゃんねるの人たちは、人殺しはしませんからね。。。」とお答えしたのですが)というものもあり、結局、

Fuck U Go to fucking hell and suffer forever.
BITCH!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

というメールを最後にいただきました。

コメント・説得から罵倒へ、というこのプロセスは、「世界平和のためにベストを尽くすこと」という自己意識が行為としては虐殺につながるというプロセスと似たものに思われ、なんだか、不思議な感じを持ちました。

投稿者:益岡
posted by いけだ at 14:08| Comment(0) | TrackBack(0) | イラク全般

2006年06月22日

ハディタはアラビアのソンミ村である

ラマディ攻撃が続けられる中、『ファルージャ2004年4月』著者の一人ラフール・マハジャンが、2005年11月に米軍海兵隊が犯したハディタ虐殺をふりかえる。少し前の記事です。

ハディタはアラビアのソンミ村である
2006年5月22日
ラフール・マハジャン
EmpireNotes原文

2005年11月のある日、ハディタにいた米軍海兵隊は、即席の爆発装置(IED)により同僚が命を落としたことに復讐しようと決め、罪のない武器を持たない男女と子どもを23人、意図的に殺した。海兵隊兵士たちは犠牲者の家に侵入し、至近距離から射殺したのである。大人たちは殺さないよう懇願し、子どもたちの前に体を置いて子どもたちを助けようとした。兵士たちが祈りを捧げる神と同じ神に祈りを捧げながら。

殺しのあと、海兵隊は自分たちの行為を隠蔽するために、嘘をついた。自分たちが虐殺した身を守るすべをもたない男性8人は、「ゲリラ」とされ、他の15人年齢と性別から必然的に「民間人」だったについては、同じIEDの犠牲者だと言い張った。そののち、犠牲者の一部は、前述の「ゲリラ」と「銃撃戦」とされるものを「交わした」ときの「副次的被害」であると言われた。

彼らにとっては不運なことに、ジャーナリズムを先行する学生が、ハディタのモルグで遺体をビデオにおさめ、犠牲者たちが処刑式殺人により至近距離から頭を撃たれたことを示す写真がとられた。先週(5月半ばの週)記者会見を行った、クリス・マシューズとやりあっているジョン・ムーサ上院議員によると、事件に対する軍の調査もそれを確認することになるという。

この老いた軍国主義者ムーサは、事件そのものよりもはるかに、兵士たちが追いやられたストレスを持ち出して海兵隊のために言い訳をすることに熱心だったが、それにもかかわらず、彼の発言は信頼に値する。マシューズが事件を歪曲しようとしたとき、ムーサは冷静にマシューズの発言を正し、違う、戦闘などどこにもなく、交戦もなく、爆発もなかった兵士たちは23日を「冷酷に」殺した、と述べた。マシューズが、これはソンミ虐殺のようなものかと尋ねたとき、ムーサは正直に、そうだと答えた。

実際、ベトナム戦争におけるソンミ村虐殺米軍兵士たちが男性・女性・子どもを並べて機関銃掃射をあびせ、500人の民間人を虐殺したこととの類似は避けがたい。規模は小さく、今回はおそらく女性が強姦されたことはなかっただろうが、ハディタ虐殺の残忍さは、ソンミ村虐殺に肩を並べる。

今は、「兵士」たちをわれわれは「支持する」などと世迷い事を言うべきときではない。下劣な殺人者たちが帰国したときにはできるだけの治療が必要だが、刑務所で受けるべきである。

どうしてかわからないが、ほとんどの米国人にとって、ソンミは、ベトナムで米国が犯した罪すべての換喩語となっているが、実際には、ソンミ村虐殺は氷山の一角である。それより規模の小さな虐殺はしょっちゅう行われていたし、いくつかの地域では、ベトナム人を無差別に殺すことは、標準的な作戦手続きとなっていた。

ハディタもまた、氷山の一角である。この事件の二つの側面から、他にもこれと同じような事件が多数あった可能性がかいま見える。第一は、交戦があり副次的被害が出たというストーリーを使った隠蔽工作である。それに反駁するビデオの証拠がなければ、軍の調査が単なるお墨付きを与える以上になっていたとは考えがたい。

第二は、8人の男性をゲリラに見せかけようとしたことである。これは、もちろん、最悪の領域で米軍が持ち出す理屈である。たとえば、ファルージャに対する二度目の攻撃のとき、作戦の原則は、ファルージャにいる「軍年齢の男性」はすべて戦士であると仮定され、攻撃の対象とされた。殺したあとで遺体に銃を持たせたり、さらにはシャベルを持たせれば、すぐにその男性は「ゲリラ」であると見せかけることができた。

ハディタはまた、民間人を殺す様々な一連の方法全体銃を撃ちたくてうずうずしている兵士による検問所での殺人、民間人で混み合った場所への無差別発砲返し、「ゲリラの疑いがある者たち」に2000ポンド爆弾のような広域兵器を用いること、そして「まず撃って、それから尋問」という一般方針と有機的に結びついている。そうした方法は、頻繁に、意図的な殺害二ならない場合でも、イラク人の命に対する下劣な無関心になる。さらにそれに加えて、2004年の二度にわたるファルージャ攻撃のような出来事がある。このときには、民間人の「付随的被害」は広範にわたっており、例外ではなくまさに攻撃の特徴となっていた。

数字に弱くはっきりした態度をとれない米国の人々は、ベトナム戦争という犯罪の巨大な規模をけっして理解することができなかった。今日まで、米国の人々は、おそらく10万人のベトナム人が殺されたと考えている。実際に殺されたベトナム人のわずか3から5%である。ベトナム戦争時、米国人の大多数は、大量爆撃、環境系の破壊、いくつかの地方部での生命の体系的な破壊などに思い至らなかった。戦争の野蛮で不道徳な性格を米国に知らしめたのは、ソンミ村虐殺事件だけだった。戦争の行方についてはテト攻撃が転回点となったが、米国の人々が道徳的に戦争に反対する転回点となったのはソンミ村虐殺である。

イラクについても、どうようの展開をする機は熟した。これまでのところ、一方でゲリラの一部の残酷さが、他方で兵士のイメージ維持政策が、戦争に反対する道徳的主張を難しくしていた(ヒーローや少年聖歌隊員が不道徳な行為をすると考えるのは心理的にも感情的にも難しい。米国人にいつも見せられる英雄的な少年聖歌隊員だとなおさらである)。今、それを変えなくてはならない。そしてハディタ虐殺は、その道を示している。ハディタは、アラブにおけるソンミ村虐殺なのである。

ハディタ虐殺について、当ブログでは、まとまって扱うことができていませんでした。どうか、想像してみて下さい。外国の部隊による不法占領の中、戦闘が続き、心配な家族や親戚が一つの家に集まっている。そこに占領軍兵士が侵入し、至近距離から中にいる人を射殺し始める。子どもの命を救おうと、占領軍兵士の銃と子どもの間に身を置く大人たち。

日本の「自衛隊」は、不法占領軍の一部として、こうした行為を行う米軍に加担しているのです。

不法な侵略と不法な占領を続ける軍隊には、相手が「ゲリラ」だろうと、殺人を正当化することはできません。ナチスドイツが占領下欧州のレジスタンスを「ゲリラ」「テロリスト」などと呼んでいたことを思い起こします。

米国国防省に抗議の声を届けるには、http://www.defenselink.mil/faq/comment.htmlにアクセスし、上の方のま>
んなかあたりにある「Ask a Question / Make a Comment」をクリックします。

そこで出た画面に、
*メールアドレス
*コメント
*カテゴリー(Ask a questionを選べばOK)
を入れて、「Send」ボタンを押すと、メッセージが送信できます。

コメントは、

Stop attacking Ramadi. とか、

Could you please stop the war crimes that you have been committing in Ramadi, Ir
aq, immediately? とか、

No more killing, no more war crimes, please.

など、短いものでも。

投稿者:益岡
posted by いけだ at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | イラク全般

2006年06月18日

ラマディ:ファルージャの再来

米軍がラマディで進める戦争犯罪について、2004年4月ファルージャ入りし米軍による虐殺を報じたダール・ジャマイルが語る。

ラマディ:ファルージャの再来
ダール・ジャマイル
2006年6月15日
ZNet原文

米軍が数カ月にわたってラマディを攻撃し、水や電力、医薬品の供給を絶ったり、外出禁止令を課したり、スナイパーによる攻撃や無差別空襲を加えている中、恐れおののいた住民たちはラマディから大挙して逃げ出している。今回、ラマディにいるイラク人には、最悪のことを恐れて当然である。近くの都市ファルージャに加えられたのと似通った、都市への全面攻撃である。

米軍が、アンバル州の州都ラマディの破壊を開始するのはこれまでも時間の問題と見なされてきた。結局のところ、ラマディはファルージャから遠くなく、また、部族としても、占領を嫌う点でも、ファルージャととても似ていたので、ラマディの人々はファルージャを「ラマディ」と呼ぶほどである。米国が2度にわたりファルージャを攻撃した際、親戚や友人を失ったというラマディの住人を私はたくさん知っている。そしてラマディでは米国に反対する気分はこれまでずっと高かった。

これまでに、私たちの誰もが、イラクの米軍が一つの都市全体を攻撃すると決めたときに起きる光景を知っている・・・・・・その標準的な作戦手続きが何かしら繰り返されるのを、私たちは、ハディタで、アルカーイムで、サマラで、バグダードの一部で、バラドで、ナジャフで、ファルージャでは二度・・・・・・見てきた。町は数週間あるいは数カ月にわたって封鎖され、水と電力の供給が遮断され、医療援助も遮断され、外出禁止令が出され、移動は阻害され、空襲が加えられ、それから本当の攻撃が始まる。ラマディでは、今や本当の攻撃が始まった。

