2006年03月30日

【速報】ジル・キャロル記者が解放されました。

30march_news1 今年1月はじめに何者かに連れ去られていた米国籍のフリージャーナリスト、ジル・キャロルさん(米クリスチャン・サイエンス・モニターと契約)が解放されました。

US journalist released in Iraq
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4860824.stm

上記BBC記事によると、イラクTVのインタビューに応じたキャロルさんは、「丁寧に扱われた。自分が拉致された理由はわからない」と述べ、「解放されてうれしい。早く家族に会いたい」と話している。

拘束されていた間は、自室とトイレの間を移動することしか許されていなかった。テレビは1度だけ見ることを許可されたが、それだけでは自分のことがどう報道されているのかはわからなかった。居場所もわからなかった。

イラク警察の話では、キャロルさんの身柄は、バグダード西部のイラク・イスラム党事務所で解放された。健康状態は良好である。

イラク政府筋がロイター通信社に語ったところによると、現在キャロルさんはグリーンゾーンでケアされている。

キャロルさんを拉致したのは、「復讐旅団the Revenge Brigades」を名乗る勢力で、イラクのすべての女性囚人の解放を要求し、2月26日までに解放されなければキャロルさんを殺すと脅迫していた。

拘束されていた間、キャロルさんを撮影したビデオは3度出された。

今週水曜日に、キャロルさんの双子の姉(妹)のケイティさんが、アル=アラビヤで解放を訴えたばかりだった。

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ジル・キャロルさんがバグダード西部で拉致されたとき、同行していた運転手は何とか逃げることができましたが、通訳者は銃殺されました。その通訳者、アランは、バグダード・ブロガーのひとり、Riverbend(Baghdad Burning)の友人でした。詳細は下記記事を。

バグダードのレコード屋さん/通訳者へのオビチュアリー
http://teanotwar.blogtribe.org/entry6ccfb36413b63c5afe7030b6e0a5a405.html
または http://teanotwar.blogspot.com/2006/01/blogpost_113753929613337668.html

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キャロルさんの解放は、CPTの3人の解放に続き、少しほっとできるニュースです。

しかし、「家から一歩外に出ればいつ死んでもおかしくない」という状況が「ノーマル」な地域がイラクのあちこちにあり、また家にいてさえも砲撃だの爆撃だの銃撃だので死ぬかもしれない(そしてその多くは「コラテラル・ダメージ」と説明されるか、「ミステイク」と説明され「ソリー」という言葉をささげられる)という状況がもたらされている地域もある。

また、上記BBC記事によると:

At least 230 foreigners, and thousands of Iraqis, have been taken hostage in Iraq since the USled invasion in 2003.

About 50 of the foreigners have been killed by their captors and the whereabouts of another 90, including six Americans, remain unknown.

2003年の侵攻開始以来、少なくとも230人の外国人と数千人のイラク人が人質に取られた。外国人のうちおよそ50人が殺害され、さらに90人(うち6人は米国人)の居所は今もって知れない。


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CPTの3人解放の続報など、記事を書きかけたところで止まっています。数日中にはアップしたいと思っていますが。。。

投稿者:いけだ

追記:
BBCよりガーディアンの報道のほうが詳しかった。。。最初からガーディアン見ておけばよかった。orz

Iraqi kidnappers release US journalist
Julia Day and agencies
Thursday March 30, 2006
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,,1743149,00.html
posted by いけだ at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | イラク全般

2006年03月25日

CPTメンバー解放についての記事類(2) 救出作戦について

CPTの3人の解放について、各種記事類。「救出作戦」についてのもの。

23日のBBC記事、British Iraq hostage Kember freedによれば、

……多国籍軍によって解放された。

……

3人の救出は、イラク時間午前8時(GMTで午前5時)のことだったと考えられている。これに先立つ1週間、英軍が主導し米軍とカナダ軍の特殊部隊が参加した作戦が行なわれていた。

この作戦について当局者から明かされていることは非常に少ないが、拉致した者たちは誰もその場におらず、一切の発砲なく、また誰も負傷しなかったということはわかっている。


とのことで、とりあえずは「米軍ではなく英軍主導」で、「作戦は流血なく完了した」こと、「現場からは拉致犯は既に姿を消していた」ことがわかります。

私としては、「イケイケで乱射狂的な精神」にのっとって実行された作戦ではないということに、ひとまずは安堵を覚えます。殺されるいわれもない人が殺されることなく3人が戻ってきたということには、イラク戦争およびその後の占領についての見方がどうであれ、誰もがひとまずは安堵できるんじゃないかと思います。。。ってこれもまたunthinkableがnormalになってるような気もするのですが。

さて、というわけで英メディアは「SAS祭り」になってます。Google NewsでSASで検索すると、うさんくさーと思うくらい。(笑)

SASは、先日の記事(「アメリカの外交政策のパシリになるために英国陸軍に入隊したのではない」として軍を退役した28歳の元SAS隊員のインタビュー)でちょっと触れた通り、英陸軍の特殊部隊です。駐英イラン大使館人質救出作戦(1988年)が特に有名です。

そうやたらと新聞記事になることはないSASが、ここまで多くの記事で見出しになり、「SASと思われる」というような断定を避けた表現以外で語られるのは、成功した人質救出作戦のときくらいではないかと私は思いますが。

ガーディアンの、ずばり"SAS frees Kember and Canadian hostages"という見出しの記事(24日付け)によると、「通常は作戦に特殊部隊が加わっているとはっきり認めることはほとんどない英国政府が、この作戦はSASが主導したと、自ら進んで述べた」とのこと。珍しい。今回の件には何か特別なものがあるんですかね。確かにこれで、SASのイメージは上がるかもしれないけど。。。

ともあれ、今回の救出作戦についての記事。

まずはBBC。(網羅的になりすぎていて、あんまり整理された記事ではないのですが。)

How Iraq hostages were freed
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/middle_east/4837602.stm

記事から読み取れる「作戦」の流れなどはこんな感じです。

水曜日の夜に米軍が拘束した2人の男が非常に重要なことを知っていた。うち1人はCPTの3人が拘禁されている家の場所(あるいはその手がかり)を知っていた。その情報が翌朝米軍にもたらされ、救出作戦が実行に移された。

米軍スポークスマンの発言(正確な訳ではなく要約):
「軍が(=英米カナダとオーストラリアの特殊部隊で編成)その家に踏み込むと、中に3人がいた。負傷などはしていなかった(in good condition)。家の中に拉致犯はおらず、いたのは、縛られた人質3人だけだった。」

BBCの軍事記者フランク・ガードナーによると、救出に関わったのは、多国籍(英、米、カナダ、オーストラリア)の特殊部隊、警察の交渉人、およびイラク人の仲介役と考えられる。また救出作戦は教科書的な作戦で、先頭に立ったのは英軍兵士(つまりSAS)。
英国のジョン・リード国防大臣は、「数週間かけて準備をした」と述べている。

英国のジャック・ストロー外務大臣は、作戦担当チームを賞賛した上で、一般市民(civilians)が「背後で(in the background)」作戦に関わっていたことを認めている。


米軍スポークスマン、Major General Rick Lynchの会見の内容は:
Kidnapped Christian peace activists rescued in military swoop
http://www.irishexaminer.com/pport/web/...

それから、これ系の報道では絶対外せないテレグラフ@絶賛「SAS祭り」中:
SAS moved at dawn as prisoner cracked
By Oliver Poole in Basra
(Filed: 24/03/2006)
http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?...

