当方のメールアドレスをちょっと変更しました。といってもプチ変更です。ドメイン(@から後ろの部分)はこれまでと変わりありません。
以前お問い合わせなどくださった方は、今後ご連絡いただく場合は、改めてメールフォームをご利用いただくのが最も間違いがないと思います。
メールでのやり取りがあった方にはなるべくお知らせメールをお送りしたいと思いますが、誤ってメールを削除してしまったなどの事由でご連絡できない場合があるかと思います。その場合はどうぞご寛恕ください。m(_ _)m
なお、現在までのメールアドレス(旧アドレス)での受信は、今後30日間のみ有効です。その後は受信ができなくなります。
投稿者:事務管理担当(いけだ)
2006年01月30日
2006年01月29日
新たなビデオはCPTメンバーが生きていることを示している
誘拐されているCPT(クリスチャン平和構築チーム)のメンバーがまだ生きていることが、新たなビデオからわかりました。速報。
関連する情報として、CPTメンバー拉致の件もご覧下さい。
投稿者:益岡
新たなビデオはCPTメンバーが生きていることを示している
プレス・リリース
CPTカナダ
2006年1月28日
Electronic Iraq 原文
1月21日付のビデオテープで、ジェームズ、ハーミート、ノーマン、トムが生きているのを目にし、たいへん喜んでいます。このニュースは、私たちの祈りに対する答えです。彼らが解放されることをこれからも期待し、祈り続けます。
クリスチャン平和構築チーム(CPT)の私たち全員は、私たちのチームメイトが拉致されたことにとても心を痛めています。彼らを拘束している人々が彼らを丁寧に扱うことを祈ります。私たちCPTの多くが、イラクで客として丁重なもてなしを受けてきたように。ハーミート、ノーマンとトムは、イラク占領には協力していない平和活動家で、とりわけ拘留されたイラク人を含め、すべてのイラク人にとって正義が実現されるよう働いてきました。
私たちは、チームメイトの身に起きたことが、米国と英国の政府による不法なイラク攻撃とその後に続く占領そしてイラクの人々への弾圧という行動の帰結であると今も考えています。そして私たちは、イラクで拘留sれているすべての人々にとって正義と人権が実現されることを求め続けます。悪をなした者たちの代わりに罪のない人々が苦しむなどということがあってはなりません。
CPTはイラクで拘留されているイラクの人々のために平和と正義を求める公開行動をしてきました。この週末、ワシントンとトロント、シカゴで、大きなイベントが予定されています。それについてはwww.cpt.orgをご覧下さい。
クリスチャン平和構築チーム(CPT)は、以前から、不法に拘留され虐待を受けたイラク人捕虜の権利のために活動してきました。私たちは、西側メディアがアブグレイブで起きていることを認めるよりもはるか前から、米軍兵士たちによるイラクの人々への拷問を公に批判した最初のグループで、人権と平和のためにイラクに残って活動を続ける数少ない国際組織でもあります。私たちは活動を続けることができることを期待し、親愛なるチームメイトがすぐに釈放されるよう祈ります。
左から、誘拐されたクリスチャン平和構築活動家、カナダ人でトロント出身のジェームズ・ローニー、ハーミート・シン・ソーデン、アメリカ合州国人でバージニア州クリアーブルック出身のトム・フォックス、英国人ノーマン・ケンバー。2006年1月28日土曜日アルジャジーラTVで放映されたこの映像に映っていた。土曜日に新たに放映されたテープによると、誘拐者たちは、イラクと米国の監獄からすべてのイラク人捕虜を解放しない限り、4人のクリスチャン平和構築活動家を殺すと脅迫している。シカゴに本部を置くクリスチャン平和構築チームの活動家である4人は11月26日に行方不明になった。これまで知られていなかった「真実の剣旅団」が誘拐を表明。アルジャジーラによると、捕虜をとっているこのグループは、これが米国とイラク当局にとって、「捕虜を解放するかわりにすべてのイラク人捕虜を解放する最後のチャンス」であり、そうしなければ「4人の運命は死だ」と述べている。期限は示されていない(APの写真/アルジャジーラ)
関連する情報として、CPTメンバー拉致の件もご覧下さい。
投稿者:益岡
2006年01月28日
女性囚人の釈放が開始。
イラクで、米軍に身柄を拘束されている女性たちの釈放が開始されました。
US releases Iraqi women prisoners
Last Updated: Thursday, 26 January 2006, 15:08 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4649714.stm
このBBC記事によると、嫌疑不十分を理由として釈放されたのは5人の女性たち。米スポークスマンは、419人の釈放を行なうが、この5人もその一環である、と述べています。
一方で、米ジャーナリスト(クリスチャン・サイエンス・モニターと契約)のジル・キャロルさんを拉致しているグループが「女性囚人すべてを釈放しなければジャーナリストを殺す」としていることと、今回の釈放との関連については、米国当局者は否定。
さて、西洋人を拉致したグループが「女性囚人を釈放せよ」という要求を出したのは、今回が初めてではありません。
すぐに思い出せるだけで、まずマーガレット・ハッサンさん(英国籍とアイルランド国籍とイラク国籍を有する女性で、支援活動を行なっていた)のケース。それからケネス・ビグリーさん(英国籍の男性で、「復興事業」関係者)と米国人2人のケース。ハッサンさんもビグリーさんも殺されました。
ケネス・ビグリーさんが拉致されていたとき、英国のストロー外相は次のように述べ、「われわれが拘束しているイラク人女性」の存在を否定しています。(この「われわれ」はおそらく「英国」のことだと思いますが、「米英を筆頭とする多国籍軍」のつもりかもしれず、そこは英文からは断定しづらい部分です。)
一方、ビグリーさんと一緒に拉致された米国人についての要求が「タウヒード・ワ・ジハード」から出されたころに、米国は「拘束されている女性は2人だけだ」と述べています。(→当ウェブログの過去記事)
そのへんのことは、今年1月18日のBBC記事(「囚人の釈放 早期に」)にも述べられています。
しかし、2004年9月に米国が「兵器開発に関係していた生物学者2人だけ」としていた「イラクの女性囚人」が、2006年1月に釈放開始となった時点でどんなに少なくとも5名(1月18日記事では6名)存在しているということについて、BBCで記事検索してみたけれども、何も説明がないのです。
BBCは英国のメディアなので、米軍管理下の拘置施設については報道が薄いだけかもしれないのですが。。。
この数字の不思議について、米国の公式の説明をご存知の方、いらしたらコメント欄で教えてください。「ここにこういうことが書いてあった」という形で、記事へのリンクを示していただけると幸いです。
投稿者:いけだ
US releases Iraqi women prisoners
Last Updated: Thursday, 26 January 2006, 15:08 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4649714.stm
このBBC記事によると、嫌疑不十分を理由として釈放されたのは5人の女性たち。米スポークスマンは、419人の釈放を行なうが、この5人もその一環である、と述べています。
一方で、米ジャーナリスト(クリスチャン・サイエンス・モニターと契約)のジル・キャロルさんを拉致しているグループが「女性囚人すべてを釈放しなければジャーナリストを殺す」としていることと、今回の釈放との関連については、米国当局者は否定。
さて、西洋人を拉致したグループが「女性囚人を釈放せよ」という要求を出したのは、今回が初めてではありません。
すぐに思い出せるだけで、まずマーガレット・ハッサンさん(英国籍とアイルランド国籍とイラク国籍を有する女性で、支援活動を行なっていた)のケース。それからケネス・ビグリーさん(英国籍の男性で、「復興事業」関係者)と米国人2人のケース。ハッサンさんもビグリーさんも殺されました。
ケネス・ビグリーさんが拉致されていたとき、英国のストロー外相は次のように述べ、「われわれが拘束しているイラク人女性」の存在を否定しています。(この「われわれ」はおそらく「英国」のことだと思いますが、「米英を筆頭とする多国籍軍」のつもりかもしれず、そこは英文からは断定しづらい部分です。)
"Messages were exchanged with the hostagetakers in an attempt to dissuade them from carrying out their threat to kill Mr Bigley," he said.
"But at no stage did they abandon their demands relating to the release of women prisoners, even though they were aware that there are no women prisoners in our custody in Iraq.
BBC, "Bigley captors made first contact", 9 October, 2004
一方、ビグリーさんと一緒に拉致された米国人についての要求が「タウヒード・ワ・ジハード」から出されたころに、米国は「拘束されている女性は2人だけだ」と述べています。(→当ウェブログの過去記事)
Eugene Armstrong was kidnapped along with another American citizen, Jack Hensley, and Britain's Kenneth Bigley from their house in central Baghdad on Thursday.
In response to the demands, Washington said it had only two women detainees in custody in Iraq biologists accused of developing weapons.