戦闘機が空を駆けめぐって爆撃が増加し、町へ向けた拡声器は「激しい攻撃が差し迫っている」(すでに始まっているのだが)と住民に警告し、ちょうどファルージャで二度にわたる攻撃が行われたときと同様、何千という家族が自宅に閉じ込められたままになっている。ラマディでも、町に残った人々は、あるいは貧しくて、あるいは交通手段がなくて、あるいは唯一残った家を守りたくて、町を去ることができなかった人々である。

アンバル州の元州知事シャイフ・ファサール・ガウードは、ラマディの状況について、「状況は破滅的です。サービスも電気も水もありません」と話している。彼はまた、「アメリカ人とイラク人の司令官たちが、今やすぐにでも広範な攻撃を行うことに決めたことを私たちはたしかに知っていますが、彼らは私たちに相談すべきだったのです」。

今日、最近ラマディを訪れたファルージャ住人の男性が、私に、次のように語った。「イラクでは新政権はすべて、発足時に虐殺する。これは、とりわけスンニ派の地域で、私たちイラク人が支払わなくてはならない代価のようです。ラマディでは、約2カ月にわたって、水も電気も電話もすべてのサービスも遮断されています。米軍とイラク政府軍は、あからさまに、ラマディの人々に対し、テロリストを手渡さない限りサービスが再開されることはないと行っています!! 作戦は先週始まりましたが、海兵隊は、ファルージャよりもかなり大きなラマディの都市部で多少の問題に直面しているようです(ラマディはまた、住民の数でもファルージャより少なくとも5万人は多い)。スナイパーや米軍の装甲車に乗った兵士が民間人を殺すのはほとんど毎日の出来事になっています。2004年のファルージャ攻撃と比べてさえ、現在のラマディの住民の状況をさらに難しくしている問題は、バグダードに逃げることができないことです。バグダードでは、政府系民兵に暗殺されることになるからです。それにもかかわらず、米軍は、人々に、町を明け渡すよう言っています。その一方で、政府と米軍は、民兵を投入してラマディに対する広範な攻撃に参加させると明言しています。いつも通り、国連も世界全体も沈黙しており、ラマディで起きていることを誰一人気にしていません」。

こうして舞台は整えられ、イラク人はラマディで、さらにまた一つの膨大な民間人の犠牲者に自分たちだけで直面しなくてはならない。これが行われているさなか、国防省が発表した最近のニュースでは、イラクに駐留する米軍兵士により愛する人を殺されたイラク人家族に対し、イラク駐留米軍が1900万ドルの賠償金を支払ったという。平均支払額は一人の遺体あたり2500ドルで、1900万ドルの半分近くがアンバル州での支払いにあてられている。イラクでの暴力が激増していることを反映して、2005年の補償金総額は、その前年の4倍近くになっている。

最近イラクとりわけラマディに派遣された1500人の米軍兵士について、すべてとは言わずともほとんどの企業メディアが何も報じていないという事実は、ラマディの住民にとっては驚くことではない。いずれにせよ、米軍とレジスタンス戦士たちの市街戦は、これまで数カ月にわたって続いてきたのだから。

ラマディに関するメディア報道管制は、すでに、2004年のファルージャ包囲攻撃の際に米軍が使った過酷な手段についての報道管制以上とは言わないまでも、それに近いものになっている。これまで、軍は、軍属記者でさえ、ラマディの米軍に随行させることを嫌がっていた。イラクの都市に対する米軍の攻撃が一つ増える毎に、メディア管制はますます闇に近づいており、ラマディでのメディア管制はこれまでで最も暗いものである。

ときおり得られる包囲された都市内部からの報告を除けば、私たちが耳にする情報のほとんどは、バグダードの米軍報道官トッド・ブリーシール少佐が語るプロパガンダである。彼は、クウェートから新たに到着した1500人の米兵がラマディ周辺の配置についたという動きだけを語っている。「この部隊を動かしたことで、部族の指導者と政府関係者は、自分たちの町を犯罪分子から奪回するという困難な仕事をできるようになるだろう」。

ファルージャのときと同様、何千人もの恐怖にかられたラマディ住民が町を逃げ出そうとし、バグダードに入ろうとして追い払われている。軍はテントも食料もいかなる援助も彼らには提供せずこれは戦争犯罪である、これらの人々は自分たちの持ち物だけを抱えて、どこにも行けずにいる。これらの難民たちが、イラクで家を追われた10万という恐ろしい数の家族にさらに加えられる。こうした人々の大部分は、町全体を居住不可能にしがちな米軍の軍事作戦により、避難民とさせられた人々である。

ラマディ内部の情報源からの報告によると、この数週間、米軍兵士たちは、屋上に狙撃場所を確保するために人々の住宅に入り込んで暮らしており、罪のない人々が毎日撃たれ、人々は、どこにも行き場がないまでも町を逃れるか、殺される覚悟で町に残る危険を犯すかの混乱状態にあるという。

イラク議会の評議会議員ハッサン・ザイダン・ラハイビは、最近、記者団に対し、「この事態が続けば、人道的危機になるだろう。人々は殺され、負傷しており、残りの人々は、行くあてもなく移動している」と述べた。

彼はこのことばで、イラクの他の場所についても同様に述べることができただろう。他のところでも、ますます残忍になる占領と米軍の後押しを受けた殺人部隊、セクトの民兵、信じがたいほどの失業と破壊されたインフラの下で、人々は生き延びるために奮闘しているのだから。

米国国防省に抗議の声を届けるには、http://www.defenselink.mil/faq/comment.htmlにアクセスし、上の方のまんなかあたりにある「Ask a Question / Make a Comment」をクリックします。

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を入れて、「Send」ボタンを押すと、メッセージが送信できます。

コメントは、

Stop attacking Ramadi.

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など、短いものでも。
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2006年06月15日

ラマディへの目

2004年4月と11月のファルージャ攻撃。4月には600人と言われる人々が、11月にはさらにそれを大きく超える数の人々が、米軍により無差別に殺されました。今、ラマディで米軍は同じことを繰り返そうとしています。

ラマディへの目
2006年6月12日
Electronic Iraq 原文


ラマディ中心部のモスク

ロサンゼルス・タイムズ紙は、ラマディに対する米軍主導の攻撃が差し迫っていることを示す兆候があると報じている。ラマディはアンバル州の一都市で、暗殺されたアルカーイダのイラクにおける指導者アブ・ムサブ・ザルカウィに忠誠を誓う人々を含め、ゲリラが自由に行動できる都市である。

占領軍は、2003年の侵略以来、ラマディを制圧しようとしてきた。川沿いにあるこの都市の住民は、政治的な策略や、米軍による攻撃、ゲリラの攻撃にこれまでもさらされてきた。そうした闘いが、今や、頂点に達しようとしている。


2006年4月19日、ラマディをパトロール中の米軍海兵隊兵士と通訳がイラク人女性たちに、近所での活動を聞いている。

「この数週間のうちにインタビューをした部族の指導者達と町を逃げ出す家族からわかることは、40万人の住人がゲリラと米軍の交戦に巻き込まれ絶望的な状況にあるということだ。食料も医薬品も供給が不足し、ガソリンが不足し、町の公共サービスが停止しているため、価格は急上昇している」と、ロサンゼルス・タイムズ紙の特派員ミーガン・K・スタックとルイーズ・ルーグは書いている。

同紙の報道は以下のように続いている。


米軍とイラク軍は、土曜日までに町の周囲に警戒線を張ったと、住民とイラク人官僚は語る。住宅地のいくつかに空襲が加えられ、兵士達が拡声器をもって路上に出、住民に、まもなく激しい攻撃が行われると警告している。ラマディの警察所長ターシーン・デュライミはこう語った。

米軍関係者は、ラマディ攻撃が進められていることを認めもせず、否認もしなかった。

何千という家族が町に取り残されていると、逃げ出してきた人々は語る。金や交通手段がないために逃げ出せない人々が沢山おり、一方で、子どもたちの学校での期末試験が終わってから逃げようと、試験終了を待っている人々もいる。

「状況は破滅的です。サービスも電気も水もありません」とラマディと州都とするアンバル州の元州知事シャイフ・ファサール・ガウードは語る。

「ラマディの人々は二つの厄介者の板挟みになっています。激しい武装ゲリラと、米軍・イラク軍兵士です」。

住民は、とりわけ、既にラマディに駐留していた米軍を補強するために派遣された1500人の米兵が到着したことを憂慮している。米兵とゲリラの紫外線は数カ月にわたって続いているが、米軍兵士の派遣により、住民は、ゲリラから町を奪い返すための大規模攻撃が近いのではないかと緊張している。

「ラマディは地獄になりつつあります」とモハメド・ファフダウィは語る。42歳の彼は、4人の子どもを連れて、2週間前にバグダードに逃げてきた。「信じられないことです。アメリカ人は、全兵力をラマディに連れてきたかのようです」。

米軍指導者は否定するが、2004年11月に米軍が近くのファルージャに加えたのと同じような大規模な攻撃を示唆する兆候は多数ある。ファルージャ攻撃について、ワシントン・ポスト紙は昨年「ファルージャにある3万9000軒の住居のうち半分以上がダメージを受けた。約1万軒が完全に破壊されるか、これ以上住めないほどのダメージを受けたと米軍関係者は語る」と報じている。

ファルージャはいまだにこの破滅的な攻撃から復興していない。その攻撃では、占領米軍は、病院を侵入捜査し、命に関わる医薬品や食料援助の搬入を妨害し、数え切れない程の罪のない人々を殺し、犠牲者を生きたまま焼いてしまう無差別発火兵器である白燐爆弾を町の一部に雨のように投下した。

ラマディは、以前のファルージャとどうよう、イラク人ゲリラの一部にとってある種の本部のようになっていた米軍兵士は数カ月にわたり、こうしたゲリラと市街戦を繰り広げてきた。ラマディのゲリラは警察志願者を殺し(1月に70人)、部族の指導者たちを暗殺していた。