すっごい筆がのってて「彼らの、長い118日が、終わったのだ」調の記事ですが、事実関係についての部分を中心に要旨(「翻訳」ではありません):

CPTの3人が拘禁されている場所はここだということが確実になったときには、SASのブラック・ユニット(SAS's Black unit)はグリーンゾーンの英国大使館内で(←注目)出動準備が完了していた。

3人の居場所を確実に知っていると思われる男が前の晩に拘束されており、既にアメリカとカナダの特殊部隊とSASは合同していた。

拘束された男は、その日の夜が明けるずっと前に、3人が拘禁されている家とその家のある地域の詳細を喋った。

ぼやぼやしているとその情報は古くなってしまうので、作戦は3時間でまとめられた。

日の出のころには、彼ら特殊部隊はバグダード北西の市境から数マイルのところにある建物で待機していた。

その後どうなったのかについて詳しいことは明らかにされていない。今後同様の事件が発生した場合に、手の内がすっかり知られているということがないように、限られた範囲でしか明かされていないためだ。

作戦はSASが先頭に立った。彼らは家の玄関のドアを蹴破り、すべての窓を割って家に入った。1人用の部屋に、3人がまとめて入れられていた。拉致犯の気配はなかった。家の外では、部隊のメンバーが拉致犯の手がかりを求めて捜索していた。

バグダードでの誘拐事件というと、身代金の支払いがお定まりだが、今回はそういうことはなく情報(intelligence)のおかげで解決したのだと内部の人間は強く主張している。

米軍は、水曜の晩に事情を知っているイラク人を拘束したことがキーとなったと言うが、作戦に関与したすべての人が、これは数百時間を費やした調査の結実であるということを強調している。つまり長い時間をかけて航空写真を分析したり情報源から得られた情報を分析したりしてきた結果である、と。

今回、事態を動かすきっかけとなったのは、2週間前にトム・フォックスさんが遺体で見つかったことだった。

フォックスさんの遺体を調べた結果、処刑されたのではないという結論が導き出されたのだ。これまで、イラクでは処刑の場合は頭を撃ち抜いていた。しかしフォックスさんの頭は撃たれていなかったのだ。

フォックスさんは、腕に3発、胸に3発が撃たれていた。拷問の痕跡と考えられたあざは、格闘した証拠と考えられる。

調査担当チームは、フォックスさんは単にアメリカ人だから殺されたということではないと結論づけた。おそらく、脱出しようとしているときに殺されたのだろう――そうであるとすれば、彼の殺害の様子をおさめたビデオがないことも辻褄が合う。イラクでは通常、政治的動機での殺害では必ず殺害の様子をおさめたビデオが出される。

拉致犯はおそらく、事態をコントロールできなくなっていた。そして彼らの意図せざる行動が、新たな手がかりとなった。18日までには、救出への望みは増していた。

調査に近い人たちは、一切取引はなかったと強く主張する。拉致犯は英国側が断固として身代金の支払いに応じないということを知っており、それゆえに、身代金交渉などをすれば、人質の命を危険にさらすことになるからだ。

彼らが言うには、作戦のスピードゆえではないかとのことだ。作戦は、理想的には24時間監視してから行なわれるが、今回はほとんど時間をかけずに実行されている。あるいは、前の晩の男の逮捕で、拉致犯たちはすぐそこまで追っ手が迫っていることを知ったのかもしれない。

しかし、拉致犯が網をかいくぐって逃げたことは、昨日の救出作戦に陰りを投げかける。また同じことが行なわれるかもしれない、ということだけでなく、いまだ拘束されている7人の西洋人についての情報が得られる見込みも薄くなったからだ。また、復讐として7人のうちの1人の斬首が行なわれるという事態にもなりかねない。


ガーディアン記事によると、このタスクフォースにはMI6の人も参加していたそうです。(言うまでもないことではありますが。)

The Timesは、「すげぇぞSAS!」的な記事なんですが、作戦についてはテレグラフよりもさらに詳しいです。

Two minutes to freedom in SAS mission
By Nick Meo in Baghdad, Michael Evans, Daniel McGrory and Tom Baldwin
March 24, 2006
http://www.timesonline.co.uk/article/0,,73742101201,00.html

特に興味深いところだけ引用して、内容を日本語化:

Task Force Blackとして知られる秘密部隊がある。司令官はSASの将校だ。彼らは何ヶ月にもわたり、静かに、イラクの戦争犯罪者(<誰のことかわからん)を追跡し、人質を捜索してきた。

Task Force Blackは、米軍、英軍、オーストラリア軍の特殊部隊員250人ほどで構成され、諜報部員にバックアップされている。CPTの3人が昨年11月に連れ去られたあとで、ロンドン警視庁は訓練を受けた交渉人を、カナダは誘拐事件の専門家を送り込んだ。また、FBIやMI6の職員もバグダードに入り、犯人との直接交渉を仲介する人物との接触を試みた。

英軍の秘密作戦担当兵士が、ひげをたくわえイラク人の服装をして、宗教指導者や部族の長老と会い、誘拐犯についての情報を収集した。衛星写真や電話の傍受などの情報は、緻密に調査された。報酬を支払って雇ったインフォーマントや地元のリーダーやイラク警察から寄せられる情報は、嘘ばかりだった。しかし水曜の夜に拘束された男は、秘密を語ったのだ。

SASは拉致犯の拠点はバグダードの西部、alHurriyah地区であると判断した。ここは主にスンニ派の反乱者(mainly Sunni insurgents)の拠点であり、数十件ものイラク人誘拐を行なった犯罪ギャングの拠点である。水曜の夜に拘束された男は、正確な住所を明かし、場所の様子を説明し、3人が拘禁されている家とその傍の道路のスケッチを描いた。

……

23日午前3時ごろ、救出部隊責任者のSAS司令官がグリーンゾーンの基地(<テレグラフによれば「英国大使館」)に隊員を招集した。部隊は主にSAS隊員で構成され、英陸軍パラシュート連隊第一部隊と英海軍の兵士50人がバックアップしている。50人全員が、タスクフォース・マルーン(Task Force Maroon)というコードネームを持つSpecial Forces Support Groupの隊員である。


この3つの記事を読めば、前日から当日までの流れはわかります。つまり、前日の晩に拘束された人物が、(おそらく米軍で)取調べを受け、深夜1時とかくらいに家の場所などの詳細情報をゲロった。その情報を元に救出作戦が立案され、作戦に当たる部隊が数時間のうちに召集され、夜明けには現場近くで待機。SAS隊員が突入し、縛られていた3人を発見し、救出した。一方で家屋周囲では捜索も行なわれたが、拉致犯の姿はなかった。(男が情報源になる/なったことが拉致犯にわかったのかもしれないですね。「あいつが捕まった→居場所がばれる」的な形で警戒して逃げたとか。)

さて、上記タイムズの記事に次のような一節があります。
the hostages were cut free, taken out of the building and bundled into the back of an army Land Rover. Less than two minutes after the rescue force had entered the building, the three Westerners were on their way to freedom.

人質はいましめを解かれ、建物の外に連れ出され、英陸軍のランドローバーに乗せられた。救出部隊が建物に入ってから2分もしないうちに、彼ら3人の西洋人は、自由への道についていた。


解放されて「自由への道」についた3人が向かった先は、同じ記事にheavily fortified(厳重に要塞化された)という形容詞つきで出てくる、バグダードのグリーンゾーンです。

バグダードでは、「自由」は要塞化されている、という皮肉に見えてしかたありません。気のせい?

投稿者:いけだ

■トラックバック先:
【イラクでのアメリカのやり方は「不法」として、SAS隊員が軍を除隊】Sean Rayment, Telegraph.com(2006/3/12)@反戦翻訳団さん、3月22日
http://blog.livedoor.jp/awtbrigade/archives/50223624.html
※記事中で反戦翻訳団さんの訳文(by 203号系統さん)を一部使わせていただきました。

■追記:
英語には日本語の「おつかれさま」を言うための表現方法がないと、英会話まわりではよく言われますが、英国の閣僚が今回のケースでどう発言しているかを見ると、「よくやった、おつかれさま」の表現方法がわかるかもしれません。
posted by いけだ at 19:19| Comment(0) | TrackBack(0) | イラク全般

CPTメンバー解放についての記事類(1) CPTからの声明

CPTの3人の解放について、各種記事類。まず、CPTからの声明と、それについての反響。

声明を日本語化したもの(岡田剛士さんによる)が、原文(英語)とあわせて、Pnavi infoさんに掲載されています。

■イラクで拉致されていたCPTのメンバーが解放 (CPT声明全訳あり)(3月23日)
http://0000000000.net/pnavi/info/news/200603232142.htm

 私たちはHarmeet Soodenの帰還を歓喜と共に迎えます。……

 私たちはJim Loneyの帰還を歓喜と共に迎えます。……

 私たちはNorman Kemberの帰還を歓喜と共に迎えます。……

 私たちは、悲しみの涙と共に Tom Foxのことを覚えます。……

 HarmeetとJim、Norman、そしてTomは、イラクの人々が直面している苦闘を知るために赴きました。武力紛争によって破滅的な状況にある一つの国で非暴力的なオルタナティブを実現しようとする、そうした正義と平和のための情熱ゆえに、彼らは赴いたのでした。