BBC, Iraqi militants kill US hostage, 21 September, 2004
そのへんのことは、今年1月18日のBBC記事(「囚人の釈放 早期に」)にも述べられています。
しかし、2004年9月に米国が「兵器開発に関係していた生物学者2人だけ」としていた「イラクの女性囚人」が、2006年1月に釈放開始となった時点でどんなに少なくとも5名(1月18日記事では6名)存在しているということについて、BBCで記事検索してみたけれども、何も説明がないのです。
BBCは英国のメディアなので、米軍管理下の拘置施設については報道が薄いだけかもしれないのですが。。。
この数字の不思議について、米国の公式の説明をご存知の方、いらしたらコメント欄で教えてください。「ここにこういうことが書いてあった」という形で、記事へのリンクを示していただけると幸いです。
投稿者:いけだ
2006年01月26日
ドキュメンタリー映画『ファッルージャからの証言』DVD版
2004年4月と11月。米軍による包囲作戦で多数の民間人が虐殺されたファルージャ。そのファルージャからの証言がまた一つ映像になり、DVDで手に入るようになりました。
ドキュメンタリー映画
『ファッルージャからの証言』 DVD版
2005年/イラク/32分/日本語字幕付
制作:アル=キターフ芸術プロダクション
日本語版制作:『ファッルージャからの証言』日本語版制作委員会
★頒価:2500円(資料付)+送料200円(2枚以上は送 料無料)
★5枚以上注文の場合は委託料金扱い:1枚 2000円
★ライブラリー価格:5000円
2004年11月、米軍はイラク中部の町、ファッルージャを包囲攻撃し、数千人にのぼる住民を
虐殺しました。
このドキュメンタリー映画は、包囲下のファッルージャに潜入して撮影された映像と、虐殺
を生き延びた住民たちの目撃証言をもとにした貴重な映像作品です。
この日本語版の売上げの利益は、イラクの「女性の意志委員会」などへのカンパとします。
■DVD版(日本語字 幕付)販売元・問合せ先
イラク・フォーラム事務局
*電話:09092734316
*fax:0666242835
*電子メール:ysige@hotmail.com
■ご注文方法
*電子メールまたは電話・ファクシミリにて;
注文枚数/お名前/ご住所/電話・fax番号
をお知らせください。
その上で、下記の口座にお振込みください。
*通信欄に「DVD注文 ○枚」 と明記してください。
(確認の意味で枚数も付記してください。)
*郵便振替口座
口座番号:009907296902
加入者名:イラク署名運動
ドキュメンタリー映画
『ファッルージャからの証言』 DVD版
2005年/イラク/32分/日本語字幕付
制作:アル=キターフ芸術プロダクション
日本語版制作:『ファッルージャからの証言』日本語版制作委員会
★頒価:2500円(資料付)+送料200円(2枚以上は送 料無料)
★5枚以上注文の場合は委託料金扱い:1枚 2000円
★ライブラリー価格:5000円
2004年11月、米軍はイラク中部の町、ファッルージャを包囲攻撃し、数千人にのぼる住民を
虐殺しました。
このドキュメンタリー映画は、包囲下のファッルージャに潜入して撮影された映像と、虐殺
を生き延びた住民たちの目撃証言をもとにした貴重な映像作品です。
この日本語版の売上げの利益は、イラクの「女性の意志委員会」などへのカンパとします。
■DVD版(日本語字 幕付)販売元・問合せ先
イラク・フォーラム事務局
*電話:09092734316
*fax:0666242835
*電子メール:ysige@hotmail.com
■ご注文方法
*電子メールまたは電話・ファクシミリにて;
注文枚数/お名前/ご住所/電話・fax番号
をお知らせください。
その上で、下記の口座にお振込みください。
*通信欄に「DVD注文 ○枚」 と明記してください。
(確認の意味で枚数も付記してください。)
*郵便振替口座
口座番号:009907296902
加入者名:イラク署名運動
2006年01月24日
バスラ石油労働者組合委員長の国際平和会議での声明
イラクのバスラ石油労働者組合の委員長、ハッサン・ジュマー・アワドによる、2005年12月10日ロンドンでストップ・ザ・ウォー連合が開催した国際平和会議での声明。
投稿者:益岡
バスラ石油労働者組合委員長の国際平和会議での声明
ハッサン・ジュマー・アワド
2006年1月11日
ZNet 原文
慈悲深く哀れみ深い神の御名において、
友人、反戦活動家、哀れみ深いみなさん、
戦争に反対し平和を提唱するこの会議に参加すべく招待してくださったことに感謝の意を表明したいと思います。みなさんもご存じの通り、イラク占領は、現在の国際情勢において最も重要な問題の一つです。このような会議は、世界の人々に、占領軍の最近の軍事行動の展開について知らせるために重要かつきわめて有用だと思います。ご存じのように、私たちは、邪悪な者たちが支配を追求し、権利と財産を強奪するような世界に暮らしています。世界全体に平和が広まるために、私たちは悪の力に対抗してしっかりと立ち、抗議の声を一つにして連帯を実践しなくてはなりません。というのも、悪の力を恐れさせるのは、人々の団結だからです。そのために、私はみなさんにイラク労働者、とりわけ石油労働者アメリカとその連合軍が代表する悪の力を抵抗により悩ませていますからの挨拶を伝えに来ました。労働者たちは占領軍に反対し続けて抵抗し、石油施設に占領軍が近づくのを阻止し、また外国企業に反対し続けています。石油労働者は、占領が始まって2カ月後にアメリカ合州国がつれてきた外国の独占企業に足止めをくらわせることでこれら企業に抵抗しています。これらの企業は米国の戦車の保護を受けています。けれども、私たちの組合が最初にした行動は、KBR[ハリバートン]を私たちの油田地帯から追放することでした。こうして、イラク労働者は悪の力に対して勝利を勝ち取ったのです。
友人のみなさん、
私たちの組合は、占領軍がバグダードに到達してから11日後に再構成されました。2003年4月20日のことで、多数の活動家がこの任イラクに広まっていた混沌と治安の不安定化の中できわめて困難なものでしたにあたりました。組合の再構成の主な目的はよく知られています。第一に、イラクの国家行政がアメリカ合州国の支配下に落ちた中で労働組合員の主張を確保すること、第二に、アメリカの目的がイラクの石油を支配することにあることは十分知っていたので、石油部門の生産メカニズムを守ることでした。これらの理由から、組合は石油部門で再構成されたのですというのも、私たちはアメリカの意図を知っており、イラクに対する戦争を始めた主な目的の一つは石油にあると知っていたからです。
兄弟姉妹のみなさん、みなさんもご存じのように、イラクの石油資源は世界第二の規模で、だからこそ、二つの川の流れる地に対して戦争が仕掛けられたのです。私たちの愛するイラクに対してアメリカとその同盟者たちが仕掛けた悪辣な攻撃について少しお話することをお許しください。世界に向けて示された戦争の理由は、当初、イラクが大量破壊兵器を所有しているというものでした犯罪者ブッシュは意図的に1991年からそうした兵器を探してイラクの南北をかけまわりながらまったく見つけることができなかった[国連]査察委員会の存在を無視しました。第二に唱えられた理由はテロリズムに対する戦争でした。けれども、ブッシュと米国政府は、テロリズムがどこを拠点としているかきわめてよくしっていたのです。ですから、それらがイラクに対する戦争を仕掛けた理由ではありません。理由は、私が述べたようなものであり、さらに付け加えれば、主な理由のもう一つは、イラクがイスラエルの治安にとって大きな脅威となっていたからです。私たちそしてここにいるみなさんも、アメリカ合州国の本当の意図を知っています。アメリカは自分の利益のために世界全体をよろこんで破壊する準備ができており、その利益は、イラクの石油を支配し、その富を自ら自由に使うことに依存しているのです。
兄弟姉妹のみなさん、私たちは、この戦争の目的をはっきり知っており、軍事占領がそれに続く経済占領のための第一段階であることを知っています。アメリカはイラクのインフラを破壊しましたアメリカは学校を破壊し、大学を破壊し、病院を破壊し、工場を破壊し、人権を侵害しています。人権侵害の中には、暫定統治法[米国総督ポール・ブレマーが発布したTAL]による、労働組合その他の組織の結成の禁止があります。アメリカ合州国と英国の政治家たちは、イラクに民主主義を構築しようとしていると主張しています。イラクは独裁政権だったため、民主主義がなかったからです。けれども、残念ながら、彼らが言うところのいわゆる「民主主義」は、米軍や英軍が通りかかったときには殺されるのを恐れてイラク市民が立ち止まらなくてはならないようなものです。誰もが、彼らが言うところのいわゆる「民主主義」がこのようなものであることを知っています。暫定行政当局の法律は、デモを法により罰すべき犯罪としました。
私たちの経験では、アメリカ合州国はいかなる意味でも誠実でありません。繰り返し、彼らは治安責任はイラク人に委譲されたと宣言しますが、そのたびごとに私たちは占領軍が至る所を練り歩いているのを目にします。私たちは、ある程度安定して安全な場所に定期的に危機を意図的に作り出すと思っています。誰にとっても明らかなように、その理由は、占領軍の駐留延長を正当化することにあります。安定と安全が広まるならば、占領軍は立ち去らなくてはならなくなるからです。けれども、アメリカは今このときに撤退したがってはいません。作戦を完了していないからです。占領の第二段階であるイラクの経済的な占領を達成していないからです。だからこそ、米国政府は現在、石油と製造部門の私有化と生産共有合意[PSA]計画を含む経済計画を推進しようとしているのです。
ここから、私は、私たちの労働組合の立場を明確にしたいと思います。これは、イラクの人々にも知らせてあるものです。
1. 占領軍は、即時無条件にイラクを撤退しなくてはならない。