エレクトロニック・イラクはラマディで起きることを追跡する予定である。毎日チェックして下さい。

ラマディ関連ニュース(2006年6月13日改訂)
  • Ramadi: Fallujah Redux, Dahr Jamail (12 June 2006)
  • Fear of Big Battle Panics Iraqi City, Los Angeles Times (11 June 2006)
  • Heavy Street Fighting in Ramadi, Informed Comment (10 June 2006)


    背景:
  • Wikipedia on Ramadi
  • U.S. Will Reinforce Troops in West Iraq, Washington Post (30 May 2006)
  • Insurgents hamper U.S., Iraqi forces in Ramadi, AP (22 May 2006)
  • Marines From Iraq Sound Off About Want of Armor and Men, New York Times (25 April 2005)
  • US General Gets Earful From Men in Sunni City Who May Forgo Polls, Los Angeles Times (30 January 2005)
  • More blood, More chaos, Dahr Jamail's Iraq Dispatches (21 November 2004)
  • Young Marines frustrated by lack of progress, Boston Globe (12 August 2004)
  • Among Troops, Growing Doubts About Mission, Leaders Who Sent Them, KnightRidder (21 July 2004)
  • 'US soldiers started to shoot us, one by one' , The Guardian (21 May 2004)
  • USLed Forces Risk Being Sucked Into Guerrilla War, Reuters (8 April 2004)
  • Revolutionary violence engulfs Iraq, AP (7 April 2004)
  • Anger and faith fuel Iraqi resistance, Boston Globe (9 October 2003)
  • Iraq Town Blames U.S. Troops for Fatal Explosion at Cadet Graduation, KnightRidder (7 July 2003)




  • ファルージャで何が起きたかについては、私たちが訳した『ファルージャ2004年4月』(現代企画室)のほか、土井敏邦さんのDVD『ファルージャ2004年4月』、4月と11月に現地にいて虐殺を撮影したイサム・ラシードさんの『ファッルージャからの証言』を、ぜひご覧下さい。

    また、色々なかたちで、ラマディで起きつつあることを知らせ、反対の声を広めていただけると幸いです。

    投稿者:益岡
    posted by いけだ at 20:32| Comment(0) | TrackBack(0) | イラク全般

    2006年06月10日

    抵抗する勇気(2)

    米軍のエレン・ワタダ中尉が、イラク派兵に抵抗し辞表を提出しました。一部大手メディアでも報じられていますが、そのワタダ中尉へのインタビュー(続き)。

    オルソン:イラク戦争に対して、知的・道徳的にどう反対しているのですか? 何にもとづいて反対していますか?

    ワタダ:第一に、この戦争はイカサマの口実に基づいています。大統領がわれわれにサダムの大量破壊兵器を破壊するためにわれわれはイラクに行くのだと言いながら大量破壊兵器など一つもないとき、どうしてわれわれはイラクにいるのでしょうか? それから大統領はサダムガアルカーイダおよび9月11日の事件と関係していると言いました。 この主張もまた、偽りだったことが証明されました。それではどうしてわれわれはイラクに行くのでしょうか? 大統領は、われわれはイラクで民主主義を広め、イラクの人々を解放するのだと言いました。そんなことも起きていません。

    第二に、イラク戦争は、国内法から見ても国際法から見ても不法です。この戦争は合衆国憲法に違反し、大統領が軍の最高司令官として都合の良いときに武力を行使することを制限する戦争権限法にも違反しています。国連憲章とジュネーブ条約、ニュルンベルク原則は、すべて、侵略戦争を禁じています。

    最後に、占領そのものが不法です。陸戦法を規定する軍戦場マニュアル27−10を見ると、占領勢力の責任を述べています。占領勢力として、私たちはそれらの規定の多くに従っていません。われわれがどうしてイラクにいるのか、そこで何をしているのか、何一つ正当化できないのです。

    オルソン:軍内の抵抗者に対する批判として多いものの一つに、同僚を見捨て、自分のかわりに他の人々を戦争で戦わせているというものがあります。これについてはどう応えますか?

    ワタダ:司令官は私に「誰もが君のようにイラク行きを拒否したら、何が残るというのか?」と問いました。彼は、そうすれば軍人がいなくなってしまうだろうと言いたかったのだと思います。困ったことです。けれども、私は彼に次のように言いたかったのです。「そうなれば、戦争は止まるでしょう。戦う者が誰もいなくなるのですから」。

    人々が、お前はチームプレイヤーじゃないな、とか仲間を見捨てている、というとき、私は、自分が今でも同僚のために闘い、支援していると言いたいのです。ただ、仲間を支援する良心的な方法は兵器を投下してさらなる破壊をもたらすことではなく、戦争に反対して、兵士が全員家に戻れるよう戦争を止めようとすることです。不法な命令に従わないこと、道徳的にとがめるべきことがらに参加しないことは、私の義務です。

    オルソン:あなたの気持ちは軍の中で一般的なものですか?

    ワタダ:軍内の人々の一般的な気持ちは、「この戦争にはちょいと嫌気がさし飽き飽きしている」というものです。最近のゾグビーの世論調査で軍の70%以上の人々が、今年末までに撤退したいと言っていることからもそれがわかります。公に意見を表明する機会を与えられていない軍の人々から出た、強力な見解です。

    オルソン:今米国はイラクで何をすべきだと思いますか?

    ワタダ:兵士を即時撤退させるべきだと思います。内戦は、われわれが侵略し戦争を始めたことでわれわれが引き起こしたものです。今、私たちが内戦を緩和できるとは思いません。

    オルソン:裏切られたという気持ちについて、説明してもらえますか?

    ワタダ:大統領は総司令官で、リーダーですが、強い信頼関係がなくてはいけません。強固で効果的な軍を持つためには、司令官と兵士のあいだに一定の信頼が必要なことは、軍にいる者なら誰でも知っています。信頼がなければ、事態は崩壊し始めます。

    私は、命令に従い言われたことをするという契約に署名しました。それに疑問を呈することも、命令の合法性を判断することもできない時期もあります。ですから、最終的に司令官を信頼しなくてはなりません。大統領の言葉を信用し、正しいことをすると信頼しなくてはなりません。自分たちの命を、正当で道徳的な理由でのみ犠牲に捧げることについて大統領を信じなければ行けません。彼がゴマカシで持ち込んだ戦争にわれわれを引き出そうとしたことを知り、その信頼は崩れました。大統領が私の信頼を裏切ったのですから、私の側で彼がやれと言っていたことを評価するときがきたのです。私は、この戦争に行くことは悪しきことだと気づきました。

    オルソン:この国の反戦気分の増大についてはどうお考えですか?

    ワタダ:それが現れているとは言えません。イラクから帰国した兵士たちは、多くの人がここでは戦争が続いていることを知らないようだとの印象を受けると言っています。兵士の家族や友人たちでさえ、戦争よりもポップカルチャーとアメリカン・アイドルに熱中していると。人々は、毎週命を落としている何百人ものイラク人や数十人のアメリカ人には関心がないのです。

    オルソン:イラクの人々についてはどうですか? 彼らの苦しみがあなたの派兵拒否に影響しましたか?

    ワタダ:サダム・フセインは残忍な独裁者で抑圧的でした。拷問も使いました。けれども、われわれがイラクに行ってからも拷問と人殺しは止みません。私も含めこの国の誰であれ、それに参加すべきではありません。

    戦争ではいずれの側も相手を非人間化します。米軍兵士はイラク人を、イラク人市民など自分たちにとって何者でもないというところまで非人間化しました。そうして、多くの残虐行為が起きたのです。アメリカ人の若い男女がたくさん、残虐行為を行い、考えもせずに罪のない民間人を多数殺しているのです。イラクの人々は、おそらく、われわれがイラクを侵略する前よりも酷い状態に置かれているでしょう。

    オルソン:辞表を提出した今、次は何をしますか?

    ワタダ:私は辞任の書類を提出しましたが、認められませんでした。司令官は、今でも気は変わらないかと聞き、私はむろん変わらないと応えました。今も6カ月前と同じ考えです。彼は、私が実際に命令に背くまでは告発できないと言いました。そして、私は6月下旬にイラクに赴任する命令を受けたのです。それを拒否すれば、司令系統は私を告発し、軍事法廷にかけるでしょう。

    オルソン:人々があなたの話を知ったとき、あなたの行動とその理由について、人々の頭と心に特に置いておいて欲しいことがありますか?

    ワタダ:憲法はわれわれ皆に自由を与えていると思いますが、とりわけ神がくれた最も重要な自由は選択の自由だと思います。もはや選択肢はないと言うときは、自由を失うときなのです。随一の自由を。みなさんに言いたいことは、とりわけこの戦争を疑う人々に言いたいことは、みなさんにはその自由があるということです。それは決して剥奪できないものです。彼らはみなさんを投獄するでしょう。厳しく処罰するでしょう。見せしめにしようとするでしょう。でも、選択の自由はあります。残りの一生を、そうして生きなくてはなりません。

    ※本記事はLeft Turn #21 に掲載予定。購読は http://www.leftturn.org/ まで。

    なお、Imai Kyoheiさんが、ワタダ中尉の声明を日本語化しました。転送・転載歓迎とのことですので、転載致します。

    声明
    エレン・ワタダ中尉
    2006年6月7日

    家族、友人、信仰心篤い地域のみなさん、マスコミのみなさん、そしてすべてのアメリカ人同胞のみなさん。本日はおこしいただき、ありがとうございます。

    私はエレン・ワタダと申します。アメリカ合衆国陸軍中尉であり、3年間服務しています。

    合衆国陸軍の将校として、重大な不正義に対して声を上げることは自分の義務であると考えます。私の道徳と法的義務は、憲法に対するものであり、無法な命令を下す者に対して負うものではありません。きょう私がみなさんの前に立つのは、兵士たち、アメリカの民衆、そして声を上げることもできない罪なきイラクの人たちのために何かを行い、彼らを守ることは私の任務だと考えるからです。