 この4人は、彼らを守ってくれるのは、神の愛の力、そしてイラク人協力者たちと国際的な協力者たちの力だけなのだ、ということを知っていました。私たちは、多国籍軍によるイラク違法占領が、今回の誘拐、そしてイラクにおけるたくさんの悲しみと苦難をもたらした不安定さの一番の原因だと確信しています。この占領は終わらなければなりません。

 今日、この喜ばしい知らせに接して、私たちの信仰は、私たちの敵がたとえ私たちの友人に大きな苦難をもたらし、その家族に悲しみをもたらす行為に加担していたとしても、そうした敵を愛することを求めています。JimとNorman、Harmeet、そしてTomをイラクへと赴かせた預言的な非暴力のスピリットゆえにこそ、私たちは、復讐のスピリットに従うことを拒否します。私たちの友人に勇気を与え、このかんの数ヶ月にわたって彼らのスピリットを持続させてくれた慈悲深き神に、私たちは感謝します。

 ……


これを読みながら、イラクの人たちについて私が「よかった!」と思ったのは、これまでどういうケースがあっただろうかと思い出していました。

まずは、2004年、シーア派の行事「アシュラ」のときに、ものすごいでかい爆弾が爆発した際、取材に行っていたサラーム・パックス(元祖「バグダード・ブロガー」)が一時音信不通になってしまって、数日後に無事が確認されたとき。

それから、2004年9月、バグダードのハイファ・ストリートで取材していたG(Ghaith Abdul Ahad:元バグダード・ブロガーズのひとり)が英ガーディアンに書いた記事を読んだとき――それは単に、Gが死ななくてよかった、というだけのことにすぎない。Gが撮影した現場の写真の中の人たちは、死んだ人か、死につつある人でした。米軍の攻撃があったときにそこにいた人のなかで、生きのびたのは写真を撮影したGだけ。

バグダードで何か爆発があったとか、「捜索」作戦が行なわれたとか聞くたびに、バグダードのブロガーが何か書いているのを確認しては、「よかった、彼/彼女は無事だ」と安堵するのは、すっかりノーマルなことになっています。モスルで何かあるたびに女子高生ブロガーズやそのご家族のブログを確認してはほっとするということもノーマルで、ほとんどルーティーン化してさえいます。

大多数の人たちは、英語でブログやってないってのが現実なのだけれども、それを知っていてもやはり。

Khalid Jarrarがムハバラト(俗称)に連行された件では、彼らご家族とはほかのブロガーよりも強いつながりを私は持っているから(翻訳とかしてる点で)、Faizaが「息子が解放されました」と書いたときのモニタのこちら側での気持ちは、「安堵」を超えていました。

むろん、何度かあった「解放された外国人人質」のニュースでも「よかった!」と思いました。

けれど、そういった「私の安堵」の背後には、いかほどの暴力と流血と死があることか。

再度、CPTの声明より(source):

During these past months, we have tasted of the pain that has been the daily bread of hundreds of thousands of Iraqis: Why have our loved ones been taken? Where are they being held? Under what conditions? How are they? Will they be released? When?

 この数ヶ月間、私たちは、イラクの数十万もの人々の日々のパンとなってしまっている苦しみを味わってきました。つまり、なぜ私たちの愛する人々が連れ去られてしまったのか? 彼らはどこに拘留されているのか? その人々が置かれているのは、どんな状況なのか? かれらの状態はどうなのか? 解放されるのだろうか? そして、いったい、いつになったら? ──と。


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一方で、これは資料的にメモしておきたいから書くのだけれども、このCPTの声明に対して物申す的な記事もあります。

Activist group fails to thank rescuers
By Richard Beeston, Diplomatic Editor
March 24, 2006
http://www.timesonline.co.uk/article/0,,73742101199,00.html

THE Christian group whose activists were freed in a Britishled raid in Baghdad yesterday did not thank their rescuers but instead called on them to withdraw from Iraq.

昨日英軍主導の捜索でクリスチャンのグループのメンバーが解放されたが、そのグループは、救出者に感謝するどころか、救出者に対しイラクから撤退せよと呼びかけた。


引用したのは、記事の第一パラグラフ。つまり最も目立つ場所であり、最も明確に「筆者の主張」を打ち出す場所です。

記事ではその後CPTの声明やメンバーの発言を紹介し、その後で「CPTは他の援助団体が撤退したあとも、イラクに居座った」的なことが書かれ、CPTのメンバーが護衛をつけずにあちこちに赴いていることなどが、非難する書き方で書かれています。

The Times(米国ではNYTと区別するために、the London Timesと表記されることがある)はルパート・マードックのニューズ・コーポレーションの一員。この新聞は、こういう「“正論”を“正々堂々と”言う」系の記事を読みたい読者をたくさん持っているのだろうということで。

(ちなみに、同じthe Timesでも日曜のthe Sunday Timesは別組織で、編集方針も違います。また、低俗系タブロイドのthe Sunとその日曜版のthe News of the Worldも、the Timesと同じグループ、つまり一種の「系列」で、the Sunはthe Timesよりもっとあからさま。)

このthe Timesのような論調は、ネットをうろうろすればほかにも見つかるんですが、こういうのは1つメモすれば事足りるんでこれだけで。

ただし注目すべきは、the Timesがこのような書き方をしているということだけではありません。

ガーディアンなどに書かれているのですが、英軍司令官のマイク・ジャクソン将軍は、チャンネル4ニュースでのインタビューで、解放された人から解放した(解放してくれた)兵士への感謝のことばがないことについて「悲しい」と述べているそうです。

正確な発言とその発言の文脈を見るべきなので、チャンネル4のサイトから。

General Jackson interview
Published: 24 Mar 2006
By: Jon Snow(←チャンネル4のニュースキャスター)
http://www.channel4.com/news/...

Q: Does it help when however well intentioned, people put themselves in this position? You have somebody who voluntarily goes out there, decides they're going to be a peacemaker, they oppose your presence there, and then you have to divert resources from what you are really doing which is to protect the civil population, in order to rescue them...?

A: Well indeed. Part of this in my view; part of what we are doing is to take Iraq out of a pretty dark age and help it with all the difficulties but to help it progress to something rather better ...

Q: But there are more people saying they are going to go out and try and make peace... what do you say to them?

A: Well I would say please abide by the very clear advice you are given by the Foreign Office I would say that to any British traveller.

Q: And don't go?

A: Well that is what they are saying. Yes. But equally, the point I was coming to; when I was reflecting upon moving Iraq into a better future part of that is that people are free in a way that we understand to make their own decisions, if that flies in the face of such advice, so be it...

There is a very fine balance here but I would urge people, because I am slightly saddened that there doesn't seem to have been a note of gratitude for the soldiers who risked their lives to save those lives.

【意訳:ところどころよくわからない部分があるのですが強引に。「誤訳」はご指摘ください】
キャスター:どんなによい意図であれ、自分のせいでこうなったという場合に、だからといってどうなんでしょうか? つまり、現地に行くのだと自発的に言い出して、平和をつくるのだと言う人がですね、あなたがた(=軍隊)がいることには反対している。そしてこういうことになったら、そういうことを言う人たちの救出のために、本来の任務にあたるべき人員を割かなくてはならない――本来のというのは、(イラクの)一般市民を守ることですが。

ジャクソン将軍:そうですね。私個人の考えでもありますが、(それとは別に、)われわれがやっていることとは、イラクを暗黒時代から出し、イラクを助けることですから。いかに困難であろうとも、イラクがもっとよい状態になるのを助けることですから。

キャスター:しかし、現地に行って平和をつくるのだと言う人たちが増えていますよね……そういう人たちについてはいかがおっしゃいますでしょうか?

ジャクソン将軍:そうですね、とにもかくにも、外務省から出されている非常にはっきりとした勧告(=退避勧告)に従って、思いとどまっていただきたい。英国人で渡航しようという人全員にそう申し上げたいですね。

キャスター:つまり行くなと?