2. 私たちは、イラクの人々の安全と権利に悪質名手を加えようとするあらゆる者に断固とした決意をもって反対する。
3. イラクの人々に対するテロリスト攻撃を非難し、人権尊重の重要性を強調する。
4. 外国の軍隊を標的として攻撃し、占領者を追放しようと試みる名誉あるレジスタンスを支持する。
5. 私たちは[石油部門における]外国企業の侵略を許さず、生産共有合意を認めない。また私たちは、全力をあげて、ハリバートンやKBR、シェル社等々に反対する。
6. 私たちは、私営化とPSAに反対する私たち労働組合を支援するよう、愛国的な勢力と反戦運動と平和を愛する人々にお願いする。
7. 私たちは、イラクの[対外]債務の無条件取り消しを求める。これらの債務はイラクの人々をまったく利することなく、前政権を利しただけだからである。
最後に、みなさんの幸運と成功をお祈りし、世界の自由な市民すべてにとってのワークショップとなっているような自由で民主的で団結したイラクでみなさんにお会いすることを待ち望むことにします。もう一度、この会議の主催者に感謝を表明します。
平和と神の慈悲と祝福がみなさんに訪れますよう。
投稿者:益岡
2006年01月21日
世銀とIMFの対イラク計画をめぐるイラク労働組合共同声明
世銀とIMFによる、イラクの人々を無視した恣意的な政策のごり押しに対して、イラクの様々な労働組合が共同で発表した声明。
投稿者:益岡
世銀とIMFの対イラク計画をめぐるイラク労働組合共同声明
2006年1月17日
イラク諸労働組合
Electronic Iraq 原文
イラク経済は、数十年におよぶ経済制裁、戦争と占領により大きな打撃を受けてきました。イラクの様々な労働組合と労働組合連合は、イラクが有する石油と鉱物資源をもってすれば、イラクの人々に一定の生活水準を提供する力がイラクにはあると信じています。
連合と組合は、戦争と占領により、イラクの人々とりわけ労働者の生活水準と社会水準が劇的に悪化したと考えています。
連合と組合は、石油と天然ガスがイラクの完全な主権のもとに置かれることが重要であることを強調します。それにより、イラクの完全な再建を確実なものとするためにそれらを開発することができるからです。私たちは、イラクにおけるIMFと世銀の政策に関して、以下の点を強調したいと思います。
(1) IFI(国際金融諸組織)の意志決定における透明性を高め、イラク人代表を増加させること。
(2) 貸付に対して構造調整の条件を課すことをやめること。
(3) 公共サービスと国有企業に対し、私有化を求めずに資金を提供することに合意すること。
(4) 旧政権の政策により発生したイラクの債務を帳消しにすること。
(5) 社会サービスに対する支出の削減を拒否すること。とりわけ、食糧配給システムに対する政府支援の撤廃と対象物資品目の削減を拒否すること。
(6) 公有部門の私有化、とりわけ、石油、教育、保健、電力、交通運輸、建築部門の私有化を強く拒否すること。
(7) イラク人の生活水準に負の影響を与えることを考慮し、石油製品価格の引き上げを拒否すること。
(8) 労働者の諸権利を確保し、国際的な労働水準と人権諸条約に合致するような、新たな労働法と年金・社会保健法を採用すること。世銀とIMFもまたこれらの基準を遵守しなくてはならない。
この声明に署名した労働組合と組合連合は、イラク政府とIFIにその立場を知らしめるために、常設の調整委員会を設置したことを発表します。組合と連合はまた、IFIに、イラクにおける政策をめぐって、労働組合連合との対話、議論、交渉に参加するよう求めます。
最後に、組合と連合は、国際的な労働組合組織が、上述の要求をめぐり可能なすべての支援を与えるよう求めます。
[署名]
イラク労働者総連合
イラク/バスラ石油労働組合連合
イラク労働者評議会・労働組合連合
クルディスタン労働組合連合/Erbil
イラク・クルディスタン労働組合
アンマンにて、2006年1月16日
投稿者:益岡
2006年01月18日
バグダードのレコード屋さん/通訳者へのオビチュアリー
経済制裁下も戦争中も,バグダードには「音楽」があった。それも私が東京で聞いてたのと変わらないようなのが。
2002年の9月に開始されたSalam Paxのウェブログを私が知ったのは,確か2002年の11月か12月だったけれども,イラクについて,またバグダードについて何も知らない私は,彼が頻繁に英国などのバンドの名前に言及するのを見て,「なんだ,普通じゃん」と驚いたりしていた――この,「『普通』だと『驚く』」という状態のおかしさを嘲笑していただければと思う。
※Salam Paxのウェブログは谷崎ケイさんの翻訳で書籍化されています。→『サラーム・パックス――バグダッドからの日記』(ソニーマガジンズ,2003年)
が,彼が「普通」っぽく書いている彼のウェブログは実は「普通」ではなく(第一,同じ母語を共有する友人との交換日記みたいなウェブログが,母語ではない言語で書かれているという段階から「普通」ではない――それは,当時blogger.comは1バイト文字しか使えなかったからなのだが),彼は「ごく普通のイラク人」ではなかったのだが(欧州に住んでいた経験が,アイデンティティ・クライシスに陥るくらいたっぷりある,など),少なくともバグダードには,Aphex Twinとかビョークとかいった音が入っているということは確かなことだった。
その「普通」っぷりが,無知な私には衝撃だった。
Salam PaxがCDを持っていたのか,ネットで聞いていたのか,ダウンロードしていたのか,あるいは衛星テレビやラジオで聞いていたのかわからなかったけれど,「・・・Aphex Twinかよ」と思ったとき,少なくともモニタの前の私にとって,距離が一気に縮まったことは確かだ。私の手の届くところに置いてあるCDのケースに入っている,あの眼球振動みたいな音を思い出しながら。
昨年6月にElectronic Iraqに掲載されていた記事に,METALLICAと書かれた壁の前の2人の青年の写真を添えた記事があった。シャギーとスクービーというこの2人の青年の部屋は,「メタリカだのエミネムだのといった落書きで飾り立てられ」ているのだそうだが,メタリカだのエミネムだのという文字列を,壁に書くだけではあるまい。つまり,どっからか彼らは,それらアメリカの音を手に入れていたはずだ。
通じている窓口がある――そのことは,Aphex Twinやエミネムが当たり前にある英語圏の人たちにとってよりも,そういった音楽が「洋楽」として別立てになってるうちらにとっての方が,その意味するところがよりはっきりわかることだ。そういった音楽は,求めようとすれば自分から意識的に動かねばならない何かなのだけれども,その「窓口」からは確実に流れ込んでくる。
バグダードのRiverbendのウェブログ,2006年1月12日の記事に,そういった「窓口」のひとつについて説明がある。
原文:Riverbendのウェブログ,2006年1月12日の記事
「西洋化された日本人」で音楽好きなら,こういう状況は非常によくわかるだろう。例えば西新宿とかにいくつも点在する小さな輸入レコード店に行けば(タワレコとかじゃなくて),客がカウンターに張り付いて店員にあれこれ聞いているという光景は,よくある。で,何度か通ってるうちに店員と顔なじみになって,「最近こんなの入ったんッスけど,聴いてみます?」なんて聴かせてもらったりする。「今回入荷分のイチオシ」みたいなのがあったり,どこそこのどのシーンでは今どれが熱いとかいう情報があったり,何ていうか,レコ屋がただの物の売り買いの場というだけでなくなってたりもする。
東京だけじゃない。大阪にも名古屋にもロンドンにもノッティンガムにもマンチェスターにもシアトルにもサンフランシスコにもDCにもニューヨークにも,こういう場はある。
そういう場が,経済制裁下のイラクのバグダードに,小規模(で,しかもブート屋)ながら,あった。多分いくつかあったことだろう。そしてそのひとつが,Riverbendが通ってたアランの店だった。
Riverbendの記事(原文)の続き:
Riverbendはこのあと,アランが好きなピンク・フロイドのGoodbye Blue Skyの歌詞を引用している(アルバム"The Wall"収録。これは基本的に「人」と「人」との「間」の可能性と不可能性についての作品)。
いいねぇ,アラン。新宿レコード屋街に連れて行きたいねぇ。で,家電量販店のテレビ売り場あたりで日本の「ボーイズバンド」が偶然目に入るのだ。V6とか嵐とかKATTUNとか。
不可能だが。
この「アランのメロディ」という名前の店のフレンドリーなおにいちゃんは,米国のCSM(Christian Science Monitor)紙記者のJill Carrollの通訳担当として,彼女の取材に同行していた。1月8日,記者と通訳者はバグダード西部で何者かに襲撃された。記者は拉致された。通訳者は銃で撃たれて死んだ。Riverbendが聞いたところでは,即死ではなく,警察の聴取を受けて,それから死んだという。
BBC記事から,事件の説明の部分を引用:
このニュースを知り,Riverbendは2日間泣いていたとウェブログに書いている。
私はRiverbendのウェブログでこれを読んでから2日間かけて「知ってしまったこと」をどう消化しようかと考えていた。それからまた2日間かけて,何とか形にしようとしていた。
形にしなければ伝えられない。
しかし,文字にするとあまりに軽くなってしまう,あまりにも悲しい,「通訳者」の死。
アランが殺されたことが,彼が「通訳者」だったことと関係がないとは,私には考えられない。
そして,アランがあちらとこちらの間に橋を架けることをしてきた人であるということが,私にはあまりにも悲しい。
どうしてこの人は「通訳」をするようになったんだろう。“洋楽”が好きで歌詞とか知りたくて,そっから英語を知ったんだろうか。あるいは高校や大学で一生懸命勉強したんだろうか。その両方とか,あるいは他に何か要因があったんだろうか。Salam Paxのように,かつて欧州に住んでいたとか?