    米国軍隊の将校として、イラク戦争は道義的に過ちであるばかりでなく、合衆国の法をも手荒く侵害する行為であるという結論に達しました。私は抗議のために退役しようと試みましたが、にもかかわらずこの明白に違法な戦争に加わることを強制されています。違法行為に参加するようにという命令は、間違いなくそれ自身が違法です。私は、名誉と品性を重んじる将校として、この命令を拒否しなければなりません。

    イラク戦争は、抑制と均衡というわが国の民主的システムを侵害しています。この戦争は、憲法の規定によってアメリカの国内法と同等とされる国際条約や国際的慣習に違反しています。ほとんど満足な説明もなされていないイラク民衆への大量殺戮と残虐行為は、道徳的に重大な誤りであるにとどまらず、陸上戦に関する軍事法そのものの違反行為でもあります。この戦争に参加すれば、私自身が戦争犯罪の片棒を担ぐことになるでしょう。

    平常であれば、軍隊にいる人間も、自分の思うことを話し、自分の利益になるよう行動することは許されます。そうした時代は終わってしまいました。私は上官に対して、われわれの行動の意味するところを大局に立って判断するよう求めました。しかし、まっとうな回答は得られそうにありません。私は将校に就任するとき、アメリカの法と民衆を守ることを宣誓しました。違法な戦争に参加せよとの違法な命令を拒むことにより、私はその宣誓に従います。

    ありがとうございます。

    関係の情報が、http://www.thankyoult.org/にあります。

    投稿者:益岡
    posted by いけだ at 14:30| Comment(0) | TrackBack(0) | イラク全般

    抵抗する勇気

    米軍のエレン・ワタダ中尉が、イラク派兵に抵抗し辞表を提出しました。一部大手メディアでも報じられていますが、そのワタダ中尉へのインタビュー。

    抵抗する勇気
    サラ・オルソンがエレン・ワタダにインタビューする
    ZNet 原文
    2006年6月9日

    エレン・ワタダは29歳。アメリカ合州国軍の中尉である。彼が軍に入ったのは2003年、イラク戦争に向かっていたときだった。2006年1月、彼はイラクでの戦争に抗議し、辞表を提出した。彼は6月後半にイラク派遣命令を受け取る予定であり、イラク派兵命令を拒否した最初の中尉となるだろう。それは、GIの抵抗運動として、ベトナム戦争以来最大のものとなる可能性がある。彼は軍事法廷にかけられ、故意の任務不履行、恥ずべき任務放棄などをはじめとするいくつかの点で最大2年間の禁固刑を受ける可能性がある。彼は、不法かつ不道徳な戦争に反対して声を上げることには、そうした罰を受けることやその他のこととは比べられないほどの価値があると語る。ジャーナリストのサラ・オルソンが、5月、ワタダにインタビューした。

    サラ・オルソン:2003年に軍に入ったとき、何を目標としていましたか?

    エレン・ワタダ中尉:2003年というのは、9月11日のテロ攻撃から2年がたっていたときでした。私は、自分がわが国に必要とされており、国に仕えなくてはならないと思いました。今でも強くそう思っています。軍務と責任を強く信じています。軍に入った理由の一つはそれです。愛国心です。

    私は合州国憲法の前で宣誓し、憲法が体現している価値と原則に宣誓を誓いました。合州国憲法は、われわれを特別なものにしています。専制を許さず、説明責任とチェック機能、バランスを信じ、人民による人民のための政府を信じています。軍は、私たちを特別なものにしているそれらの自由と原則と民主主義を守らなくてはなりません。私自身を含めてたくさんの人が、祖国を愛し、祖国の表すものを愛しているために軍に入ったのです。

    オルソン:あなたが軍に入ったのは、イラク戦争に向かっているときでした。けれども、あなたは戦争に疑念を抱いていました。どうして疑念を抱いたのですか?

    ワタダ:アメリカ合州国と世界中の人々と同様、私は、大規模な大量破壊兵器や、アルカーイダや9月11日の出来事との関係についてテレビで彼らが語っているのを聞きました。また、何百万人もの人々が世界中で戦争に反対して抗議するのを見ましたし、抗議のために政府を辞任する人々の話を聞きました。私は、合州国大統領とその補佐官たちがイラクに対して向けている非難の証明がない限り、戦争はおそらく正当化できないだろうと悟りました※。

    けれどもまた、私は、大統領に「疑わしきは罰せず」の余地を与えるべきだと思いました。当時、私は、われわれの指導者が、われわれの彼に対する信頼を裏切っているなどと信ずることも、考えることもできなかったのです。

    オルソン:軍での経験はどんなものでしたか?

    ワタダ:最初の任務地は韓国でした。士官の役割を学ぶのは難しく、海外勤務も困難でした。難しい状況に置かれたのです。何をすべきか命令されるだけではありません。士官として、常に例を示さなくてはなりません。望まないときでも、正しいことをしなくてはならないのです。戦地に行ったときの仕事は、1日が終わって家に帰り、シャワーを浴びてリラックスし、おいしいご飯を食べるような民間人の仕事とは違います。

    オルソン:それで、韓国から帰国したあと、イラク赴任の命令を受けたのですね。そのとき何を考えましたか?

    ワタダ:韓国では、別の任務の訓練を受けましたが、イラクで起きていたことについては皆が知っていました。司令官は、戦争に備えよ、そのための訓練を始めよ、と言っていました。

    帰国したあとも、戦争について、どうしてわれわれが戦争しているかについて、疑問を持っていました。私がイラクに派遣されると聞いたとき、私は「了解、それに向けて訓練します」と言い、部下の兵士たちの訓練を始めました。自分ができる限り、それをきちんとやろうと思ったのです。

    オルソン:では、何があなたを変えたのですか?

    ワタダ:戦争に行くためには、できる限りの勉強をしなくてはならないと気づきました。まさにこの戦争に派遣されるのはどうしてか? この戦争がもたらすものはなにか? 帰国した兵士を待ち受けているものは何か? 私は手に入る限りのものを読み始めました。

    たくさん読んだ本の中の一冊は、ジェームズ・バムフォードの『戦争の口実』でした。この戦争を始めて進めるにあたりブッシュ政権がどれほど巨大な偽りを行ったか読み、ショックを受けました。私は軍服を着ていることを恥ずかしく思いました。イカサマと嘘に基づいて戦争を始めたと知りながら、伝統ある軍服を着続けることなどどうしてできたでしょうか? それは、合州国市民の信頼を裏切るものでした。そして、政府の嘘は、軍と兵士の信頼を裏切るものだったのです。

    心がどよめきました。命令に従い、自分では誤ったものだと考えていることに参加すべきだろうか? 軍に入ったとき、命令には疑問を持たずに従えと教わりました。兵士たちは非政治的で、自分の意見を声を上げて表明しはしません。

    私は自問し始めました:どうして私たちは死んでいるのだろう? どうして四肢を失うのだろう? 何のために? 大統領とその補佐たちが、われわれは民主主義のために、よりよいイラクのために戦っていると言うのを聞きました。そうした言葉について考え始めました。われわれがイラクにいて、命を失う本当の理由はそこにあるのだろうか? でも私は何もできることはなかったし、この政府はこれまでずっと、自分たちの目的を達するために法律を破り、それを止めるものは何もないと感じました。

    決定的な瞬間が来たのは、2006年1月です。軍葬の映像を見ました。家族の写真を見ました。子どもたち。墓のそばに座る母親たちと父親たち、彼らが葬儀から出てくるところを見ました。小さな少年が父親の葬儀から出てくるところはとてもつらいものでした。その子どもはカメラに向かうことが出来ず、目を覆っていました。私も、もう見ていられないと思いました。沈黙して、完全に間違っていると思うものを見逃すことはできないと思いました。

    オルソン:イラク派兵命令を拒否することに決めたあと、何が起きましたか?

    ワタダ:1月に自分の司令官にそれを告げ、イラク赴任命令を拒否すると言いました。彼は考え直すように言いました。一週間ほどあと、「OK、私は決断しました。この戦争は不法かつ不道徳だと考えており、イラク派遣命令は法律に違反するものだと考えます。この命令には従いませんし、間違っていると自分が信じていることに参加はしません」と言いました。私の司令官たちは、別の立場でイラクに行くことができると言いました。その場合、武器を使うこともないだろうし、害を加えるようなこともないだろうと。けれども、問題はそこにはありませんでした。辞任の手紙の中で、私は、深く誤っていることをするよりは、投獄されることを選ぶと書きました。この戦争全体が不法なものだと私は強く考えています。私は、武器を持って人々と戦うことに反対しているだけではありません。私は、不当な戦争に反対しているのです。

    オルソン:これについて考える時間が6カ月近くあったわけですが、投獄される可能性が高いというのは、かなりの衝撃だったのではないかと思います。今、どう感じていますか?