ジャクソン将軍:そうですね、外務省はそう言っているわけですから。しかし同様に、私が言いたいのは、イラクをよりよい未来へと動かすことを考えますと――それには私たちが理解しているように自由に、人々がなれるということも含まれますが――自分自身で決断できるようにですね、ああいう勧告はうっとおしいだけというんでしたらそうでしょうが……

非常にデリケートな問題ではありますが(=「自由」な英国において政府の言うことに従えという点で)、しかし私としてはやはり強くお願いしたい。というのは、命を賭して彼らを救った兵士たちに対する感謝のことばが一言もないようですが、そのことで私は少々悲しく感じておりまして。


※The Timesの記事は24日付けで、マイク・ジャクソン将軍のインタビューは24日の夜のニュースですから、the Timesが将軍のこの発言を受けて記事を書いたということではありません。記事中に将軍への言及もありませんし。


投稿者:いけだ
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2006年03月24日

【速報】3人のCPTメンバーが解放されました。

昨年11月にバグダードで何者かに拉致されていたCTPメンバーのうち、先日遺体で発見されたトム・フォックスさんを除く3人が、解放されました。

http://news.google.co.uk/news?hl=en&ned=uk&ie=UTF8&q=cpt+iraq&scoring=d のキャプチャ@3月24日午前3時すぎ。
march24_news1

BBC NEWSトップページ(「ノーマン・ケンバーさん解放」としてトップ記事)
march24_news2
※クリックで原寸。

BBCの記事:
British Iraq hostage Kember freed
Last Updated: Thursday, 23 March 2006, 17:09 GMT
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/middle_east/4836218.stm

※概略。というか原文とはかなり違います。

イラクで4ヶ月近くも拉致されていた平和活動家の英国人のノーマン・ケンバーさん(74歳)と、2名のカナダ人、ジェイムズ・ローニーさん(41歳)、ハルミート・シン・スーデンさん(32歳)が、多国籍軍によって解放された。彼らは昨年11月26日にバグダードで、それまで名前の出たことのない「真実の剣旅団」を名乗るグループによって拉致されていた。彼らの同僚で米国籍のトム・フォックスさんは、2週間前にバグダードで遺体で発見されている。

ケンバーさんはステートメントで「解放されて大変にうれしい。早く英国に戻りたい(It is great to be free, and I'm looking forward to getting back to the UK.)」と語っている。

3人の救出は、イラク時間午前8時(GMTで午前5時)のことだったと考えられている。これに先立つ1週間、英軍が主導し米軍とカナダ軍の特殊部隊が参加した作戦が行なわれていた。

この作戦について当局者から明かされていることは非常に少ないが、拉致した者たちは誰もその場におらず、一切の発砲なく、また誰も負傷しなかったということはわかっている。

彼らの所属するCPTは米国とカナダを拠点とする組織。CPTのアニタ・デイヴィッドさんは、バグダード市内のグリーンゾーンで水曜日、ケンバーさんら3人と会い、昼食をともにした。

デイヴィッドさんは3人のことを「非常に元気だ」と言い、3人はアイスクリームを食べオレンジジュースを飲んでいたと述べている。また、拘束されていた間どのようにして健康を保っていたかも聞いたという。

「ハルミートは毎日、腹筋運動をしていたそうです。また、身体の健康を保つため、毎日、階段を駆け上がったり駆け下りたりしていたそうです。」【訳注:ハルミー・スーデンさんはスカッシュが得意なスポーツマンで電気技師。】

「ハルミートから聞いたのですが、ジム・ローニーは毎日ストレッチ運動をしていたのだそうです。手元に本か何かがあったかどうかはわかりません。そういうことは話に出なかったので。」

BBC特派員でバグダードにいるアンドリュー・ノースによれば、彼らは3人の救出については話さなかったという。

米軍スポークスマンによれば、3人はバグダード西部のある家のなかで(手足を)縛られていたという。

また、今回の救出は、(何らかの容疑で)拘置されている人物から得られた情報に続くものだという。

ケンバーさんは「健康状態はまあまあ」であると言われているが、カナダ人2人は入院している。

駐バグダード英国大使館のスポークスウーマンによると、ケンバーさんは「非常にリラックスしている」とのことだが、自由にはまだ順応していない。

英国大使館職員によれば、ケンバーさんは既に電話で妻のパットさんと話をしており、一両日中にも英国に帰国することになっている。

パットさんと話をした英国のジャック・ストロー外相は、パットさんは「非常に喜んでおられた」と述べた。

サマセット州トーントン在住のケンバーさんの弟のイアン・ケンバーさんは、「大変にうれしいことです。本当にほっとしました。今はただそれだけしか言えません」と述べた。

またケンバーさんの家族は、ステートメントで、「実に多くの人々から」サポートを受けたことに感謝している、と述べている。

「ノーマンを解放するためにご尽力くださったみなさまがたにも感謝いたします。」

CPTのコーディネーターをつとめるダグ・プリチャードさんは、「彼らがさらわれてからの4ヶ月間、私たちはみなともに、不確実さ、希望、恐怖と嘆きを耐えました。そして今、喜びもみなともにかみしめましょう」と述べた。

ケンバーさんと40年以上の親交のあるアラン・ベタリッジ牧師は、BBCのラジオ番組(BBC Five Live)で、「数週間前にトム・フォックスさんが殺されています。あのときは全員が最終的には殺されてしまうのではないかと本当に心配になりました。その後の解放ですから、まったく予想外でした。非常にうれしいです」と語った。

英国のブレア首相は、知らせを聞いて喜んでいると述べ、作戦に参加したすべての兵士たちに祝福の辞を述べた。

またストロー外相の話では、今回の作戦は「何週間にもわたってイラクにいる軍と連合軍兵士、また多くの一般市民が慎重に慎重をきわめて動いてきた」成果であるとのことである。

11月16日に彼らを拉致したグループ「真実の剣旅団」は、米国とイラク政府に対しすべてのイラク人被拘束者を解放するよう要求、それが実現しない場合には全員を殺すとの脅迫を出していた。

4人のうちの1人であるトム・フォックスさん(54歳)は、バグダード市内のマンスール地区で、3月9日に射殺体で発見された。

3人の救出後、ストロー外相は、3人は救出されたが、フォックスさんが殺害されたことは「誰にとっても非常に悲しいこと」であると述べた。

イスラム人権委員会(the Islamic Human Rights Commission)のMassoud Shadjareh氏は、3人の解放はうれしいことだが、イラクで続く暴力によって殺されている彼ら以外の人質や人々を思うと複雑だと述べた。

「ノーマンさんはこの狂気を止めるためにイラクに行ったのですが、この狂気はいまだに続いているのです」と彼は語った。

ロンドンに拠点を置くCPTメンバーのTim Nafzigerさんは、「私たちが耐えてきたこの悲しみと苦痛の一部は、イラクの人々にとっては日常茶飯事なのです」と述べている。


救出作戦の詳細は明らかにされていないようですね。

CSMと契約しているフリージャーナリストのジル・キャロルさんの情報が記事のどこかにあるのではないかと思ったんですが、ありませんでした。アメリカでの報道にならあるのかもしれません。後で見てみます。

投稿者:いけだ
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2006年03月23日

サマラには援助団体が入れない(IRINレポート)

オペレーション・スウォームが展開されているサマラ。やはり事前の、民間人への退避勧告はなかったようです。食料・医薬品などの人道支援物資もブロックされて中に入れない状態。IRINレポート。

サマラには援助団体が入れない
Aid agencies unable to enter Samarra
Report, IRIN, 22 March 2006
原文:http://electroniciraq.net/news/2315.shtml

バグダード発――援助団体(複数)は、米軍とイラク軍の大規模な作戦が進行中のイラク中部の都市サマラに入ることが妨げられていると述べている。

「日曜と月曜に送り出した私たちの車は、米軍によって、市に入ることを妨げられました。市内からの情報によると、一般の家族たちには食料も電力も持ち運びのできる水もない状態です。何しろ家から出ることができないのですから」と、イラク赤新月社(IRCS)のスポークスパーソン、アブデル・ハミードは語る。

これにより、数百という世帯が、医療面での援助や食料の供給なしになってしまっていると彼らは言う。

「自体に何も関係のない人たち、特に子供たちが、サマラ市内およびサマラ外周部で、供給がないことで大変な思いをしています」と、the Monitoring Net of Human Rights in Iraq (MHRI)のディレクターであるムハンマド・アル=ダラージは語る。

「米軍とイラク軍は、メディアだけでなく地元のNGOも入れないようにしています。市内で起きている人権侵害の実態がつかめません」と彼は続けた。

アル=ダラージによれば、3月16日に作戦が開始されて以降、首都バグダードの北約120キロに位置するサマラ市からは、一般市民は誰一人として出ることを許されていない。米軍とイラク軍の奇襲隊は、サマラ一帯の反乱者を一掃するために、この作戦は必要なものであると述べている。

「私どもが知らされたところによると、軍は男性を尋問のために連行してしまい、家には女性と子供だけが残される。残された女性や子供は恐怖し、物資の補給を切望しています」とアル=ダラージは語った。