いずれにしても,最初に英語の読み書きと会話ができるようになったとき,彼は,自分が越境するためにその知識と技術を習得したに違いない。
英国のマイケル・ウィンターボトムっていう映画作家の作品にIn This Worldっていうのがある(リンク先ではDVDの抜粋の視聴可能)。クエッタの市場で商売をするために英語を使えるようにした少年が,従兄が密かに英国に行く計画をしたときに「あんたは英語ができない。だから俺がついていく」って口実で,ちゃっかり自分も「この世界」から出てしまう。
アランもきっと,「この世界」からどこかに出るために英語を使えるようにして(あるいは,英語が使えるようになって),その結果,彼自身が「この世界」から出ただけではなく,他の人たちが「この世界」から「あの世界」に行く窓口になってたんじゃなかろうか。
このことは忘れずにいたいと思う。
Will the wind ever remember
The names it has blown in the past?
Jimi Hendrix, The Wind Cries Mary (1967)
Riverbendは「2日間泣いていた」と書いているが,喪失はそれをはるかに上回るものであるに違いない。常のごとくかっちりと書かれた文章の向こうにある彼女の喪失感は,書くという作業によって少しはおさまりのよい場所に落ち着くだろうか。そうであることを私は願うのみである。(喪失は,埋めることはできない。喪失感は,それはそれとして,場所を見つけてやらねばならない。)
And it's true we are immune
When fact is fiction and tv reality
And today the millions cry
We eat and drink while tomorrow they die
U2, Sunday Bloody Sunday (1983)
Black and blue
And who knows which is which and who is who.
Up and down.
But in the end it's only round and round.
Pink Floyd, Us and Them (1973)
草稿作成日:1月13日
Riverbendのこの文は,バグダード・バーニング 日本語版や,細井明美さんのブログで,全文が翻訳されています。
投稿者:いけだ
2002年の9月に開始されたSalam Paxのウェブログを私が知ったのは,確か2002年の11月か12月だったけれども,イラクについて,またバグダードについて何も知らない私は,彼が頻繁に英国などのバンドの名前に言及するのを見て,「なんだ,普通じゃん」と驚いたりしていた――この,「『普通』だと『驚く』」という状態のおかしさを嘲笑していただければと思う。
※Salam Paxのウェブログは谷崎ケイさんの翻訳で書籍化されています。→『サラーム・パックス――バグダッドからの日記』(ソニーマガジンズ,2003年)
が,彼が「普通」っぽく書いている彼のウェブログは実は「普通」ではなく(第一,同じ母語を共有する友人との交換日記みたいなウェブログが,母語ではない言語で書かれているという段階から「普通」ではない――それは,当時blogger.comは1バイト文字しか使えなかったからなのだが),彼は「ごく普通のイラク人」ではなかったのだが(欧州に住んでいた経験が,アイデンティティ・クライシスに陥るくらいたっぷりある,など),少なくともバグダードには,Aphex Twinとかビョークとかいった音が入っているということは確かなことだった。
その「普通」っぷりが,無知な私には衝撃だった。
Salam PaxがCDを持っていたのか,ネットで聞いていたのか,ダウンロードしていたのか,あるいは衛星テレビやラジオで聞いていたのかわからなかったけれど,「・・・Aphex Twinかよ」と思ったとき,少なくともモニタの前の私にとって,距離が一気に縮まったことは確かだ。私の手の届くところに置いてあるCDのケースに入っている,あの眼球振動みたいな音を思い出しながら。
昨年6月にElectronic Iraqに掲載されていた記事に,METALLICAと書かれた壁の前の2人の青年の写真を添えた記事があった。シャギーとスクービーというこの2人の青年の部屋は,「メタリカだのエミネムだのといった落書きで飾り立てられ」ているのだそうだが,メタリカだのエミネムだのという文字列を,壁に書くだけではあるまい。つまり,どっからか彼らは,それらアメリカの音を手に入れていたはずだ。
通じている窓口がある――そのことは,Aphex Twinやエミネムが当たり前にある英語圏の人たちにとってよりも,そういった音楽が「洋楽」として別立てになってるうちらにとっての方が,その意味するところがよりはっきりわかることだ。そういった音楽は,求めようとすれば自分から意識的に動かねばならない何かなのだけれども,その「窓口」からは確実に流れ込んでくる。
バグダードのRiverbendのウェブログ,2006年1月12日の記事に,そういった「窓口」のひとつについて説明がある。
原文:Riverbendのウェブログ,2006年1月12日の記事
〈ここまで略〉
みなが彼のことを単に「アラン」,つまりイラクのアラビア語で言えば「エリン」と呼んでいた。戦争の前,彼はバグダードのアラサット地区でレコード店をやっていた。アラブの音楽や器楽曲なんかも少しは置いていたけれど,彼の店には常連客が――外国の音楽が大好きな,西洋化されたイラク人たちがいた。ロックやお子ちゃま向けじゃないオルタナティヴ,ジャズなどを聴いている私たちにとっては,彼のところほどのレコード店はなかった。
彼はブートCDやカセットテープ,DVDを売っていた。彼の店はただのレコード店ではなかった。避難場所だった。ここにある音楽がどんだけ現実とは違うどっかに連れてってくれることになるんだろうとドキドキしながら,CDやテープを持って彼の店を後にするあのときのあの気持ちは,ほかでは感じがたいものだった。彼の店にはアバからマリリン・マンソンまで何でもあった。ほんとうに何でも出してくれた。店に行って,「ねぇアラン,ラジオですっごいいい曲がかかってたんだけど,探してよ」って言うだけで,誰が歌ってた? わかんないのか,そっかー,で,男だった? 女だった? うーん,そっかー,じゃあ歌詞はどうよ?・・・なんてこっちに付き合ってくれて,そしてたいがいは私の知りたいその曲を彼は前に聴いたことがあって,歌詞もちょっと知ってたりした。
経済制裁の間,イラクは事実上,外部の世界から隔絶されていた。地域のテレビ局は4局か5局あったと思うけど,インターネットが一般的になってきたのはもっと後の時代のことだ。(経済制裁のころ)アランは外部の世界とこっちをつなぐリンクのひとつだった。アランの店に入っていくことは,一瞬しか存在しない外部世界に入っていくことのようなもので,店に入っていけば必ずすごくいい音楽ががんがんかかってて,彼と店員のムハンマドは,ジョー・サトリアーニとスティーヴ・ヴァイのどっちがすごいか,なんてことで熱くなってたりした。
彼は店のドアのそばに最新のビルボードのヒットチャートを書いた紙を貼り付けて,自分の好きな曲を何曲か集めて「俺の選曲」のCDを作ったりもしていた。あるいは,自分の趣味とかとは別に,グラミー賞やアメリカン・ミュージック・アウォードやアカデミー賞の授賞式の録音をしていたこともあった。2度彼の店に行けば,3度目までには,この人はこういうのが好きだからということを覚えていて,こんなのも好きなんじゃないかな,という音楽を見つけておいてくれる。
「西洋化された日本人」で音楽好きなら,こういう状況は非常によくわかるだろう。例えば西新宿とかにいくつも点在する小さな輸入レコード店に行けば(タワレコとかじゃなくて),客がカウンターに張り付いて店員にあれこれ聞いているという光景は,よくある。で,何度か通ってるうちに店員と顔なじみになって,「最近こんなの入ったんッスけど,聴いてみます?」なんて聴かせてもらったりする。「今回入荷分のイチオシ」みたいなのがあったり,どこそこのどのシーンでは今どれが熱いとかいう情報があったり,何ていうか,レコ屋がただの物の売り買いの場というだけでなくなってたりもする。
東京だけじゃない。大阪にも名古屋にもロンドンにもノッティンガムにもマンチェスターにもシアトルにもサンフランシスコにもDCにもニューヨークにも,こういう場はある。
そういう場が,経済制裁下のイラクのバグダードに,小規模(で,しかもブート屋)ながら,あった。多分いくつかあったことだろう。そしてそのひとつが,Riverbendが通ってたアランの店だった。
Riverbendの記事(原文)の続き:
彼は電気技師だったけど,本気だったのは音楽だった。彼の夢は音楽のプロデューサーになることだった。ありがちなボーイバンド(インシンクとかバックストリート・ボーイズとか)はクソミソにけなしていたくせに,Unknown to No One(知らない人は誰もいない)というイラクのボーイバンドを,僕が発掘したんだって売り出そうとしてたりした。「いやー,彼らはすごいよ,ほんとマジで才能あるんだって」と彼は言ったものだ。私の弟のEが「えー,ダメダメじゃん」と言うと,アランは,いつものごとくイラク人らしく胸を張って,そのボーイバンドがいかにすごいかについて滔々と語るのだ――だってこの子たちはイラク人なんだから,と。
彼はバスラ出身のクリスチャンで,彼のことを深く愛しているかわいい奥さんがいた――Fさんという。私たちは,アランってば結婚して家族とか持っちゃたら音楽なんかどうでもよくなるんじゃないの〜,なんて彼をいじめたものだ。そんなことにはならなかった。ピンク・フロイドやジミ・ヘンドリクスについてのアランとの会話はその後も続いた。でも話の中には奥さんのFや娘さんのM,小さい坊やが出てくるようになった。今,奥さんや子供たちのことを思うと,胸が痛みます・・・。
店に入っていくと,カウンターがお留守になってることもあった。みんな別の部屋でプレステでFIFAワールド・サッカー(ゲーム)をやってたりするわけだ。このヴァージョンじゃなければあのヴァージョンって感じで。彼は古いレコード,つまり「アナログ盤」も集めていた。古ければ古いほどよいものであるっていってね。音楽関連の新しいテクノロジーをどんどん取り入れる一方で,彼はいつも,ヴィンテージのアナログ盤の音質に敵うものはないよ,と言っていた。
アランの店に行くのはただ音楽を買うためだけじゃなかった。行けば必ず友だちのところに遊びに行ったようになり,まあ座んなよとか,最近これがきてると思うんだけどどうよとか,何か飲む?とかいうふうになるのだ。その次は今一番話題の噂話――そういうのを彼は何でも知っていた。今一番いけてるパーティはどこでやってるとか,一番いいDJは誰だとか,誰が結婚したとか離婚したとか。地元ネタも知ってたし,外国のゴシップも知っていた。でもアランがそういう話をするとき,悪意はまったくなくって,いつもおもしろおかしくあははと笑っていられた。