    ワタダ:両親を含め、たくさんの人々が、私を説得しようとしました。私は彼らに言わなくてはなりませんでした。むろんまず自分を説得したのですが、つまり、これは生き延びようとするというだけの問題ではない、と。自分の安全を確保しようとするだけの問題ではないのです。将来、自分の子どもの目を見つめるとき、あるいは臨終の場で、自分の人生を振り返り、とても大切な瞬間に、正しい決断をする機会があったとき、好ましくない結果を背負うことになったとしても、正しい決断をしたと人生を振り返りたいのです。

    長いので、(2)に続きます。

    投稿者:益岡
    posted by いけだ at 14:17| Comment(3) | TrackBack(0) | イラク全般

    2006年06月09日

    ワールドカップとフットボール(サッカー)とムクタダ・サドルと「陰謀論」思考

    ワールドカップ開幕直前である。

    今回、イラクは2次予選に進めなかった。(ウズベキスタン、イラク、パレスチナ、台湾というこの組み合わせは、偶然とはいえ、何とも言えないものがある。2次予選でイランと北朝鮮と日本が同じ組だったのも「すごい組み合わせだ」と思ったが。)しかも、7日にドイツで予定されていたチュニジア(本大会出場)との親善試合が、「『イラクがドイツに入ることができない。行政上の問題』と中止となった」という。(→BBCによると行政手続き上の問題でイラクのチームが渡航できず、イラク側からキャンセルしたという。別の英文記事によるとヴィザ申請書類を期限までに提出しなかった/できなかったことで航空券の手配が間に合わなかったという事情らしい。)

    出場できないのはもちろん、親善試合までキャンセルとはとても残念だが、イラクもサッカー熱の高い国だから、せめて試合観戦で盛り上がるくらいのことはあってほしい。でも実際はテレビ観戦もすんなりとはできないようだ。

    日刊スポーツ記事より:
    テレビ観戦でも混乱続く?/イラク

     【イラク】サッカー好きの国民が多いが、W杯をリアルタイムでテレビ観戦できる人は限られた人数となりそうだ。5日付のバーレーンのアラビア語紙アルアヤムが混乱が続くイラクの「W杯テレビ観戦」情勢を伝えた。

     アラビア半島の多くの国ではW杯の放映はヨルダン資本のARTというテレビ局が独占的に行っている。イラクでは地元のTV局がARTから放映する権利を買おうとしたが、かなり高額だったために断念。このため、イラクにいるイラク人がW杯をリアルタイムで見るためには、個人で衛星放送のARTと契約するか、契約しているバーなどに行くしかない。……

    [2006年6月6日23時52分]


    記事ではこの後、「値段」(英文記事によれば、ワールドカップ全試合受信のセット料金のことと思われる)が、需要の増加でこの2ヶ月で1.5倍以上に高騰しているという説明があり、放送を受信できる店(バーなど)での観戦については、バグダード市内では大きな店は夜間の営業に制限があるので「郊外や村などにある小さな喫茶店などでひっそり見ることになりそうだ」と結ばれている。

    放映権の問題はいかんともしがたい。また、ドイツとイラクの時差を考えると、試合の生放送が始まるのは夕方4時くらいから(日本で夜10時からの場合)。グループリーグは1日3試合で、最後の試合は夜10時までになるから、確かに事実上の夜間外出禁止にも等しいような状態では、衛星放送を受信してるバーに見に行くにしても、生では全部は見られなかろう。

    サッカーをめぐっては、さらにまったく別の問題が報告されている。

    バグダードの中には、次のような「トンデモ」を唱える人物の配下にある民兵がパトロールしているような地域がある。(彼らの勢力が強いのはバグダードの一部だけではないが。)イラク全体としてはワールドカップ熱は高まっているにしても、それらの地域ではショー・ウィンドウに飾られたブラジルの旗ですら、脅迫の上で外させられているという。

    親愛なる者たちよ、西洋は自分自身を満たす(完全にする)ことを阻害するものを作り出した。彼らは我々に何をさせようというのか?ボールの後を追いかけるだと?親愛なる者たちよ...、それに何の意味があるのか?大の男が、ムスリムが、ボールの後を追いかけるのか?親愛なる者たちよ、この「ゴール」と呼ばれているもの...もし走りたいならば、高貴なゴールに向かって走りなさい。あなたの品位を落とすようなそれではなく、あなたを完成させる高貴なゴールに向かうのだ。ゴールをあなたの心に抱いてそれに向かって走りなさい。そして神のご満悦を得るというゴールに向かって、全ての人々はそれぞれの道に従いなさい。これがひとつ、そしてふたつめにもっと大切なこと。我々は西洋、特にイスラエル、親愛なる者たちよ、ユダヤ人たちがサッカーをするのを見たことがあるか?アラブ人がしているように彼らがゲームをするのを見たか?彼らはサッカーやほかのことに我々をかかりきりにさせ、自分たちはそれから離れている。イスラエルチーム(彼らに呪いあれ)がワールドカップに出たなどということを聞いたことがあるか?あるいはアメリカは?……
    _
    出典:Riverbend, 「ムクタダばんざーい・・・」、2006年5月31日(翻訳はヤスミン植月千春さん)


    この世迷い言、支離滅裂なアジ演説は、「反米」で「過激」な宗教指導者(シーア派)、ムクタダ・アル=サドルによるものだ。

    個人的には「バカじゃねぇのこいつ」と爆笑してスルーしたいところだがあえてツッコミを入れてみる。何だかんだで政治プロセスへの参加を果たしたムクタダは、もはやかつてのような「アウトロー」ではなくなっているのだから。

    ムクタダの言い分をまとめると、「サッカーは敵側の支配の道具である」ということになる。もう少し詳しくいうと、「きみたちがサッカーにうつつを抜かしている裏では、サッカー熱を煽るだけ煽って自分ではサッカーをしない連中が、あれこれ策をめぐらしている」ということだ。そしてムクタダの脳内では、「サッカーをしているのは支配される側であり、支配する側はサッカーなどしていない」ということになっているらしい。(ここで、「支配」という語を私はあえて用いる。)

    見事なまでに、あらかじめ用意された結論をいうためだけの、デタラメの羅列である。これは何のパロディだろうか、としばし考えたあとに、何のパロディでもないというぞっとするような事実に思い至る。

    「われわれにサッカーなどというくだらないことをさせわれわれを支配する者どもは、サッカーなどしていない」というムクタダの脳内妄想は「くだらない陰謀論」に過ぎない。こんなもの、誰にでも一撃で崩すことができる。グループEでイタリア、チェコ、ガーナの代表と対戦するのはどの国の代表か? グループBで40年ぶりの優勝を狙っているイングランド代表は、nationではなくstateとしてはどの国のチームか? その国はイラクに対して何をしてきたか? 確かにイスラエル代表はワールドカップに出たことはないし、今度のワールドカップにも出ない。ただしそれはユダヤ人がサッカーをしないからなどではない。イラクと同じく、地区予選で勝ち上がれなかったからだ(「グループ4」の3位)。それから、バスラで取材していたBBC記者に、「英国人は大好きだ」と言う地元の人が、財布から取り出して記者に見せた写真の被写体であったイングランドのあのスター選手は、「サッカーをするユダヤ人」ではないのか?

    つまり、ムクタダが挑みかかるような疑問文で語っていることは、反論の余地が100パーセントという、議論としてはどうしようもないものである。「事実」をまったく無視した妄想だ。問題は、それが「事実」と照らしあわせれば一瞬もかからずに笑い飛ばせるものであるにも関わらず、「事実」以上の何かとして作用しているんではないか、ということだ。

    イラクでサッカーをやっている人たちとか、サッカーが好きな人たちにとっては、このような世迷い言は「ネタ」でしかないだろう。けれども、こんなものだって、信じ込まれたら「ネタ」とは言っていられないくらいになる、つまり「事実」以上の何かとしての力を持つことがありうる。

    ムクタダは多分、そういうことをよく知っている。あるいは、自分の言うことは何でも信じる人たちしか当座の相手として想定していない。(Riverbendが書いているように、ムクタダはGWBに似ているのかもしれない。)

    ちなみに、「西洋が我々を堕落させるためにサッカーを持ち込んだ」という主張そのものは別に新しいものでもないかもしれない。広く言われる「スポーツ・ナショナリズム」とは別の、「スポーツについてのナショナリズム」があって、それはnation stateってやつと切っても切れないところがあるんではないかという例がある。Gaelic footballはその一例。またわりと最近、日本についての例も見た。

    「はてなブックマーク」で多くの人がブクマしていたことで知った記事、「明治時代には『ゲーム脳の恐怖』ならぬ『野球脳の恐怖』が存在した!」
    http://www.geocities.co.jp/PlaytownKing/4566/textking/textking2006/yakyuunou.html

    孫引きになるけど、上記ページに引用されている「平凡社の『戦後野球マンガ史 手塚治虫のいない風景』(著:米沢嘉博)という本」から:

    明治四三、四年頃には、「東京朝日新聞」などを中心に野球撲滅論が起こっている。「教育と野球」(野村浩一、私家版)から引くと、「野球はアメリカから来た賎戯で士君の弄ぶべきものではない。我が国には胆を練るには剣道があり柔道があり、また国技として相撲がある。どうして外来の遊戯を学ぶ必要があろうか」というのが大勢だった。五千円札に肖像が描かれている当時の一高校長新渡戸稲造は、「野球という遊戯は悪く云えば巾着切(すり)の遊戯、相手をペテンにかけよう、計画に陥れよう、塁を盗もうなど、眼を四方八方に配り、神経を鋭くしてやる遊戯である」と語っている。

    ……

    当時の野球弊害説をいくつかあげてみよう。

    「(中略)野球選手が学科の出来ぬのは、野球に熱中の余り勉強を怠るのかと思ったら、そうでなく、手が強い球を受ける為その震動が脳に伝わって、柔らかい学生の脳を刺激し、脳の作用を遅鈍ならしめる異常を呈せる」。


    引用したような言説が、当時の日本社会においていかほどの影響力を持っていたのか、私はまったく知らない。「バカなことを言う勇ましい連中がいるよ、あはは」と笑われていたかもしれないし、「そうだそうだ」とばかりに野球を潰そうとする動きがあったのかもしれない。いずれにしても。

    「相手をペテンにかけよう、計画に陥れよう……など、眼を四方八方に配り、神経を鋭くしてやる」という新渡戸稲造のサーカスティックな指摘(?)は、サッカーについても当てはまる。それどころか、サッカーは、新渡戸に言わせればもっとひどいものだろう。「ファウルを誘う」といったこともするし、自分たちを有利にするためにわざとコケたり(シミュレーション)もする。相手チームの選手のユニフォームを引っ張ったりもする(やりすぎると審判の笛が吹かれるが)。それを「駆け引き」と呼ぶか「ペテン」と呼ぶかは人それぞれ、その人の主義主張次第だ。