1,200世帯近くがバグダードに避難してきて、空き家となった建物や臨時につくられたキャンプで暮らしている、と、モニターしている地元のNGOは説明している。彼らの中でこれまでに援助を受けた者はほとんどない。

サラフディン県にある地域病院の救急科勤務の臨床医、イブラヒーム・マフムード医師は、市内の住民たちから電話が来ており、路上に死体があるとか、手当てを受けられない怪我人がいると聞いていると述べている。

「彼らは絶望していますが、あそこから連れ出すこともできません。私どもが聞いている情報によると、女性や子供も犠牲になっているとのことです」とマフムード医師は語った。「子供たちが病気になって、慢性の下痢など深刻な胃腸の症状を示しているとの報告です。」

3月17日以降、空からの攻撃による負傷で、地元の病院で手当てを受けた人は40人を超え、遺体は22体、病院に運び込まれている。

イラク内務省では、金曜日に作戦が始まって以来、今のところ一般市民の死傷者の報告はなく、80人の反乱者が身柄を拘束されたとしている。「イラク治安部隊にも一般市民にも連合軍部隊にも、1人も死傷者は報告されていない」と米軍のプレスサーヴィスは述べている。

This item comes to you via IRIN, a UN humanitarian news and information service, but may not necessarily reflect the views of the United Nations or its agencies. All IRIN material may be reposted or reprinted freeofcharge; refer to the copyright page for conditions of use. IRIN is a project of the UN Office for the Coordination of Humanitarian Affairs.


サマラとは別ですが、昨年11月、ハディーサで反乱勢力が路上爆弾を仕掛け、米軍との戦闘が起きたときに死亡した15人の民間人について、米軍が「反乱勢力によって殺された」と説明していたのが、実は彼らは米軍の攻撃で死亡していたことを示す証拠が出された、という報道が、週末のTIME誌でありました。
http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1174649,00.html

亡くなった15人のうちの7人が女性、3人が子供で、どうやら路上爆弾で米軍兵士に犠牲が出たあと、そのエリアの家に発砲しまくったようです(住民の証言による)。1月にTIME誌が証人28人(亡くなった人々のご家族・ご遺族や米兵)に話を聞いて、米軍の攻撃で死んだのではないかと軍に話したところ、軍が調査を開始し、その結果、彼らは米軍の攻撃で死んだということがわかったそうです。

今回もまた、米軍はいつものような弁解をしています。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4827424.stm

Riverbendは次のように述べています。

3年の時と、爆弾と「衝撃と畏怖」の悪夢は別の種類の悪夢を生み出した。今とあの時の違いは、3年前私たちはまだ物質的な心配ができていた。財産や家、車、電気、水、燃料・・・今、私たちを苦しめ不安にさせているものは何かを明らかにするのは難しい。どんな徹底した戦争反対論者でも、戦後3年の今日、イラクがここまでひどい状態に陥るとは予測もできなかった。

――Riverbend、2006年3月18日(翻訳は山口陽子さんによる)


投稿者:いけだ
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2006年03月22日

在外イラク人によるイラク占領3周年の声明

米英によるイラク不法侵略と占領から3年。在外イラク人有志が世界の人々に呼びかけます。

在外イラク人によるイラク占領3周年の声明
2006年3月18日
国外に在住するイラク人一同
ZNet 原文

下記に署名した私たち在外イラク人労働者・学生・科学者・学者・著述家・芸術家・専門職・ビジネス関係者は、外国による不法な占領のもとで私たちイラクの人々に加えられている破壊のおぞましさを目にし、世界中の平和運動とともに野蛮な軍事占領の3周年を記念して立ち上がります。この野蛮な軍事占領は、数十万人もの人々を殺したり体を損ない、何百万人もの人々を家から追放し、イラクのすべての人々の生活を壊し、環境を破壊し、我々の国の物理的インフラと市民組織そして生活を維持する体制を台無しにし、文化を破壊し、神聖な場所を汚し、逸脱した残忍さと人種差別主義的意図のもとで人々を傷つけ、傭兵と死の部隊を植え付け、汚職と騒乱を促し、そうして私たち市民を脅かしています。

私たちは3月18日に呼びかけられた世界的なデモを支持し、すべての外国部隊がイラクから撤退すること、米軍基地を取り除くこと、経済的・社会的政策に対する米国の支配を終わらせること、イラク内政に干渉しないことを要求します。

私たちは、イラクに安全がないこと、イラクの人々の間に不信が広まること、セクト的争いと人種対立が煽られることの主な原因は占領にあると考えています。占領は汚職を促し、ギャング的犯罪を促しました。致死的なセクト的テロリストと犯罪者の行為についても第一の責任は占領にあります。米国の占領により、イラクの人々は、35年に及ぶ腐敗した悪辣な独裁政権そして十年以上にわたる経済制裁と戦争の後遺症を乗り越えることができなくなっています。私たちは、占領が内戦に対する防止となっているとは考えていません。そうではなく、セクト的攻撃と内戦の脅威が、占領を継続するための口実に使われているのです。

イラクの人々は、国際法のもとで、占領に抵抗する、合法的かつ奪うことができない権利を有しています。私たちは、イラク市民社会と政治活動家、コミュニティ指導者と宗教指導者の全員に対し、ただちに米国・英国をはじめとする占領者たちや軍事司令官との会合や対話をやめ、そのかわりに真に愛国的なレジスタンスを含むイラクの国民対話を開始するよう呼びかけます。手先を使って戦争を進めることを米国に許してはなりません。イラク治安部隊は、占領者である米国との関係を断ち切り、イラクの人々に使えるべく献身してはじめて正統性を得ることができるでしょう。新たなイラクの軍・警察士官たちと政府の文民官僚たち、地方官僚、公的機関と国有企業の職員に対して、私たちは、米英の占領軍との協力をやめ、撤退交渉を除いて米英官僚との交渉をすべてボイコットするよう呼びかけます。

イラクと米国の異様な関係を終わらせ、イラクの主権と独立そして相互の尊重と国際法の原則に従った健全な国家間関係を確立することを目的としなくてはなりません。

平和的レジスタンス、そのほかの手段でのレジスタンス、占領軍と占領当局への非協力は、占領軍から合法性の見せかけを取り去るために新イラク議会がまず行わなくてはならないことです。そうしてはじめて、新たな国家機構と政治プロセスは尊重され、人々に受け入れられるでしょう。イラクの人々は、破壊された生活を再建し直し、再建と開発の全国プログラムを実行するために、団結と平和、安定を望んでいます。

米国と英国の人々、そして世界中の人々は、米英そしていわゆる「有志連合」の兵士と基地をイラクから撤退させ、イラクの人々に対して犯された不正を認めさせ、団結した民主的で完全に独立したイラクの再建を助けさせるために、米英政府に最大の圧力をかけることで、イラクを支援することができます。

署名者
Professor Abbas Alnasrawi (Vermont, USA)
Professor Tareq Ismael (Alberta, Canada)
Dr Scheherazade Hassan (Paris, France)
Dr Sami Albanna (Bethesda, MD, USA)
Dr Kamil Mahdi (Exeter, UK)
Dr Mohammed Alwan (Boston, USA)
Sami Ramadani (London, UK)
Professor Kamal Majid (London, UK)
Ghazi SabirAli (Bath, UK)
Dr Ahmed AlKawaz
Dr Haifa Jawad (Birmingham, UK)
Ja'far alSamarrai (Toronto, Canada)
Sabah Jawad (London, UK)
Hani Lazim (London, UK)
Fenik Adham (London, UK)
Mayada Akrawi (Geneva, Switzerland)
Dr Ali AlAssam (London, UK)
Dr Nada Shabout (Texas, USA)
Valerie SabirAli (Bath, UK)
Dr Nadje AlAli (Exeter, UK)
Rashad Salim (London, UK)
Zaid Albanna (San Francisco, CA, USA)
Ali AlShahwani (New Zealand)
Badia Albanna (Takoma Park, MD, USA)
Nesreen Melek (Toronto, Canada)
Mumtaz Kamala (UK)
Nadhim AlQazzaz (UK)
Dr Jennan Ismael (Sydney, Australia)
Fay Mahdi (London, UK)
Dr Adnan Aldaini (Exeter, UK)

投稿者:益岡
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2006年03月20日

任務拒否のSAS隊員「私が英軍に入ったのは、米国の外交政策を実行するためではない」(2)