そして何より,アランは絶対に他人をがっかりさせない人だった。絶対に。その人が求めているものが何であれ,それを手に入れるために彼は最大限がんばる人だった。友達になると,音楽でつながってるだけじゃなく,困っているときにはいつでもすっと手を貸してくれた――アドバイスをしてくれたり,あるいは,あれこれあってほんとに大変な1週間の後,こっちの言うことにじっと耳を傾けてくれたりも。
戦争の後,彼の店があったアラサット地区はひどいことになってしまった。自動車爆弾や銃撃戦が頻発し,バドル旅団があの地域の家を何軒か占拠してしまった。あまりに危険になってしまい,人々がアラサット地区に足を向ける頻度も激減してしまった。彼の店は営業していることより閉店していることの方が多くなった。そして,殺すぞと脅迫されて店の窓から手榴弾を投げ込まれた後,完全に店じまいしてしまった。あるとき車がカージャクに遭って彼をめがけて銃弾が撃ち込まれ,それから彼は,お父さんのトヨタのクレシダに乗るようになった。ボロボロのポンコツで,後部の窓にシスタニの写真を貼り付けてあった。「宗教バカを寄せ付けないようにね」と彼はウィンクしてニヤっと笑った。
戦争の後,彼が店を閉めてしまう前に,弟と私は店に寄ったことがあった。電気もなく発電機もなく,店の中は石油か何かのランプがともったきりで薄暗く,アランはカウンターの向こうに座ってCDの整理をしていた。私たちの顔を見ると彼はものすごく喜んでくれた。(電気がないから)音楽をかけるなんてことができるわけもなく,彼と弟はふたりの好きな曲を何曲か,ときどき歌詞でつっかえては適当にでっち上げつつ,通して歌った。それからあれこれ着メロを聴いたり,今日最も話題のジョークを教えあったりした。ふと気づくと2時間が経過し,店の外の世界のことなどすっかり忘れていた。ときどき聞こえる爆発が,私たちを現実に引き戻した。
アランの店が避難場所――問題や悩みを忘れられる場所――だったのは,音楽があるからではなく,アラン自身がそこにいてくれるからなんだ,ということが,そのとき私にはっきりわかった。
Riverbendはこのあと,アランが好きなピンク・フロイドのGoodbye Blue Skyの歌詞を引用している(アルバム"The Wall"収録。これは基本的に「人」と「人」との「間」の可能性と不可能性についての作品)。
いいねぇ,アラン。新宿レコード屋街に連れて行きたいねぇ。で,家電量販店のテレビ売り場あたりで日本の「ボーイズバンド」が偶然目に入るのだ。V6とか嵐とかKATTUNとか。
不可能だが。
この「アランのメロディ」という名前の店のフレンドリーなおにいちゃんは,米国のCSM(Christian Science Monitor)紙記者のJill Carrollの通訳担当として,彼女の取材に同行していた。1月8日,記者と通訳者はバグダード西部で何者かに襲撃された。記者は拉致された。通訳者は銃で撃たれて死んだ。Riverbendが聞いたところでは,即死ではなく,警察の聴取を受けて,それから死んだという。
BBC記事から,事件の説明の部分を引用:
She and her translator were on their way to meet Adnan al Dulaimi, the head of a prominent Sunni coalition, when they were ambushed.
The newspaper quotes the journalist's driver, who survived the attack, saying gunmen stopped the car, dragged him out and drove off with Ms Carroll and her translator.
The body of the interpreter was recovered that day, along with identity papers. He has been named by the newspaper as Allan Enwiyah, 32.
Noone has claimed responsibility for the abduction.
ジル・キャロルと通訳者はスンニ派連合のアドナン・アル=ドゥレイミ氏に会いに行く途中で襲われた。CMSは,襲撃されたが命に別状はなかった車の運転手の話として,銃を持った男たちが車を止め,3人は引きずり出された,としている。
通訳者の遺体は身元を示す書類とともにその日のうちに発見された。CMSによれば,死亡した通訳はアラン・エンウィヤーさん(32歳)。
拉致の犯行声明はまだ誰からも出ていない。
このニュースを知り,Riverbendは2日間泣いていたとウェブログに書いている。
私はRiverbendのウェブログでこれを読んでから2日間かけて「知ってしまったこと」をどう消化しようかと考えていた。それからまた2日間かけて,何とか形にしようとしていた。
形にしなければ伝えられない。
しかし,文字にするとあまりに軽くなってしまう,あまりにも悲しい,「通訳者」の死。
アランが殺されたことが,彼が「通訳者」だったことと関係がないとは,私には考えられない。
そして,アランがあちらとこちらの間に橋を架けることをしてきた人であるということが,私にはあまりにも悲しい。
どうしてこの人は「通訳」をするようになったんだろう。“洋楽”が好きで歌詞とか知りたくて,そっから英語を知ったんだろうか。あるいは高校や大学で一生懸命勉強したんだろうか。その両方とか,あるいは他に何か要因があったんだろうか。Salam Paxのように,かつて欧州に住んでいたとか?
いずれにしても,最初に英語の読み書きと会話ができるようになったとき,彼は,自分が越境するためにその知識と技術を習得したに違いない。
英国のマイケル・ウィンターボトムっていう映画作家の作品にIn This Worldっていうのがある(リンク先ではDVDの抜粋の視聴可能)。クエッタの市場で商売をするために英語を使えるようにした少年が,従兄が密かに英国に行く計画をしたときに「あんたは英語ができない。だから俺がついていく」って口実で,ちゃっかり自分も「この世界」から出てしまう。
アランもきっと,「この世界」からどこかに出るために英語を使えるようにして(あるいは,英語が使えるようになって),その結果,彼自身が「この世界」から出ただけではなく,他の人たちが「この世界」から「あの世界」に行く窓口になってたんじゃなかろうか。
このことは忘れずにいたいと思う。
Will the wind ever remember
The names it has blown in the past?
Jimi Hendrix, The Wind Cries Mary (1967)
Riverbendは「2日間泣いていた」と書いているが,喪失はそれをはるかに上回るものであるに違いない。常のごとくかっちりと書かれた文章の向こうにある彼女の喪失感は,書くという作業によって少しはおさまりのよい場所に落ち着くだろうか。そうであることを私は願うのみである。(喪失は,埋めることはできない。喪失感は,それはそれとして,場所を見つけてやらねばならない。)
And it's true we are immune
When fact is fiction and tv reality
And today the millions cry
We eat and drink while tomorrow they die
U2, Sunday Bloody Sunday (1983)
Black and blue
And who knows which is which and who is who.
Up and down.
But in the end it's only round and round.
Pink Floyd, Us and Them (1973)
草稿作成日:1月13日
Riverbendのこの文は,バグダード・バーニング 日本語版や,細井明美さんのブログで,全文が翻訳されています。
投稿者:いけだ
自宅に踏み込まれ,逮捕され,取材テープを押収されたイラク人ジャーナリスト
1月8日,医師でジャーナリストのAli Fadhilさんの自宅が米軍の強制捜査を受け,Fadhilさんが逮捕され,取材テープが押収された,という報道があった(英ガーディアン,1月9日)。
http://media.guardian.co.uk/site/story/0,14173,1682208,00.html
今回強制捜査を受け一時的に身柄を拘束された上,取材テープを押収されたアリ・ファディルさんは,2004年11月のファルージャ攻撃の直後にファルージャに入り,その取材を1本の報道フィルムにまとめた医師/ジャーナリストだ。このフィルムは,2005年1月に英チャンネル4で放映された。
→そのときの当ウェブログ記事と,フィルムの概要(@いけだの個人サイト)と,フィルムからの画像(@ガーディアン)。
※このときにガーディアンに出た記事は,そのときは日本語にする作業まではできなかったのだけど,今から数ヶ月前にようやく日本語にしたので,後でアップロードします。(9割できたところで止まっている。)
逮捕されたときに押収されたテープは,ファルージャのフィルムと同じ制作会社&テレビ局のために制作していた番組のための取材テープ。資金関連の取材だったという。
米軍が踏み込んできたとき,ファディルさんは妻子と一緒に眠っていた。そのときの様子を彼は「米軍は私たちが寝ている部屋の中へと(into)発砲した。兵士が3人入ってきて私を床の上に転がし,両手を縛った。何を探しているのかと尋ねようとしたら,ただ『黙れ』と言われた」と語っている。Fadhilさんは数時間後に釈放されたが,押収されたテープは返却されていない。
1月9日のガーディアン記事より(原文の下に対訳):
以下は,強制捜査と逮捕のことを書いたファディルさんの記事@ガーディアン(1月11日)。
The night the Americans came
Ali Fadhil
Wednesday January 11, 2006
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1683741,00.html
こういうとき,何て思ったらいいんですかね? 「ご本人とご家族がご無事でよかったです」? 「番組,期待してるので制作がんばってください」?