    「野球脳」(笑)については……あはは、野球での手からの振動で脳に影響が出るというなら、サッカーはどんだけ影響が出ることやら。(しばらく前に、サッカーのヘディングは脳にとって危険であるという研究報告(まじめなもの)もあったけど。実際、昔のボールは今のより重くて、選手はヘディングするたびにプチ脳震盪を起こしている状態だったとか。)さすがにこんな「何となく科学っぽいこと(にせ科学)」を、ムクタダ・サドルが言い出すことはないと思うけれども、仮に「サッカー脳の恐怖」が宗教という仕組みと文化的に排他的(攘夷論的)ナショナリズムと結びついたら、どんだけ暴走するだろうか。

    今はイラクでのサッカーは「多くの人々が愛好するスポーツ」だけれども、ムクタダの戯言みたいなのが真面目に受け取られる度合いが増せば、どうなるかわかったもんじゃない。暴走したときの最大限を考えた場合、「堕落」として禁止すらされかねない。諷刺コメディの台本ならそういう筋書きがありそうだ。でもこれはお笑いの台本ではない。

    2004年のアテネ・オリンピックのときに、私はサッカーのイラク代表の試合をテレビで見てすげぇと思ったし、安い言い方だが「感動」した。当時はファルージャやナジャフにとんでもない破壊がもたらされていて、破れかぶれみたいな気持ちでイラクについての一筋の希望として「何年かしたら……」を求め、「イラクのサッカー」にその希望を見ていた。当時バグダードにいたメル友ともサッカーについて話をした。イラクでサッカーが潰えるなんて可能性など、微塵もないと思っていて、「次も期待してる」みたいなおしゃべりをしていた。

    けれども、2006年のムクタダの世迷い言には、「微塵」程度には不吉な何かが含まれているかもしれない――とはいえ、イランのサッカー熱が高いことを考えると、サッカーそのものがイスラム的に「堕落」と決め付けられる可能性はほとんどないようにも思われるのだが、国代表の場合「国家の威信」が絡んでいてそこがめんどくさい。サッカーのゴールは「高貴なゴール」ではないというファトワが、万が一にも出されたら、それもムクタダのレベルではなくもっと上から出されたら、と思うと、笑うに笑えない。

    しかし同時に、この戯言が「何をバカげたことを」という反応を多くの人々――できればムクタダ支持者――の間に引き起こすように作用すれば、その「微塵」は消し飛ぶはずだ。「何をバカげたことを」と言わせるために必要なのは「事実」のみである。何の解釈も加えない無味乾燥な「事実」。この場合には、地区予選と本大会の出場チームの表で十分だ。難しいことではない。

    ただし「アメリカはワールドカップに出てます」と言っても、ああいう類の「結論ありき」の人ってのは「アメリカはアメリカでも選手はほとんどがWASPではなく移民ではないか」と言い出すかもしれない。イングランドについても「上流階級はサッカーなどやらないではないか」と言い出すかもしれない。予選でのイスラエルの最終順位は、「魂」と書いて「だましい」と読むアイルランドより上だったのだが、イスラエルの代表チームで得点をあげて喝采を浴びたプレイヤーの中にアラブ系イスラエル人の選手がいるというだけで、「ほら見たことか、やはり差別され支配される側がやらされているんだ。アメリカではアフリカ系の人はスポーツか音楽でしか社会で認められないではないか」と言い出したりもしかねない。

    そうであっても、淡々と、単に事実を述べることが、一番強いはずだ。だから私たちには「事実」が必要なのだ。必要最小限の情報量しか持たない「事実」が。飾る余地のない「事実」が。「今日の気温は22度です」だけの、「過ごしやすいです」「暑いです」「寒いです」のような説明のない情報が。

    なお、今回のワールドカップでイラクで人気のある代表ユニ(1枚3ドルのぱちもん)は、バグダードの商店主によると、「一番人気はブラジル代表、続いてアルゼンチン、ドイツ、イタリア」だそうだ。本大会に出場するアラブの2カ国(サウジとチュニジア)のユニは棚に置かれていないという。アラブ諸国とイラクとの関係が緊張しているためだとの説明がある。(この段落、ソースはパキスタンの英字紙の記事。)

    2004年アテネ・オリンピックのときの当ブログ記事:
    ロイター記事:イラク代表監督「自由のシンボルにしないでもらいたい」(20040826)
    殺害されたイタリア人ジャーナリストと,サッカーのイラク代表と。(20040828)

    ※これを書いたあとで、エレクトロニック・イラクに次の記事が上がっていることに気づいた。サッカー選手を含むスポーツ選手が宗派的暴力のターゲットになっていると報告されている。ムクタダの世迷い言は、ほんとに、笑ってスルーできるものじゃないのかもしれない。

    Athletes targeted for sectarian, religious reasons
    Report, IRIN, 8 June 2006
    http://electroniciraq.net/news/2372.shtml

    投稿者:いけだ
    posted by いけだ at 22:44| Comment(1) | TrackBack(0) | イラク全般

    2006年06月08日

    【速報】アブ・ムサブ・アル=ザルカウィが死亡。

    これでもう、この男の名前がニュースに出ることはないだろう。8日午後(日本時間)、アブ・ムサブ・アル=ザルカウィの死亡が発表された。

    BBCとGoogle News UK (world news) の画面@8日午後5時ごろ(日本時間):

    news_8june2006

    news2_8june2006

    テレグラフの記事によると、ザルカウィが死んだのは現地時間の午後7時(時差から判断して、7日のことだろう)。バクバ(バグダードの北東に位置する都市)での合同作戦で、米軍の空爆が行われ、その際に死亡した。バクバでの作戦には、ヨルダンの情報当局と米国の特殊作戦部隊が参加していた。


    BBC記事:
    Zarqawi killed in Iraq air raid
    http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/5058304.stm

    この記事(以下、Last Updated: Thursday, 8 June 2006, 08:08 GMT 09:08 UKの版を参照する)によると、ザルカウィの死亡を発表したのは、米軍ではなく、イラク政府(マリキ首相)。

    ザルカウィの死亡は、イラク駐留米軍トップのケイシー将軍によると、死体の指紋と顔で断定された。(神出鬼没のザルカウィも指紋は敵に握られていたということか。)

    マリキ首相によれば、イラクの人々から得られた情報により、ザルカウィ(250万ドルの賞金首)の追跡が可能となった。首相は「わが国の人々の協力の成果だ」ということを述べている。

    BBCの記事も急いで書かれた段階のものであるが、興味深いことに、
    The prime minister urged Iraqis to join politcal dialogue rather than violence, vowing to "carry on on the same path... by killing all the terrorists".
    (首相はイラクの人々に、暴力ではなく政治的対話に加わるよう強く求め、また「すべてのテロリストを殺すことによって……同じ方法で追求する」と毅然とした態度を示していた)
    などと書かれている。読解すれば、「政府はviolenceを行使するが、violenceを行使する者は政府が殺す」ということになり、言語的にイミフメイの瀬戸際だが、要するにjoin political dialogue, or die (get killed)ということであろう。公式には、マハディ軍のムクタダ・サドルあたりはそのへんクリアしているということであろう。バドルももちろん。

    BBC記事には「ザルカウィの組織、アルカーイダ・イン・イラクは数々の爆弾事件を起こしており、数百人のシーア派と米軍兵士を殺した」とか「外国人人質の拉致・殺害を行ってきた」などともあるが、この男の罪はそれだけではない。この男が「潜伏している」とされた街が米軍によって(後には米軍とイラク軍の合同で)攻撃され、破壊されてきた。

    BBC特派員は、ザルカウィ死亡によって現在のひどい状態に改善が見られるかどうかは不明、というようなことを、遠まわしに語っている。

    昨日だが、BBCには今年に入ってからバグダードのモルグで確認された「暴力的な死」の数が6000を超えているという報道をしている。(「暴力的な死」とは、病死や一般的事故死ではなく、殺人や攻撃などによる死のことをいう。)バグダードで確認されているだけで、毎月1100人とか1300人とかが殺されている。(なお、イラク保健省は2003年当時には統計は取らないとしていたが、暫定政権→移行政権→本格政権と来る間のいずれの時点かで統計を取り始めている。詳細、私は未確認。)

    なお、ブルームバーグによると、この発表で原油価格が下がったそうだ。

    Crude Oil Falls After AlQaeda Leader Reported Killed in Iraq

    June 8 (Bloomberg) Crude oil extended declines after reports Abu Musab alZarqawi the leader of alQaeda in Iraq, had been killed.

    Crude oil for July delivery fell as much as 71 cents, or 1 percent, to $70.11 a barrel in afterhours electronic trading on the New York Mercantile Exchange. Oil traded at $72.12 at 8:24 a.m. in London.

    Brent for July settlement fell 67 cents to $68.52 a barrel at the ICE Futures exchange in London.

    ...