1つ前の記事の続き。まとめて読むにはミラーサイトをご利用ください。

任務拒否でSASを辞めた英軍兵士のインタビュー記事。

'I didn't join the British Army to conduct American foreign policy'
By Sean Rayment, Defence Correspondent
http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2006/03/12/nsas112.xml

概略:

ベン・グリフィンはSASの対テロリスト・チームの一員としてのキャリアの絶頂にあった。ロンドンに生まれウェールズに育ったグリフィンは、18歳で高等学校を終えたときにはかなり優秀な成績で、士官への道を選ぶこともできたのだが、一般の兵士として入隊した。彼は過去、パラシュート連隊(→詳細)で北アイルランド、マケドニア、アフガニスタンで任務に就いており、頭脳と体力、および軍事作戦のストレスへの対処能力に際立っていたことで、理想的な特殊部隊員として選抜された。

2004年はじめにSASに入り、GSquadron【訳注:22nd SAS Regimentの一部なので地上部隊】で兵士として任務につくこと1年で、グリフィンは所属部隊がバグダードに派遣されることを知った。バグダードでは米軍のデルタフォースと共同で、アル=カーイダのセルや反乱者の組織をターゲットにすることになる。

SASの本拠であるヘリフォード基地ではまったく知られていなかったが、グリフィンはかねてより、イラク戦争の「合法性」について疑問を抱いていた。サダム・フセインが暴虐な独裁者で西側にとっての脅威であることは認識していたが、その脅威は小さなものであり、イラク戦争は正当な理由のない戦争であると考えていたのである。【訳注:念のため書き添えておきますが、開戦時の「イラク戦争の理由」は「イラクの大量破壊兵器が西側にとって脅威であるから」で、その「大量破壊兵器」は存在すらしていなかったのに存在していると英米が結論付けた。英米は後になって「大量破壊兵器はなかった」と公式に認めた】

バグダードでの3ヶ月の任務の期間中に目撃したこと、特に米軍の行動により、グリフィンは生涯で最も難しい決断を余儀なくされることになった。

2005年3月、1週間の休暇を得たグリフィンは、休暇中に上官と正式な面談をおこなった。そこで彼は、この戦争はモラル上誤ったものであると考えているため、イラクにはもう戻るつもりはありませんと告げた。それだけではなく、彼は、ブレア首相と英国政府は国に対して嘘をつき、イラクで任務についている英軍兵士すべてを欺いたと考えている、とも述べた。

グリフィンは、そのような見解を述べれば逮捕され、腰抜けとのレッテルを貼られ、軍法会議にかけられ、投獄されるだろうと覚悟していた。【訳注:原文はdaring to air such viewsという表現を含んでいますが、これは、ライター側に、SASの標語"Who Dares Wins"を想起させる狙いがあるのかもしれません。】

しかし実際には、彼は華麗な軍歴に一切傷をつけることなく、そればかりか上官からの賛辞にあふれた推薦状を持って、陸軍を去ることができた。上官は推薦状において、グリフィンのことを「精神的に安定した誠実な兵士であり、自分に正直でいられる強さと人格を備えた兵士である」と評している。

昨年6月、SASを除隊となってから初めてのインタビュー取材で、グリフィンは戦争について自分の考えを公言するに至った理由をこう明かした。

「バグダードで不法なこと、あるいは単に間違っていることをたくさん見た。地元の人々の人心を掌握したいのであれば、作戦をこんなふうに実行すべきではないということは、私が知っていたのだから他の人たちも知っていたに違いない。それに人心を掌握しようとしなければ、戦争には勝てない。」

「米軍と合同で対テロリスト作戦をおこなっていると、例えば、老人であったり明らかに農民であったりで脅威ではないという場合、われわれは本部にそれらの人物はかくかくしかじかなので拘束しないと無線で連絡する。しかし米軍は『だめだ、連行する』という調子だった。」

「米軍は容疑者を逮捕するにはとにかく全員捕まえろというやり方をしていた。必要以上に苛烈な方法だし、まったく非効率的だ。米軍は農民をアブ・グレイブにぽいぽい放り込むといったことをしていたし、あるいは、拷問されると重々承知した上でイラク当局に引き渡したりしていた。」

「米軍はむやみやたらと銃でカタをつけようとすると言われるがまったくその通りだ。私がイラクにいた3ヶ月の間、同じ英軍の兵士たちは一度も、誰も撃たなかった。米兵になぜ殺すんだと訊けば、『相手は手ごわい外国人戦士だからな』とか答える。私は、自分がいた間には外国人戦士など1人も見ていないのだが。」

「バグダードの市の外である作戦をやったことがあった。何人かの民間人を拘束していたが、明らかに反乱者ではなかった。無辜の人々だった。どうして拘束などしたのか私には理解できず、部隊司令官に『バルカン半島や北アイルランドでやったのと同じように行動するのではなかったのか』と尋ねたところ、司令官は肩をすくめて『ここはイラクだから』と言う。私としては『だからこういうことをしても問題ないってことかよ』と思ったのだが。」

「私の知る限り、それは、肌の色が違うから、あるいは地域が違うから(=ヨーロッパではないから)、まあそう気にするなという意味だった。民主主義を促進するふりをしてひとつの国を侵略しておいて、ああいうふうに振舞うなどということは本来ありえない話だ。」

これとは別の作戦で、農地に住んでいる男性の一団を拘束するようにと命じられたときの彼ら兵士たちのフラストレーションのことを、グリフィンはこう語る。

「何度か作戦をおこなえば、経験的に相手が反乱者なのか、それともただの一般市民なのかがわかってくる。あのときは、拘束した人々が脅威ではないということは、われわれにはわかっていた。」

「彼らの1人は身体が不自由だった。片脚を失っていた。しかし米軍はそれでも、彼らをヘリに乗せて基地まで連れてこいと命令してきた。数時間後、拘束したうちの半分を帰すように言われた。白昼、ヘリでその農地まで飛んで行け、と。まったくばかげた命令だ、撃ち落されたり襲撃されたりするリスクを負えというのだから。それでもわれわれはそうしなければならなかった。その前夜に米軍に忠告したというのに米軍は耳を貸さず、そのためにわれわれは米軍によって命を危険にさらした。これが彼らの典型的な行動だ。」

グリフィンは、米軍兵士はイラク人のことを、第二次大戦時にナチスがロシア人やユダヤ人や東ヨーロッパ人を見ていたのと同じように――つまり「人間以下のもの(untermenschen)」として見ていた、と語る。【訳注:untermenschenはナチスの用語で、英語にすればsubhuman。】

「米兵に関する限り、イラクの人々は人間以下のものだった。米兵は大きく2つのグループに分けられた。1つはまったくの十字軍、イラク人を殺すことに一生懸命な連中で、もう1つは軍隊が大学の学費を出してくれるからという理由でイラクに来た連中。彼らはアラブの文化など理解していないし、そもそも興味もない。米兵がイラク人に話しかけるときには、まるで馬鹿を相手にしているように話す。これは個別の兵士の話ではなく、上から下までそうだった。他の者よりは少しは状況をよく理解している、多少見識ある士官の1人や2人はいたかもしれないが、全体的に、米軍といえばそういう態度だった。ああいう態度をとるから反乱がますます激しくなったのだ。イラク人は米軍をとにかく忌み嫌っているのだろう。」

グリフィンはかつての同僚には最大の敬意を有しており、所属していた連隊には今なお完全に忠誠であるが、米軍と共同したことで英陸軍の評判は損なわれたと考えている。

「イラクに行く前には疑問も抱いていたが、兵士としては命令されたことをおこなうまでだ。けれども私はイラクで、兵士としての私の役割という点で譲らないことには、私の考えを私の仕事から切り離しておくことができないと悟った。」

「その時点で、もうこれ以上は無理だとわかった。この国とアメリカの政治家たちが、この戦争について英国の一般の国民に対して嘘をついた、そのやり方について当時私は非常に腹を立てていて、今でもそうだ。だが最も重要なのは、私はアメリカの外交政策を実行するために英国の軍隊に入ったのではない、ということだ。」

グリフィンは、イラクで目撃した多くのことによって怒りを覚えてはいたが、上官に自分の考えをはっきり伝えるのは、休暇で英国に戻るまで待った。

「バグダードにいるときには何も言いたくなかった。同僚の兵士たちに大きな敬意と忠誠心を抱いていたからだ。自分の意見を述べることによって、不要なプレッシャーや不快感を起こすことは、私は望んでいなかった。」