パキスタンでアルカーイダ幹部を標的としたはずの米軍の攻撃で,関係のない村人18人が殺されたなどということもありましたが(BBC記事),2003年にムチャクチャだと思ったことが,2006年にはなくなるどころか,ノーマルなものになってきています。
1月11日と12日には,英軍の高級将校(Brigadier)が,米軍の雑誌『ミリタリー・レビュー』において,「米軍には制度的に人種差別がある」と批判したという記事がメディアにたくさん出ました。以下は英メディアのものだけですが,オーストラリアでも米国でも多くの記事が見つかります(Google Newsによる)。
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1684561,00.html
http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2006/01/12/...
http://www.timesonline.co.uk/article/0,,73741981557,00.html
http://news.scotsman.com/uk.cfm?id=53212006
http://www.mirror.co.uk/news/tm_objectid=16575969...
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/story.jsp?story=675587
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4603136.stm
一例として,タイムズの記事に次のような記述があります。
General Sir Mike Jacksonは,1972年1月30日のデリー(ロンドンデリー)での「ブラッディ・サンデー」事件のとき,現場にいた英軍部隊の高官でした。あのときいかに英軍兵士がracistな言辞を吐いていたかは証言録にも残っています。皮肉なことです。
米軍からは,英軍に対して「大して変わらない」という反論があるようです。(米TIMEなど)
http://www.uruknet.info/?p=m19604&l=i&size=1&hd=0
http://www.eveningecho.ie/news/bstory.asp?j=11003246&p=yyxx3z9z&n=11003334
※なお,このAli Fadhilさんは,以前ウェブログIraq the Modelに書いていた兄弟のひとりで,今はFree Iraqiで書いているAli Fadhilさんとは同名の別人です。名前ばかりか「バグダード在住の医師」というところまで同じなので,Iraq the ModelのAliさんも「珍しいこともあるもんだ」とか書いてたような気がします。
投稿者:いけだ
http://media.guardian.co.uk/site/story/0,14173,1682208,00.html
今回強制捜査を受け一時的に身柄を拘束された上,取材テープを押収されたアリ・ファディルさんは,2004年11月のファルージャ攻撃の直後にファルージャに入り,その取材を1本の報道フィルムにまとめた医師/ジャーナリストだ。このフィルムは,2005年1月に英チャンネル4で放映された。
→そのときの当ウェブログ記事と,フィルムの概要(@いけだの個人サイト)と,フィルムからの画像(@ガーディアン)。
※このときにガーディアンに出た記事は,そのときは日本語にする作業まではできなかったのだけど,今から数ヶ月前にようやく日本語にしたので,後でアップロードします。(9割できたところで止まっている。)
逮捕されたときに押収されたテープは,ファルージャのフィルムと同じ制作会社&テレビ局のために制作していた番組のための取材テープ。資金関連の取材だったという。
米軍が踏み込んできたとき,ファディルさんは妻子と一緒に眠っていた。そのときの様子を彼は「米軍は私たちが寝ている部屋の中へと(into)発砲した。兵士が3人入ってきて私を床の上に転がし,両手を縛った。何を探しているのかと尋ねようとしたら,ただ『黙れ』と言われた」と語っている。Fadhilさんは数時間後に釈放されたが,押収されたテープは返却されていない。
1月9日のガーディアン記事より(原文の下に対訳):
Dr Fadhil is working with Guardian Films on an investigation for Channel 4's Dispatches programme into claims that tens of millions of dollars worth of Iraqi funds held by the Americans and British have been misused or misappropriated.
The troops told Dr Fadhil that they were looking for an Iraqi insurgent and seized video tapes he had shot for the programme. These have not yet been returned.
The director of the film, Callum Macrae, said yesterday: "The timing and nature of this raid is extremely disturbing. It is only a few days since we first approached the US authorities and told them Ali was doing this investigation, and asked them then to grant him an interview about our findings.
"We need a convincing assurance from the American authorities that this terrifying experience was not harassment and a crude attempt to discourage Ali's investigation."
ファディル氏はガーディアン・フィルム制作のチャンネル4の番組Dispatchesに関わっている。米英が押さえている数千万ドル相当のイラクの資金の使途が誤ったものだったとか流用されたとかいった話について,調査を行なっていたのである。
米軍はファディル氏に対し,イラク人反乱者を捜索中だと告げ,当該の番組のために彼が撮影したビデオテープを押収した。テープはまだ返却されていない。
このフィルムのディレクターであるカラム・マクレーは昨日,次のように語っている。「今回の強制捜査はタイミングといいその性質といい非常に気がかりなものです。私たちが米当局に連絡をし,アリがこの調査を行なっていると告げ,発見したことについてインタビューをする許可をとお願いしてからほんの数日で行なわれたものですから。米当局から,今回の恐ろしい経験はいやがらせではなく,アリの調査を断念させようとしたわけでもないということを,はっきりとした形で保証してもらわなくてはなりません。」
以下は,強制捜査と逮捕のことを書いたファディルさんの記事@ガーディアン(1月11日)。
The night the Americans came
Ali Fadhil
Wednesday January 11, 2006
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1683741,00.html
【大意】
先週末,米軍特殊タスクフォースが私の自宅を強制捜索した。この2年半の間にインタビューしたイラク人たちから何度も聞かされていた通りの,恐ろしい経験だった。妻のジーナは,まるでハリウッドのアクション映画の一場面のようだと言った。
土曜日の深夜12時半だった。うちには3箇所入り口があるが,その3枚のドアが爆発物で吹き飛ばされた。爆弾だと思った。しかし,寝室のドアにライフルが覗くや,数発でたらめに打ち込んだ。そしてうちの寝室は,米兵の立てる騒々しい音で満たされた。
3歳になる娘がおびえて目を覚まし,私に体を押し付けて「パパ! アメリカ人だよ! パパ,連れてかれちゃう! やだ,やめて」と叫んだ。娘は米兵に何か言おうとしたが,泣いてしまって言葉にならなかった。米兵に何も言えない娘は私にやだやだと言った。娘を落ち着かせようとしたところ,私は米兵に組み伏せられ,縛られた。
米兵らはそれから私を階下に連れてゆき,居間に座らせ,うちにあった家具をすべて粉砕した。家の中には20名ほどの兵士がおり,屋根には警備のために数名がいた。青い目をした大尉が私のハンディカムを持ってきて,攻撃的な調子で「この映像がなぜおまえのところにあるのか,説明してもらいたい」と言った。
「チャンネル4の番組を制作しているので。悪意からのものではありません」と私は説明した。
しかし相手はそれでは満足しなかった。大尉は非常に重要な証拠を見つけたと思っているようだった。フードをかぶせられ手を縛られて,私は装甲車両に連行された。
どこかに連れて行かれたが,どこなのかはわからない。車の中でずっと,占領が始まってからのこの2年どんなことが起きたかと思い出していた。こういうことが起きていると,それはもう何度も聞いていたのだ。自分でそういう目にあい,私もまた恥と屈辱を感じていた。西部のスンニ派が抵抗は正当なものだと考える理由となっているのは,こういった種類の,他人の家のプライバシーの軽視なのだ。部族社会の人々はこういうことはひどい侮辱であるとみなしている。
ようやく目的地に到着すると,2メートル四方の小さな部屋に入れられた。壁は木で,真ん中に冷蔵庫と楕円形のテーブルがある。すぐに2人の男が入ってきた。ヴェストを着ていて,軍人ではない。「さてファディルさん,ここに連れてこられた理由はおわかりですか?」と問われた。
「尋問されるためでしょう?」と私は答えた。
朗らかな笑みを浮かべてひとりがこう言った。「いいえ。住所に間違いがありまして。損害を与えたことをお詫びします。」
ということだ。爆発物で3枚のドアを吹き飛ばし,窓を割り,家具をすべて破壊して車をだめにして,家の中ででたらめに発砲して私たちの命を危険にさらし,私にフードをかぶせ,二度と会えるかどうかもわからない家族から私を引き離し――そして,にっこり笑って,ちょっとした間違いで,と言うのだ。
ではこれは脅しなのか,それとも弾圧しようとして不手際に終わった典型例なのか? 私にはまったく判断がつかないことだが,取材テープはまだ返却されていない。私にはっきりわかっているのは,今回の件が娘にどういう影響を与えたかということだ。娘は兵隊という兵隊を忌み嫌い,イラク兵であってもアメリカ人と呼んでいる。あんなことがあった以上,娘の気持ちを変えろと言っても無理な話だ。こんにち,同じように感じているイラク人は――イラク人はサダムの失墜を歓迎したのだが――多くいる。
こういうとき,何て思ったらいいんですかね? 「ご本人とご家族がご無事でよかったです」? 「番組,期待してるので制作がんばってください」?
パキスタンでアルカーイダ幹部を標的としたはずの米軍の攻撃で,関係のない村人18人が殺されたなどということもありましたが(BBC記事),2003年にムチャクチャだと思ったことが,2006年にはなくなるどころか,ノーマルなものになってきています。
1月11日と12日には,英軍の高級将校(Brigadier)が,米軍の雑誌『ミリタリー・レビュー』において,「米軍には制度的に人種差別がある」と批判したという記事がメディアにたくさん出ました。以下は英メディアのものだけですが,オーストラリアでも米国でも多くの記事が見つかります(Google Newsによる)。
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1684561,00.html
http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2006/01/12/...
http://www.timesonline.co.uk/article/0,,73741981557,00.html
http://news.scotsman.com/uk.cfm?id=53212006
http://www.mirror.co.uk/news/tm_objectid=16575969...