    それと、情報がつぎはぎみたいになって申し訳ないんですが、BBCのオビチュアリ:
    http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/middle_east/5058262.stm
    "Pretext for war"(戦争のための口実)というセクションがあることにちょっと注目を。

    投稿者:いけだ
    posted by いけだ at 17:53| Comment(0) | TrackBack(1) | イラク全般

    2006年06月06日

    イサーム・ラシードさん、来日(2006年6月7日から)

    イラク人ジャーナリストのイサーム・ラシードさんが今月来日し、7日から、大阪、東京などでスピーキング・ツアーを行ないます。その案内を【転送・転載歓迎】としてメールでいただきましたので、転載します。

    転載にあたり、ウェブページで見たときに変なところで改行されたりしないよう、見た目の編集を行ないました。文中のメールアドレスは、スパム避けのため、半角の「@」を「[at]」と置き換えてあります。

    また、いただいた案内文では日付が前後していますので、日付ごとにソートしました。(ご案内くださった方、勝手に改変してすみません。「いつ」「どこで」がすぐに伝わることを優先し編集しました。)目次もつけておきます。

    ▼以下、転載・転送などはご自由にどうぞ。連絡等不要です。▼


    ■□■イサーム・ラシードさん、来日(2006年6月)■□■

    【日程の目次】
    1)京都、「京都大学」
    2006年6月7日(水) 午後5時〜7時半(4時半開場)

    2)西宮、「西宮市男女共同参画センター」
    2006年6月8日 (木) 午後6時半〜

    3)大阪、「大阪大学」
    2006年6月12日(月)午後6時〜

    4)東京、「文京区民センター」
    2006年6月14日(水)午後6時30分〜8時45分(開場6時)

    5)大阪、「おおさか住まいの情報センター」
    2006年6月16日(金)午後6時30分〜8時45分(開場6時)

    ☆追記、「佐賀で6月15日(木)、午後7時から」および「名古屋で6月17日(土)、午後1:30〜4:00」の情報あり。本文末尾およびコメント欄参照

    【目次ここまで】

    1)京都、「京都大学」
    ■集まりのタイトルなど:
    聞こえますか、私たちの声が?
    〜 イラク人ジャーナリストが語る占領下イラクの現実 〜

    イラクで今、占領下におかれた人々はどのような情況にあるのか、マスメディアの報道しないイラクの現実を、イラク人ジャーナリスト、イサーム・ラシードさんに、映像も交えて、語っていただきます。

    ■日時:
    6月7日(水) 午後5時〜7時半(4時半開場)
    ※ 終了後、イサーム・ラシードさんを囲む会(懇親会)を予定
    ■会場:
    京都大学総合人間学部棟地下1階 1B07教室
    ■地図:
    http://www.h.kyotou.ac.jp/soujin/welcome/map.html
    ■参加費:
    無料
    ■連絡先:
    京都大学大学院人間・環境学研究科 岡真理研究室
    tel/fax: 0757536641
    email: m.oka[at]civ.mbox.media.kyotou.ac.jp


    2)西宮、「西宮市男女共同参画センター」
    ■集まりのタイトルなど:
    「憲法勉強会ベアテの会」緊急集会

    ドキュメンタリー映画「ファルージャからの証言」を撮られたイラク人ジャーナリスト、イサム・ラシードさんが現在、来日中です。この機会にぜひイラクの現状をお話いただくべく、緊急に集会を催すことになりました。

    ■日時:
    6月8日 (木) 午後6時半〜
    ■会場:
    西宮市男女共同参画センター ウェーブ・411学習室
    (「プレラにしのみや」4階)
    ■地図:
    http://www.k2.dion.ne.jp/~everstud/gakusyu.html#map1
    ■参加費:
    700円
    ■問合せ:
    憲法勉強会ベアテの会(08014440199)


    3)大阪、「大阪大学」
    ■集まりのタイトルなど:
    第15回OSIPP平和研究フォーラム(「阪大・9条の会」共催)
    イラクの現実から憲法9条を考える〜イサム・ラシードさん・西谷文和さんを迎えて

    占領下に置かれているイラクの状況を記録するために、2003年からビデオカメラを持って、イラク各地で精力的に取材活動を続けているイラク人ジャーナリスト、イサム・ラシードさん。電気技師だった前職から戦争犯罪・人権侵害を記録するジャーナリストに転職するきっかけとなったイラク戦争と占領。彼をジャーナリストとならしめた故郷イラクの現実とはいかなるものなのでしょうか。

    今回の講演会では、彼の映像と、最近イラクから帰国した西谷文和さんの報告を通して、イラク最新情報をお伝えしたいと思います。

    ■日時:
    6月12日(月)午後6時〜
    ■会場:
    大阪大学大学院国際公共政策研究科棟2階講義シアター
    ■行き方:
    阪急宝塚線「石橋駅」下車徒歩15分
    大阪モノレール「柴原駅」下車徒歩5分
    ■連絡先:
    木戸衛一研究室
    tel: 0668505628
    email: ekido[at]osipp.osakau.ac.jp


    4)東京、「文京区民センター」
    ■集まりのタイトルなど:
    イサーム・ラシード氏緊急報告会 〜映像が語るイラク市民の悲劇〜

    ますます混迷の度を深めていくイラク。治安情勢の悪化で外国人ジャーナリストがイラクを取材することが極めて困難な中、日本では新聞やテレビなどによるイラク報道も減る一方ですが、現地の状況は過去最悪といえるものとなっています。

    今、イラクで何が起きているのか、なぜイラク情勢は混迷し続けるのか。バグダッドを拠点としてまさに命がけの取材活動を続けるイラク人カメラマンのイサーム・ラシード氏に、日本のマスメディアによる報道では知ることの出来ない、イラク市民が直面する現実をお話しいただきます。またとない大変貴重な機会ですので、ふるってご参加ください。

    ■日時:
    6月14日(水)午後6時30分〜8時45分(開場6時)
    ■会場:
    文京区民センター3A室(文京区本郷4−15−14)
    TEL:03(3814)6731
    http://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/kumincenter/
    ■行き方:
    都営地下鉄三田線・大江戸線 春日駅 徒歩1分
    営団地下鉄丸の内線 後楽園駅徒歩3分
    JR水道橋駅 徒歩7分
    ■資料代:
    500円
    ■聞き役:
    高遠菜穂子(ボランティア)、志葉玲(ジャーナリスト)
    ■主催:
    イラク・ホープ・ネットワーク http://www.iraqhope.net/
    ■協力:
    World Peace Now http://www.worldpeacenow.jp/
    フォーラム平和・人権・環境 http://www.peaceforum.com/
    ■問合せ:
    tel: 09093289861
    email: reishiva[at]yahoo.co.jp(志葉玲)


    5)大阪、「おおさか住まいの情報センター」
    ■集まりのタイトルなど:
    イサーム・ラシードさん、イラクの現状を語る
    〜 イラク人ジャーナリストによる最新の映像と証言 〜

    「正式政府」がようやく発足した後も、イラクでは、米軍による「掃討作戦」に加え、連日の自爆攻撃と失業率の増加、電力不足etc.によって、市民の生活は限界状況に陥っています。

    この危機的混乱の只中、イラク人のジャーナリストとして、被占領下に暮らす人々の様子を世界に発信してこられたイサーム・ラシードさんが昨年に引き続き来日され、関西のイラク支援・連帯に関わるグループが共同で報告集会を急遽持つことになりました。

    日本は自衛隊派兵と米軍支援を通じてイラクの現状に大きく関わっています。現地の映像と直接の証言を通じて、私たち市民一人ひとりにできることを考えたいと思います。ぜひご参加を!

    ■日時:
    2006年6月16日(金)午後6時30分〜8時45分(開場6時)
    ■会場:
    おおさか住まいの情報センター 3階ホール
    tel: 0662421160、URL: www.sumai.city.osaka.jp
    ■行き方:
    地下鉄・阪急「天神橋筋6丁目」3号出口よりすぐ
    JR環状線「天満」下車、天神橋筋商店街を北へ徒歩7分
    ■資料代:
    800円
    ■共催:
    イラク・フォーラム事務局
    イラク人医師シャキールさん支援グループ
    イラクの子供を救う会
    ■連絡先:
    tel: 09092734316(やくしげ)/08053266775(西谷)
    email: ysige[at]hotmail.com

    《イサーム・ラシードさん プロフィール》
    1973年、バグダード生まれ。2003年のイラク戦争を機にジャーナリストとして活動を始める。04年4月と11 月のファッルージャ攻撃や、その後の避難民の状況、現在の内戦状況などの取材を通じて、米軍による戦争犯罪とイラク占領を告発し続けている。これまで米軍に3度逮捕され、拷問・虐待を受けた経験もある。


    ▲このほかにもイサーム・ラシードさんの日程がおありでしたら、コメント欄などでお知らせください。

    ☆追記:
    佐賀、「勤労者福祉会館」
    6月15日午後7時〜

    イラク戦争から3年がたちました。いまマスコミは、イラクの現状について「イラク人に主権が移譲され、イラクは自由で民主的な国として復興しつつある」と報道しています。これは本当でしょうか?

    劣化ウラン弾の影響、米軍によるファルージャ攻撃などを取材しつづけてきた、バグダッド在住のジャーナリスト、イサム・ラシードさんの話をぜひきいてください。

    とき  6月15日(木) 午後7時から
    ところ 勤労者福祉会館 2階大会議室(佐賀市神野東2丁目)
    入場無料

    ☆追記2:
    名古屋、「名古屋YWCA」
    6月17日(土)、午後1:30〜4:00

    主催:自衛隊イラク派兵差止め訴訟の会
    http://www.haheisashidome.jp/ 

    連絡先:名古屋市昭和区宮東町260
    (名古屋青年学生センター内)      
    TEL:052−781−016 
    FAX:052−781―4334
    Email : info[at]haheisashidome.jp

    投稿者:いけだ
    posted by いけだ at 21:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 各種イベント・映画など

    2006年06月03日

    NO WRONGDOING(違反行為は何もなかった)――イスハキ住民射殺疑惑についての米軍調査の結論

    今年の2月にサマラのアル=アスカリ聖廟が爆破され、「イラクは事実上の内戦」との指摘が相次ぐなか、3月に米軍主導でサマラの対反乱者作戦(オペレーション・スウォーム)が開始されました。
    http://teanotwar.blogtribe.org/entryd2f7590bf491cf4ff4c768e70e9280da.html

    その作戦のすぐ前に、サマラ近郊のイスハキ(Ishaqi:3月の時点ではIsahaqiという綴りもあった)という村で「反乱者拘束作戦」が行なわれました。このとき、1人を捕まえるために軍は空と陸から攻撃をし、しかも弾が飛んでった先は民家で、しかもその民家にはそこの住人がいて、という次第で、11人が死亡しました。この「事件」は、たまたまAP通信のスタッフが現地にいたことから、写真つきで報道されました。
    http://teanotwar.blogtribe.org/entry755486e3473624b165add38f67de8e49.html
    http://www.uruknet.info/?p=21590

    米軍はこの「事件」について、「地上部隊が反乱者と激しい戦闘となったため空からの援護を要請、反乱者の潜む民家をヘリから爆撃し、その民家の中にいた4人が建物の下敷きになって死亡した。死亡したのは反乱者1名と女性2人と子供1人である」と発表していました。