「1週間の休暇で英国に戻ったときに、直属の上官と面談を願い出て、その席で、イラクで起きていることは、法的にはもちろん作戦としても間違っていると思うと言った。

「最初は、上官は私にイラクのPMC(private military company)の仕事の誘いでもあったのではないかと思っていたが、そうではないということがはっきりすると、非常に理解を示してくれた。私にとっては大きな決断だった。私はSASに入るためにものすごく努力した。気まぐれで決めたことではない。」

「上官は私の考えを理解してくれた。そしてすばらしい態度を示してくれた。実際、誰もがすばらしい態度で迎えてくれた。私にはこの先どうなるかはわかっていなかった。任務拒否で起訴されるか、コルチェスター[の軍刑務所]に送られるのではないかと思っていた。」

グリフィンは、自分は平和活動家ではなく、いかなる政党のメンバーでもないし、政府を倒すことを目した政治的思惑があるわけでもないと言う。

「私は民主主義を心底信じているし、だから自分がモラル上間違っていると思うことについては発言する。イラクでの戦争は、私は、侵略戦争(a war of aggression)だと思うし、モラル上間違ったものであると思っているし、もっと重要なこととして、われわれは中東の状況を前よりもっと不安定にしてしまったと考えている。これはただ間違っているだけではない。これは軍事的大惨事だ。サダムが去ったあとにどうなるかということについて、何ら計画がなかった、どういうふうに終わらせるかがまったく計画されていなかったのだから。」

※なおこのインタビュー取材に際し、グリフィン氏は一切の金を要求せず、また受け取りもしなかった。


SASに入ったような人が、「反戦議員」や「反戦団体メンバー」のようなことばを使っていることには誰もが驚くだろうし、それゆえ彼自身が「私はピースアクティヴィストではないし、いかなる政党の党員でもない」と言い、さらには「今の政権を倒そうということじゃない」とも言い添えている(これはいくつかの文脈で検討してみる必要もあるかもしれないのですが)。いずれにしても、グリフィンさんが言っている内容は、これまでも何度か英軍内部から聞こえてきたことです。

例えば“最初のファルージャ”の時期、2004年4月11日のテレグラフ記事(→MetaNotesさんというブログに日本語で概略)で、名前は出していないが南部に駐留する英軍の上級将校が「米軍はイラク人を『人間以下』と見ている」、「米軍のイラク人の扱いはあまりにひどい」と述べています。

また、“二度目のファルージャ”のときに米軍の支援のために南部から中西部に引っ張り出されてきた2004年10月末のブラック・ウォッチ連隊のインタビュー(<当ブログ過去記事)では、19歳の英軍兵士が「自分たちはうまくコントロールしてきました。でもアメリカはどうも,めちゃくちゃにしてきたみたいですね」と語っています。

実際、南部の英軍がいわゆる「立派な紳士」みたいな行動を貫いていたのかどうかという問題もある。広く知られるところでは、バスラで「アブ・グレイブ」とか、首根っこ押さえて連行したティーンエイジャーをボコボコにとか(暴行に関しては元SASがものすごく怒っているけれども)。これとは別に、今年3月には別の暴行ビデオ(ヘッドバットを食らわせて血を流して倒れている人を蹴りつけている英兵たち。場所など不明)の存在が明らかになり、英軍警察が調査中の案件は184件にものぼっているとのこと。(184いう数字には私もびっくりしましたが、報道されてないのがどれだけあるのかってことでもある。)

それでもなお、英軍の基準で考えたとき米軍のやり方はあまりにひどいというのは事実のようで、ということは、例えば北アイルランドでの英軍のdirty warをちょっと聞きかじっていると、「あれよりひどいのか」と。

それとは別に、例えば開戦直前の2003年3月にはラムズフェルドが「仮に英国が離脱しても米軍だけで大丈夫」と発言し(→当時の私の記述その1その2)、「英米の特別な関係」なんてほんとにあるのかという話になりそうな気配がしたのだけれども、それでも何事もなかったかのように、英軍は参戦した。というか、時期的に判断して、あの発言があったときに大きな流れが変わるはずもなかったのですが。

バグダードで米軍と英軍が共同で作戦をおこなっているというのも、あるいは、「連合軍」の体裁を保つためかもしれない(つまり、軍事的な判断というよりも政治的な判断であるかもしれない)し、もしそうであるとすれば、たとえば英国のガチガチの「女王陛下に忠誠を尽くす」スタンスの人々は、正直、やってられないんではないかとかも思います。

それにしてもテレグラフは最近すっかり「反米」なことで。。。ガーディアンよりよほど「反米」で、正直、戸惑います。

先ほど、News23(TBS系)で、ロバート・ポルクという元国防総省大佐のインタビューを中心に、2003年3月の開戦時に米国が持っていたのが「軍事戦略」だけだったということがかなり生々しく語られていました。

当時からそう言われていたと私は記憶しているのですが、まさかほんとにそんなことはあるまいと思っていたら、ほんとにそうだった。それが私にもはっきりわかるようになったのが2003年終わりでした。

開戦から3年が経過し、4年目に入りました。

投稿者:いけだ
posted by いけだ at 23:47| Comment(10) | TrackBack(1) | イラク全般

任務拒否のSAS隊員「私が英軍に入ったのは、米国の外交政策を実行するためではない」(1)

先週、英陸軍特殊部隊SAS(Special Air Service)の隊員が、イラクでの任務を拒否し、軍を去ったというニュースがありました。

最初に報じたのはデイリー・テレグラフ/サンデー・テレグラフ(3月12日:Google Newsで見ると11日付けだがそれは米国時間で記録されるため)。ちなみに、軍関係のニュースは英国ではこの新聞をチェックするのが最も確実。退役軍人が固定読者層なので。
報道記事:SAS soldier quits Army in disgust at 'illegal' American tactics in Iraq日本語@「イラク情勢ニュース」さん
解説記事:'I didn't join the British Army to conduct American foreign policy'

これを受けた報道が、英国だけでなく、世界各国で続きました。例えばスコッツマンガーディアンイヴニング・スタンダード新華社(中国)ヒンドゥー(インド)アルジャジーラ(あのアルジャジーラではなくて.comのほう)など。(どれを読んでもさして違いはないが、ガーディアンはリチャード・ノートン・テイラーが書いてる。)

要約すればこういう話――米軍の「不法な行為」をいやというほど直接見た英軍特殊部隊隊員(超エリート)が、「私は米国の外交政策を実行するために英軍に入ったわけではない」と思い、イラクでの任務を拒否。通常ならば軍法会議と何らかの刑罰(投獄)ののち不名誉除隊となるところ、彼がいかに優れた人物であるかを書いたレターつきの除隊となった。

次の記事にテレグラフの解説記事を紹介したいのですが、その前に、SASとは何かということを、「SAS」というドラマの解説ページから引用:
SAS (イギリス陸軍特殊空挺部隊 Special Air Service) の略で第2次大戦中、デーヴィッド・スターリング中尉による提唱によって英陸軍に敵陣への強襲及び情報収集を目的した奇襲攻撃部隊として誕生しました。
戦闘経験は世界で最も豊富に積んでいる特殊部隊で、対テロリスト・ゲリラ・不正規戦・その他あらゆる特殊作戦の手本とされており、世界最古にして最強の特殊部隊がSASといえます。

http://www.wowow.co.jp/drama/sas/top.html


説明文中の「その他あらゆる特殊作戦」の「その他あらゆる」には、戦時における敵側への潜入・撹乱・破壊工作といったものが含まれます。具体的には、Wikipedia(英語)とか、2005年9月のPEJ News(英語)とかにいろいろ書いてあります。

このPEJ Newsの記事(実際にはよそからの転載なのだが)が書かれるきっかけとなった同年同月のイラク南部バスラでの奇妙な事件(過去記事のコメント欄参照)ではSASは表のニュースに出てきたけれども、基本的には彼らは、報道のカメラに写らないところで「戦争」の最前線にいる戦闘員。

また、誰がSASの隊員であるかはめったに明らかにされることがありません。例えば2004年1月にバグダードで自動車事故があって英軍兵士2人が死亡したときの記事で、BBCは次のように、死亡した2人がSAS隊員であったことについて断定を避ける形で書いています。

Major James Stenner, of the Welsh Guards, and Sergeant Norman Patterson, from the Cheshire Regiment, died in the accident in Baghdad early on 1 January.