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/story.jsp?story=675587
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4603136.stm
一例として,タイムズの記事に次のような記述があります。
The most senior British officer to hint at the differences between the US and Britain in Iraq was General Sir Mike Jackson, the head of the Army, who told MPs in 2004: "We must be able to fight with the Americans but we don't have to fight as the Americans." He said it was "a fact of life" that Britain's military doctrine was different from that of the US.
General Sir Mike Jacksonは,1972年1月30日のデリー(ロンドンデリー)での「ブラッディ・サンデー」事件のとき,現場にいた英軍部隊の高官でした。あのときいかに英軍兵士がracistな言辞を吐いていたかは証言録にも残っています。皮肉なことです。
米軍からは,英軍に対して「大して変わらない」という反論があるようです。(米TIMEなど)
http://www.uruknet.info/?p=m19604&l=i&size=1&hd=0
http://www.eveningecho.ie/news/bstory.asp?j=11003246&p=yyxx3z9z&n=11003334
※なお,このAli Fadhilさんは,以前ウェブログIraq the Modelに書いていた兄弟のひとりで,今はFree Iraqiで書いているAli Fadhilさんとは同名の別人です。名前ばかりか「バグダード在住の医師」というところまで同じなので,Iraq the ModelのAliさんも「珍しいこともあるもんだ」とか書いてたような気がします。
投稿者:いけだ
2006年01月14日
投票のむこう
投票の向こう
ノーム・チョムスキー
ハレージ・タイムズ
2006年1月7日
ZNet原文
米国大統領ブッシュは、先月イラクで行われた選挙を「民主主義へと行進する中での大きな標石」と述べた。確かに、標石ではあったけれども、米国政府が歓迎するようなものではなかっただけである。指導者たちがいつも通り自分たちは善意だと宣言していることを考慮するのではなく、歴史を振り返ってみよう。ブッシュと英国首相トニー・ブレアがイラクを侵略した際、最初に繰り返された口実は、イラクは大量破壊兵器を破棄するのだろうか?という「ただ一つの疑問」だった。
数カ月のうちに、この「ただ一つの質問」に答えが与えられたが、それは好ましからぬものだった。それからすぐさま、侵略の真の理由は、イラクと中東に民主主義をもたらすというブッシュの「救世主としての使命」へと変わった。タイミングを別にしてさえ、これを宣伝して回るバンドワゴンは、米国があらゆる手段でイラクの選挙を阻止しようとしてきたことと矛盾する。
昨年一月の選挙が実現したのは、多くの人々の非暴力レジスタンスがゆえであり、そこでは大アヤトーラ、アリ・シスタニ師がその象徴となった(暴力的なゲリラもまたこの大衆運動から生まれたものである)。フィナンシャル・タイムズ紙社説が昨年3月に述べていた次のような見解に反対する人は、有能なオブザーバたちの中にはほとんどいないだろう:「(選挙が)行われた理由は、大アヤトーラ アリ・シスタニ師が選挙を主張し、米国主導の占領当局が選挙を棚上げあるいは骨抜きにしようとして出した3つの提案を拒否したからである」。
選挙は、まじめに考えるならば、人々の意志にそれなりに注意を払うことを意味する。侵略軍にとって最も重要な問題は、「人々は我々がここにいるのを望んでいるだろうか?」というものである。
答えを示す情報にはことかかない。重要な情報源の一つは、昨年8月に行われた英国国防省の調査である。これはイラクの大学研究者によって行われ、英国のメディアがリークしたものである。この調査によると、82パーセントの人々が、連合軍の駐留に「強く反対」しており、連合軍が安全の改善に少しでも役立っていると考えている人々は1パーセントに満たない。
ワシントンにあるブルッキングス研究所の分析によると、昨年11月の時点で、80パーセントのイラク人が「近いうちに米軍が撤退すること」を望んでいる。他の情報源もおおむね同様である。したがって、連合軍は、軍事力によって自分たちが支配できる雇われ政権を擁立しようと懸命に試みるかわりに、人々が望むように、撤退すべきなのである。けれども、ブッシュとブレアはいまだに撤退のスケジュールを決めることを拒否しており、目標が達成されたら名目だけは撤退すると言っているだけである。
アメリカ合州国にとって、主権を保ったそれなりに民主的なイラクは容認できない理由がある。この問題は、強固にうち立てられたドクトリンと対立するためにほとんど取り上げられることはない。そのドクトリンに従えば、合州国は、イラクがインド洋の孤島で主要輸出品が石油でなくピクルスだったとしてもイラクを侵略していただろうというものである。
公式見解に奉仕していなければ誰にでもはっきりしているように、イラクを制圧することで米国は、世界制圧の決定的な道具たる世界エネルギー資源に対する力を格段に強めることができる。イラクが主権を維持した民主的な国になったとしよう。そのようなイラクが進めるだろう政策を想像してみよう。イラクの石油の大部分がある南部のシーア派住民が大きな影響力を持つだろう。彼らは、シーア派のイランと友好的な関係を持つことを望むだろう。
両者の関係はすでに近いものになっている。おおむね南部を支配している民兵バドル旅団はイランで訓練を受けた。イランで育ったシスタニ師を含む影響力の強い聖職者たちも長期にわたってイランと関係を持っている。そしてシーア派が多数をしめる政府は、すでに、イランと経済関係を確立しつつあり、軍事関係を確立する可能性もある。
さらに、サウジアラビア国境の向こう側には、かなりの数の苦々しい思いを抱いているシーア派の人々がいる。イラクにおける独立へ向けた動きがあれば、そこでも一定の自治と正義を得ようと求める運動が増大するだろう。ちなみに、その地域は、サウジアラビアの石油の大部分があるところでもある。その結果、イラクとイランそしてサウジアラビアの主要油田地帯に住むシーア派の緩やかな連合が、米国政府からは独立の政策を採り、世界の石油資源のかなりをコントロールするかたちで、現れるかも知れない。こうした独立ブロックが、中国およびインドと大規模なエネルギー計画を共同開発するイランの前例に倣おうとする可能性もある。
イランは、西欧が米国と独立した動きをとりたがらないと考え、西欧との関係をあきらめ留かも知れない。けれども、中国を脅迫することはできない。アメリカ合州国が中国をおそれているのはそのためである。
中国はすでにイランそしてサウジアラビアとさえ、軍事および経済の関係を作っている。中国とロシアを中心としたアジアエネルギー保全グリッドがあるが、おそらくインドや韓国その他の国々もそこに参入するだろう。イランがその方向に動くならば、そのグリッドのかなめになるだろう。
主権を持ったイラクさらには大規模なサウジのエネルギー資源さえもを含んだこのような展開があるとすると、それは米国政府にとって究極の悪夢である。さらに、きわめて重要な労働運動がイラクで姿を現している。米国政府はサダム・フセインが導入した過酷な反労働者法の維持を主張し続けているが、それにもかかわらず、労働運動は組織化の活動を進めている。
労働運動活動家は殺されている。誰が殺しているかわからない。ゲリラかも知れないし、バアス党員かも知れないし、他の誰かかも知れない。けれども労働運動活動は続いている。労働運動は、イラクの歴史に深く根ざした主要な民主化勢力の一つであり、再び活性化する可能性がある。それは、占領軍がとても恐れていることである。重大な問題は、西側の人々がどう対応するかである。民主主義と主権を阻止しようとしている占領軍の側に立つのか、それとも、イラクの人々の側に立つのか?