    しかし、「死者11人」を伝えるAPの写真には、どう見ても1人ではない子供の遺体がありました。

    一方、これとは別に、アンバール州のハディサ(Haditha)で2005年11月に15人の住民が殺された件について『タイム』誌が記事にしたのは、イスハキの「事件」の数日後でした。この『タイム』の報道の後、ハディサについての米軍の調査が開始されました。

    ※ハディサについては、たまたま時期がCPTメンバー解放などと重なったため、当ブログでは手が回らなくてまったくフォローできていないのですが、下記で『タイム』記事が日本語化されたものが読めます(ファントムランチさんによる投稿)。
    http://www.asyura2.com/0601/war79/msg/945.html
    また、ハディサについては『タイム』報道に始まり、いくつもの報道機関で取り上げられています(日本の新聞を含む)。

    一方で、イスハキについても米軍による調査が行われており、その調査の結論が、つい数時間前に各メディアで速報で流れました。

    調査の結論は――NO WRONGDOING、つまり「米軍は法的に間違ったことは何もしていない」です。

    GIs at Ishaqi cleared; Haditha probe open (AP)
    http://news.yahoo.com/s/ap/20060603/ap_on_re_mi_ea/iraq_haditha(→リンクが失効してたら魚拓で)

    U.S. probe clears troops in Iraqi deaths in Ishaqi (Reuters)
    02 Jun 2006 23:16:41 GMT
    http://www.alertnet.org/thenews/newsdesk/L02782849.htm(→魚拓

    Troops cleared of Iraq wrongdoing (BBC)
    Last Updated: Saturday, 3 June 2006, 00:27 GMT 01:27 UK
    http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/5042036.stm

    タイミングは偶然であろうと思われますが、調査がこういった結論となった前日(GMTで6月2日)には、BBCが入手したイスハキの現場の別の映像(3月時点で明らかにされたAPスタッフの写真とは別に撮影されたもの)が、BBCによって放映されていました。ウェブでも見ることができます。
    http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/5039420.stm
    (ページ右肩部分にビデオへのリンクがあります。)

    ※記事から判断するに、BBCが入手したビデオには凄惨な場面も含まれているのですが、一般に公開されているものではそういった場面はカットされています。

    BBC記事によると、このビデオは反連合軍[原文ママ]のスンニ派の強硬派から渡されたものである。バグダード特派員のイアン・パネルは、検証作業は入念に行い、偽物ではないと判断している。また、ビデオに写されている人物のケガは明らかに銃創だとジョン・シンプソン(BBCの報道の重鎮のひとり)が述べている。

    BBCニュースによるさらに詳しい説明を、ウェブログ「NewsでNonfixな日々」さん(6月2日)から引用:

    イラク警察の報告書によると、民家を爆破する前にアメリカ軍は中に入って、生後6ヶ月の赤ちゃんを含む子供5人と女性4人、男性2人の合計11人を射殺したという。

    ……

    遺体が搬送されたという病院で警察官は、「75才になるお婆さんから生後6ヶ月の赤ちゃんを含む全員が、腹部と頭を撃たれていた」と証言する。
    そして、住民を殺害した後で、アメリカ軍は建物を爆破したという。

    ……

    5月31日、サマラでは、陣痛を訴えた女性が母親と一緒に車に乗って病院に向かっていたところ、運転者が検問所で車線を誤り、女性、母親ともに射殺されている。


    これらの記述から、今年の3月15日に、イスハキという村で起きたとされることの概要を、箇条書きにしてみると:
    米軍(&イラク軍)の掃討作戦で反乱者と戦闘となっていた
    米軍のヘリが民家を爆撃した(米軍発表では「反乱者が潜伏していたため」)
    米軍によれば、「4人が瓦礫の下敷きとなって死亡した」
    イラク警察によれば、「11人が米軍によって射殺された」

    最も大きな食い違いは、「死んだのは4人なのか、それとも11人なのか」です。かなり単純なことなので、徹底的に調査をすればわかることではないかとも思われます。しかし……。

    これについて、この件を調査した米軍は、「最大で9人が死亡している可能性(possibly up to nine collateral deaths resulted from this engagement: AP)」を指摘しつつ、「崩壊した壁や瓦礫のために、正確な人数は判断することができない(a precise death toll could not be determined because of collapsed walls and debris: BBC | Reuters)」と結論付けています。

    「イラク戦争」のときに、「我々は死者数は数えない(We don't do body counts)」と言ったのは、当時のトミー・フランクス司令官でしたが、さすがは米軍です、方針が一貫しているので、死者数は数えていないのですね。

    家族や近所の人を埋葬するイラクの人々は、いやでも数えなければならないのですが。

    米軍は人間を何だと思っているんでしょう。冷蔵庫に入れっぱなしにして存在を忘れていたチューブ入りわさびか何かだとでも?(「あれ、いつの間にか増えてるよ」みたいな。)

    この件の調査に際しての米軍の宣言を、再度「NewsでNonfixな日々」さん(6月2日)から引用:

    合同軍報道官のウィリアム・コールドウェル(William Caldwell)少将は、「合同軍は倫理にもとる犯罪行為を許しません。いかなる疑惑も徹底的に調査し、犯罪を犯した者の罪を問います」と述べた。


    数すら数えられなくても「徹底的」な「調査」なのだそうです。日本の社会保険庁もびっくりです。

    最後に、ロイター記事から、イスハキで何があったのかについての部分を(概要)。

    NIGHTTIME RAID
    夜間の急襲

    軍高官らによると、当時イスハキではある特定のゲリラ[原文ママ]を発見する目的で、夜間の急襲が行われた。そのゲリラはその建物から逃げ出したが、後に捕らえられた。これとは別のゲリラがその建物から銃撃をしていたが、このゲリラが急襲で死亡した。

    「軍は現場に到着するとすぐにその建物から直接銃撃された。敵からの銃撃が続くなか、地上部隊の司令官は適切な対応をした。つまり、段階的に、小火器からヘリへ、さらに空からの援護へと武力の強いものを使うようにしていき、最終的には脅威を根絶した」とコールドウェル少将は述べた。

    「この隠れ家に居住していた家族を軍が処刑し、そののちに空爆を指示することによって犯罪を隠したとの疑惑は、まったくの虚偽である。」

    イスハキ警察は、そのときに爆破された1軒の家の中で、子供5人、女性4人と男性2人が、軍によって射殺されたと述べている。

    ある警察幹部によると、検視解剖の結果、遺体はそれぞれ、頭を撃たれていたという。

    ティクリートの死体安置所でこれらの遺体を撮影したテレビの映像がある。遺体の傷ははっきりしないが、1人の幼児の頭には大きな傷がある。

    イブラヒム・ハラフ(Ibrahim Khalaf)さんが、ロイターテレビに対しその日の様子を語っている。米軍がハラフさんの弟のファエズさんの家を攻撃し、それからハラフさんの家も急襲された。犠牲者が搬送された病院での死亡診断書には、銃で撃たれて死亡したとある。

    「家に入る前に米軍は空に向けて銃撃しました。これが20分ほど続き、それから家に入ってきて、家の中で銃撃を開始しました」とハラフさんは言う。

    「そのあとで私の家が急襲されました。米軍は私の両手を縛り目隠しをしました。家族は1つの部屋に集められました。兵士の1人が別の兵士たちに『奴らを全員殺せ』と言いましたが、ありがたいことに、兵士たちはそうはしなかった。」


    毎度毎度すみませんが、1972年1月30日に北アイルランドのデリー(ロンドンデリー)で起きたデモ隊への発砲事件を引き合いに出します。この事件では非武装のデモに参加していた13人が英軍の銃撃で死亡(のちにさらに1人が、銃創が原因の感染症で死亡)しました。この事件について、事件直後に行われた英軍の調査の結論は、「ゲリラに銃撃されたので反撃した」「兵士は一切間違ったことを行っていない (no wrongdoing)」でした。しかしデモに参加していた人々や、家の窓から目撃した多くの人々の証言はそれとはまったく食い違い、事件発生から実に26年を経た1998年1月29日に、改めてパブリック・インクワイアリーを開始することが、ブレア首相によって宣言されました。それから約7年かけ、デリーの人々や当時そこにいた英軍兵士ら900人からの証言を集めたインクワイアリーは2004年11月下旬に終わりました。しかし、2005年夏に出される予定であった最終報告書は、いまだに出されていません。
    http://www.guardian.co.uk/bloodysunday
    http://news.bbc.co.uk/1/hi/in_depth/northern_ireland/2000/bloody_sunday_inquiry/

    北アイルランドは英国の一部で、調査を行うのは英国です。それでも、いったん「no wrongdoing」と発表されたことの「真相の解明」には、30年以上を要している。そしてその時間の間に何が起きたか――武器など手にせずに過ごしたかもしれない人が何人武器を手にしたか、爆弾を作ったか、人を殺したか、武器や爆弾で死ななくて済んだはずの人たちがどれだけ死んだか、コミュニティにどれだけの傷を残したか、その傷が修復されるまでにどんな時間がかかるか、あるいは、果たして修復されうるものなのか。

    3年以上にわたって、イラクはそういう暴力に見舞われています。「外国の占領軍」によるものも「外国から来た殉教志願者」によるものもあるし、あるいは「同じ国籍を有する者」によるものもある。「誰が」「何のために」行使した暴力なのかわからないものも多分多い。けれども、少なくとも、「誰が」行使した暴力であるのかがわかっているときに、その行使者に何も起きないというのはひどすぎないか?

    「絶望」ってのは、そういう状態を言う。私はそう思います。

    "As long as young people feel they have got no hope but to blow themselves up you are never going to make progress."
    Cherie Blair, June 2002 (source)


    投稿者:いけだ

    ※最後の引用には、できれば「ニヤリ」としてください。(Do not take it very serious!)
    posted by いけだ at 13:40| Comment(0) | TrackBack(0) | イラク全般