*snip*

The MoD will not confirm or deny whether the men were special forces members, but the BBC has learned they were in the SAS.

http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/3369077.stm


この同じ記事で、BBCは「イラク駐留英軍のほとんどが南部にいる」と書き、「バグダードにいる英軍兵士」が例外的というか、珍しい存在であることを示唆している。「バグダードには英軍兵士はいない」とは言わないけれども、「いる」とも言わないという微妙な感じ。

今回報じられた「イラクでの任務を拒否して英軍を去った元SAS隊員」は、彼らがバグダードで何をしていたのかをある程度は明らかにしています。

では、テレグラフの解説記事を次の記事に。


※NewsHandlerの投稿字数制限のため、記事を2分割してます。まとめて一気に読むにはミラーサイトをご利用ください。


投稿者:いけだ
posted by いけだ at 23:46| Comment(0) | TrackBack(1) | イラク全般

2006年03月19日

【投稿】Global Days of Action 2006ご案内

下記案内文をメールフォームからお寄せいただきました。URLをクリッカブルにするなどの最低限の編集だけ加えてそのまま転載します。

2006年3月20日、イラク戦争がはじまって3年が来ようとしています。これに際し、ご存知のとおり今週から来週にかけて、世界中でイラク戦争を問うイベントが開催中です(世界的なピークは18日)。

インターネットコンテンツやアート、広告といった方面からイラク戦争や平和問題についてコミットしていこうと考えている大阪のボランティアグループ(あるいは企画)の『EGピース』と『ピースワードプロジェクト』は、昨年にひき続き共同でこれら関連イベントを広く紹介するサイトを制作しました。 ご覧いただければ幸いです。

□■Global Days of Action 2006(イラク開戦3周年世界共同アクション)
  http://320.aikotoba.jp/

■全国アクションリスト
■ケータイ写ログ
■オリジナルフリーフライヤー&バナー
■イベントポスター&フライヤー集 
■関連リンク
■mixi
□アーカイブ
 2005年版(トップサイト)
 2004年版(ポスター・フラヤー集)

*一部校正が済んでいない箇所があります。
*イベント主催元の掲載可否確認の結果、一部情報やコンテンツの全削除や改変となる場合があります。
*当サイトはリンクフリーです。どのコンテンツにリンク頂いても結構です。

◎EG Peace
若手アーティストによるポストカード等の制作販売。
http://egpeace.gozaru.jp/

◎ピースワードプロジェクト
イラク戦争関連サイトの運営やストリートアート。
http://www9.plala.or.jp/pwp/

お問合せはこちらまで(担当・はん、山口)
egpeace[at]handd.com


※最後のメールアドレスのところは、スパム避けのために、@を[at]と表記してあります。はんさん・山口さんへのお問い合わせの際は、[at]を半角の@に置き換えてください。

「写メールブログ」はCreative Commons Lisenseです。「バナー」や「フライヤー」は利用自由。また、「Global Days of Action 2006」では、日本国内だけでなく、世界各地の反戦の運動のポスターの紹介もあり、それぞれのサイトへのリンクもあります。

「Global Days of Action 2006」さんでリンクされていたので久しぶりにUKのStop the War Coalitionのサイトを開いてみたら、3月10日に下記のような本が出ています。

*ジョン・ル・カレ
*ハロルド・ピンター
*ブライアン・イーノ
*リチャード・ドーキンス
*マイケル・フェイバー
*ハイファ・ザンガナ

……ほしいかも。
http://www.stopwar.org.uk/new/NotOneMoreDeath.htm



投稿者:いけだ
posted by いけだ at 03:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 各種イベント・映画など

2006年03月17日

水曜日、米軍がサマラ近くで民家を攻撃、11人死亡。

ファルージャのときもカーイムのときもそうでしたが、大規模な攻撃の前には規模の大きくない攻撃が行なわれます。

今回のサマラ攻撃の前にも、近く(数字にばらつきがあるのですが、だいたい20キロくらい)の村で「反乱者拘束作戦」が行なわれ、1人を捕まえるために空と陸から攻撃をし、しかも弾が飛んでった先は民家で、しかもその民家にはそこの住人がいて、11人死亡。そのほとんどは女性と子供だったそうです。

ただし米軍は「死者4人、内訳は男性1人と女性2人と子供1人」と説明しています。

が、この攻撃では、たまたまだったのかもしれませんが、APの取材スタッフが現地にいて、誰が見ても1人ではない子供の遺体をカメラに収めています。

というわけで、A Citizen of Mosul blog経由、Free Iraq blog経由、Yahoo News (US)

Iraqis Say U.S. Raid Kills 11 People
http://news.yahoo.com/s/ap/20060315/ap_on_re_mi_ea/iraq

概要:
水曜日、バグダードの北で行なわれた米軍による急襲/強制捜査(raid)で11人が死亡したと警察と犠牲者の親族が述べた。11人のほとんどが女性と子供だった。米軍は攻撃を認めたが、死亡したのは男性1人、女性2人と子供1人の4人だけだとしている。

警察署長によれば、攻撃があったのはバラド(Balad)の近くのイサハキ(Isahaqi)村。戦闘機と装甲車両が村の一軒の家屋を完全に破壊した。

現場にいるAP記者は、家の屋根が崩落し、車3台が破壊され、牛が2頭殺されたと伝えている。

11人の犠牲者は毛布に包まれ、3台のピックアップに載せられて、さらに北のティクリートの総合病院に運ばれた、と親族は語っている。

APの写真では、男性2人、子供5人とそのほか4人の遺体が、嘆き悲しむ親族に付き添われて、病院に到着しているところをとらえている。犠牲者は砂埃まみれで、髪の毛には瓦礫がからまっている。

米軍は、この急襲の標的は、アル=カーイダ・イン・イラクのテロネットワークを支援している疑いのある男で、本人は身柄を確保されたと述べている。

軍スポークスマンは「兵士らは建物に近づくと敵からの銃撃を受けたので、空からおよび陸から反撃したものである」と述べた。

この家の家長のFaez Khalafは死亡しており、その甥であるRiyadh Majidは病院でのAPの取材に対し、水曜早くに米軍はヘリでやってきて、家を急襲した、と述べた。

Khalafの兄(弟)のAhmedは、犠牲者のうち9人が同居していた家族で、2人は客人だと述べた。

「死んだ家族はレジスタンスには参加していない、女性と子供だ」と彼は述べた。「アメリカ人は私たちにもっとよい生活を約束しているが、私たちの得るのは死だけだ。」

……以下略(宗教行事に際し、シーア派の聖地を警備するために部隊が派遣された、など興味深いことが書かれています。後半はイラク政界の動きについて)……



以下、正方形の写真(トリミングなどしたもの)をクリックしてください。(ただしリンク先@Yahoo.comがいつまで見られるかはわかりません。しばらくするとネット上から削除されるのではないかと思います。)

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 1列目左から:ロイター、ロイター、AP 2列目と3列目AP


バグダードの北およそ80キロのところにあるイサハキ(Isahaqi)村にて、2006年3月15日。

警察の説明では、水曜(15日)早くに1軒の家屋が米軍の急襲/強制捜査(raid)で爆撃され、11人が死亡。遺体はさらに50キロ北の病院に搬送された。死んだ11人のほとんどが子供と女性だった。

米軍では4人の死者が出たことを認めているが、この急襲/強制捜査で反乱容疑者1人の身柄を確保したとしている。

――ロイターおよびAP写真キャプションより。


また、木曜日に開始された「オペレーション・スウォーム」ことサマラ攻撃作戦についてのAPの報道のページから、写真が大量に閲覧できます。大量ですが、根気よく順番に見ていってください。1枚目はサマラ攻撃準備のブラックホークの列、2枚目・3枚目もこの作戦での米兵のもので、その後しばらくカルバラの宗教行事(シーア派)の写真があり、10枚目がタルアファル、11枚目がタジ、12枚目がモスル、13枚目がハラブジャ(「反政府デモ」で死者が出ています)、14枚目がキルクーク、15と16枚目がvoidで、17枚目がハラブジャ、18枚目がサマラ(出撃前の兵士たち)、その後数枚がブラックホーク・ヘリの写真で、21と22枚目がラマディ・・・という感じです。全部で100枚。同じのがダブってたり、キャプションが違ってたりしてわかりづらいものもあります。

ハラブジャについては、現地のミリアムさんのブログをご参照ください。
http://pearlsofiraq.blogspot.com/2006/03/protestsforaidinhalabjaregion.html

タラバニ大統領に近いクルド人自治区でなぜ「反政府デモ」になったかということが説明されています。

投稿者:いけだ
posted by いけだ at 11:31| Comment(1) | TrackBack(1) | イラク全般