ノーム・チョムスキーは、米国マサチューセッツ州ケンブリッジのマサチューセッツ工科大学の言語学教授。著名な知識人で、新刊「Imperial Ambitions: Conversations on the Post9/11 World」を含む著作を著している。
著作権:ハレージ・タイムズ
投稿者:益岡
2006年01月10日
今週金曜日に英国で放送されるドキュメンタリーで英軍エリートが「ブレアは弾劾されるべき」
今週放送されるテレビ番組で,ボスニアの国連部隊を指揮した経験のある英軍人(退役)が,「ブレアは弾劾されるべきである」と述べた。10日の英メディアでいっせいに報じられた。
Google NEWS UKでの記事リンク集には記事が94件上がっている:
ガーディアン by Richard NortonTaylor
ガーディアン by Matthew Tempest and agencies
テレグラフ
ヘラルド(スコットランドの新聞)
スコッツマン(同上)
BBC

「兵士の立場から見れば,宣戦布告以上に重大な首相の決断というものはありえない。その上に,その戦争が誤った根拠に基づいていたと判明した。これはどんな者であれ逃れることの許されない事態だ」と,BBC Radio 4のTodayで語ったのは,サー・マイケル・ローズ将軍(General Sir Michael Rose)。
サー・マイケルは,元BBC記者,元下院議員(無所属)のMartin Bellの制作したテレビ・ドキュメンタリーでブレア弾劾を要求している。このドキュメンタリーは今週金曜日,Channel4で放映される。(番組名はIraq: The Failure of War,放送時間は7.30〜8.00pmです。)
1940年生まれのサー・マイケル・ローズは,1959年に陸軍に入隊,62年に空軍のリザーブに移され,(多分60年代の間に)SASへ。88年〜89年に特殊部隊のfirst Director。1997年に退役。任地はドイツ,マレーシア,アデン,湾岸諸国,北アイルランド,フォークランドなど。所属部隊などは日本語にするのをサボってウィキペディアからコピペすると:
# う〜〜ん,79年から82年に22 SASかぁ。。。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナで国連部隊の司令官を務めたのは1994〜95年。その後は95年にDeputy CommanderinChief Land Command,95年から97年にAdjutantGeneral and AidedeCamp General to The Queenという地位にあった。1981年にOGM,86年にCBE(いずれも勲章)を受け,94年にナイトに叙せられ(Order of the Bath,確か軍人を対象としたもの),95年にはDSO(←「立派な軍人」に与えられる勲章)を受けた。中東での活躍がとりわけ目覚しかったとのこと。(オマーンとかイエメンとかもかもしれない。)
※人物紹介はウィキペディアを参考にした。
http://en.wikipedia.org/wiki/Hugh_Michael_Rose
……つまり,このサー・マイケルは,勲章じゃらじゃらの「すばらしく秀でた能力を有すると評価されてきた軍人」であって,「反戦を唱える人」ではない。
なお,英軍で現場で指揮を取るような立場の軍人のブレア批判は,サー・マイケルに限ったものではない。例えば開戦前日に部隊に向かって"We are going to Iraq to liberate and not to conquer. We will not fly our flags in their country. The only flag that will be flown in that ancient land is their own."とスピーチをしてメディアで讃えられたティム・コリンズ(軍人としての功績も大きく,やっぱり勲章じゃらじゃら系)は昨年9月に「大量破壊兵器説と人々の解放を信じていたなんて,私はナイーヴすぎた」とガーディアンに書いている。
ドキュメンタリー,Iraq: The Failure of Warについては,Channel 4の番組表によると:
http://www.channel4sales.com/programmingandschedules/
channel4schedules.aspx?date=13012006
番組を制作したMartin Bellについては:
http://en.wikipedia.org/wiki/Martin_Bell
マーティン・ベルの著作のリスト。ユーザーレビューが参考になるのでamazon.co.ukのもの:
In Harm's Way (1996)
A Thousand Hills: A Story of Crisis in Rwanda (2000, Tom Mullarkeyとの共著)
Through Gates of Fire: A Journey into World Disorder (2004) ←リンク先で前書き部分がsearch insideできます。この本よさそうだなぁ。。。amazon.co.jpでもカタログに入ってて3〜5週間待てば手元に届くそうです。
サー・マイケル・ローズの文章がガーディアンに掲載されています。
もうブレアの言い訳はたくさんだ――イラク問題でブレアは弾劾されるべきである
Enough of his excuses: Blair must be impeached over Iraq
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1682807,00.html
なお,ブレア弾劾を求める運動は,2004年8月から存在している(弾劾を呼びかけている人たちのサイトはhttp://www.impeachblair.org/)のですが,これは国会議員(ウェールズ民族党,保守党,LibDemなど)によるもので,軍人は加わっていないはず。(割と最近,SNP=スコットランド民族党がこの「弾劾運動」に加わったのは一応頭の片隅にメモしてあるんですが,そっちでは特に動きはなさそうです・・・今のところは。でも保守党はLibDemの党首を「片付ける」という当面の優先事項を終えたので,次はひょっとしたら「弾劾運動」に動きがあるかも??? 英国における一連の「弾劾運動」は,正義と真実を求めるといいつつ,実は政治的な勢力争いという面も強くあるので,私自身はかなりシニカルに見てしまうのですが。)
投稿者:いけだ
Google NEWS UKでの記事リンク集には記事が94件上がっている:
ガーディアン by Richard NortonTaylor
ガーディアン by Matthew Tempest and agencies
テレグラフ
ヘラルド(スコットランドの新聞)
スコッツマン(同上)
BBC

「兵士の立場から見れば,宣戦布告以上に重大な首相の決断というものはありえない。その上に,その戦争が誤った根拠に基づいていたと判明した。これはどんな者であれ逃れることの許されない事態だ」と,BBC Radio 4のTodayで語ったのは,サー・マイケル・ローズ将軍(General Sir Michael Rose)。
サー・マイケルは,元BBC記者,元下院議員(無所属)のMartin Bellの制作したテレビ・ドキュメンタリーでブレア弾劾を要求している。このドキュメンタリーは今週金曜日,Channel4で放映される。(番組名はIraq: The Failure of War,放送時間は7.30〜8.00pmです。)
1940年生まれのサー・マイケル・ローズは,1959年に陸軍に入隊,62年に空軍のリザーブに移され,(多分60年代の間に)SASへ。88年〜89年に特殊部隊のfirst Director。1997年に退役。任地はドイツ,マレーシア,アデン,湾岸諸国,北アイルランド,フォークランドなど。所属部隊などは日本語にするのをサボってウィキペディアからコピペすると:
Rose became the Brigade Major 16th Parachute Brigade 19731975. He was Commanding Officer of the 22nd SAS Regiment 19791982.
He was commander of the 39th Infantry Brigade 19831985. Rose became Commandant of the School of Infantry in 19871988, and the first Director Special Forces 19881989. He attended the Royal College of Defence Studies.
He was General Officer Commanding North East District and Commander 2nd Infantry Division 19891991, and Commandant of the Staff College, Camberley 19911993.
# う〜〜ん,79年から82年に22 SASかぁ。。。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナで国連部隊の司令官を務めたのは1994〜95年。その後は95年にDeputy CommanderinChief Land Command,95年から97年にAdjutantGeneral and AidedeCamp General to The Queenという地位にあった。1981年にOGM,86年にCBE(いずれも勲章)を受け,94年にナイトに叙せられ(Order of the Bath,確か軍人を対象としたもの),95年にはDSO(←「立派な軍人」に与えられる勲章)を受けた。中東での活躍がとりわけ目覚しかったとのこと。(オマーンとかイエメンとかもかもしれない。)
※人物紹介はウィキペディアを参考にした。
http://en.wikipedia.org/wiki/Hugh_Michael_Rose
……つまり,このサー・マイケルは,勲章じゃらじゃらの「すばらしく秀でた能力を有すると評価されてきた軍人」であって,「反戦を唱える人」ではない。
なお,英軍で現場で指揮を取るような立場の軍人のブレア批判は,サー・マイケルに限ったものではない。例えば開戦前日に部隊に向かって"We are going to Iraq to liberate and not to conquer. We will not fly our flags in their country. The only flag that will be flown in that ancient land is their own."とスピーチをしてメディアで讃えられたティム・コリンズ(軍人としての功績も大きく,やっぱり勲章じゃらじゃら系)は昨年9月に「大量破壊兵器説と人々の解放を信じていたなんて,私はナイーヴすぎた」とガーディアンに書いている。
ドキュメンタリー,Iraq: The Failure of Warについては,Channel 4の番組表によると:
http://www.channel4sales.com/programmingandschedules/
channel4schedules.aspx?date=13012006
30 Minutes
Iraq: The Failure of War
Veteran war reporter Martin Bell kicks off the new series of 30 Minutes with a powerful film arguing that war is an increasingly unreliable and unjustifiable means of solving conflicts in the 21st century. It is the first in a tenweek run of provocative polemics in which highprofile authors address important current affairs subjects. Martin Bell is no pacifist. But the reporter, known by his trademark white suits ever since he first wore one during the Balkans conflict in which he was wounded, has spent the best part of 50 years experiencing the cruelties of war at first hand. Starting as a soldier, later as a war correspondent, and most recently as an ambassador for UNICEF, Bell's views on war have evolved from supporter to sceptic. Except in the most tightly defined circumstances, Bell now believes that war is avoidable, intolerable and a deplorable waste of human life. Prod/ Dir: Joanna Burge; Exec Prod: Dimitri Dogannis; Series Editor/ CoExec Prod: Sam Collyns; Prod Co: Mentorn, RAW
番組を制作したMartin Bellについては:
http://en.wikipedia.org/wiki/Martin_Bell
マーティン・ベルの著作のリスト。ユーザーレビューが参考になるのでamazon.co.ukのもの:
In Harm's Way (1996)
A Thousand Hills: A Story of Crisis in Rwanda (2000, Tom Mullarkeyとの共著)
Through Gates of Fire: A Journey into World Disorder (2004) ←リンク先で前書き部分がsearch insideできます。この本よさそうだなぁ。。。amazon.co.jpでもカタログに入ってて3〜5週間待てば手元に届くそうです。
サー・マイケル・ローズの文章がガーディアンに掲載されています。
もうブレアの言い訳はたくさんだ――イラク問題でブレアは弾劾されるべきである
Enough of his excuses: Blair must be impeached over Iraq
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1682807,00.html
なお,ブレア弾劾を求める運動は,2004年8月から存在している(弾劾を呼びかけている人たちのサイトはhttp://www.impeachblair.org/)のですが,これは国会議員(ウェールズ民族党,保守党,LibDemなど)によるもので,軍人は加わっていないはず。(割と最近,SNP=スコットランド民族党がこの「弾劾運動」に加わったのは一応頭の片隅にメモしてあるんですが,そっちでは特に動きはなさそうです・・・今のところは。でも保守党はLibDemの党首を「片付ける」という当面の優先事項を終えたので,次はひょっとしたら「弾劾運動」に動きがあるかも??? 英国における一連の「弾劾運動」は,正義と真実を求めるといいつつ,実は政治的な勢力争いという面も強くあるので,私自身はかなりシニカルに見てしまうのですが。)
投稿者:いけだ




